第3節 4番目と5番目の扉
記憶の映像から一変し、再び周囲が闇へと戻る。
その中で、リトは思わず口元を緩めた。
穏やかでしあわせそうな記憶だった。
柔らかい雰囲気で、優しい気持ちが胸の中に灯る。
間違ったことをして人を傷つけたのは、たしかに事実なのだろう。
けれど、あの雨が降りしきる夜の森での出会いがきっかけで、自分はロッシェという大切な友人を得たのだ。
(なんだか不思議だ、人と人との出会いというのは)
四度目となると、流石にもう驚きはしなかった。
再び扉が瞬時に現れる事象を眺めた後、リトは手を伸ばす。
現れたのは、月色の扉だった。
* * *
今度は冷たくて薄暗い場所だった。
身体の下に広がるのはひんやりとした床石、そして目の前は金属の格子だ。
もしかしなくてもここは牢獄なのだろうか。
どうして、自分はこんなところにいるのだろう。
隣には、長い月色の髪の青年がうずくまって泣いていた。
彼のことは覚えている。
ライヴァンへと魔法で送ってくれた、頭を撫でてくれた同じ
たしか、名前はライズだ。
痛かったと何度も連呼していつまでも顔を覆って泣いている。
なんだかかわいそうだ。怪我をしているのだろうか。
こんな悲壮な状態で痛がっているというのに、あまり興味ないのか兵士の身なりをした男はカチャリと鍵をかけると目を向けずにさっさと出て行ってしまった。
コツコツと鳴り続けた足音も遠ざかってしまい、ついには聞こえなくなる。
すると、突然うずくまっていたライズはむくりと身体を起こし、へらりとした笑顔を向けた。
「へへっ、嘘泣き」
途端に、目の前の視界がぐにゃりと歪む。
もしかして自分は泣いているのだろうか。
まあ、あれだけ痛がっていたのに嘘泣きと言われれば泣きたくもなる。いや、違うか。
「……所長?」
目を丸くして、ライズが覗き込んでくる。
所長って、たぶん自分のことだろう。
彼は自分を紹介する時に同僚だと言ってたのに、なんだか話が違う気がする。
「泣かないでくださいよー。オレ、大丈夫ですから」
けれど、慰めるような優しい口調は同じだった。
帝都の広場で会った時とは違って敬語を使っているものの、彼の笑顔は変わらない。
どうしてか安心してますます泣いてしまって、あふれた涙がぱたぱたと落ちて服に染み込んでいく。
記憶の中の自分は、不意に顔を上げた。
目を向けると、ライズが手のひらをリトの頭にのせて撫でている。
「よしよし」
まるで、泣きじゃくっている子どもをあやしているかのような仕草だった。
青灰色の瞳を和ませながら、彼は撫で続ける。
自分と身長差があるのか、膝を立ててリトの顔を覗き込み、太陽のような眩しい笑顔を向けていた。
記憶のない自分にも頭を撫でてくれた彼の顔と重なり、嬉しくなる。
きっと、ライズは頭を撫でるのが好きで、自分は彼に頭を撫でられるのが好きなのだろう。
いまだに記憶の中の自分は泣き止む気配はないものの、リトはそう確信していた。
本当に嫌なら、冷たく振り払うはずだ。
いつまでそうしているのか、ライズはずっと頭から手を離さずに撫で続けている。
彼はきっと、自分が泣き止むまでそうするのだろう。
* * *
過去の記憶を通り抜けてからも、その優しい記憶は脳裏に残っていた。
それにしても、どうして自分は泣いていたのだろうか。
彼の撫でる手のひらがあたたかくて、なんだかこちらまで癒されたような気がする。
きっと、ライズは自分にとって大切な友人なのだろう。
初対面の時からの彼の反応で、薄々は察してはいたけれど。
再会したら、なんて言おうか。
ひとまず忘れてしまったことについては謝った方がいいのだろうが、同時に感謝も伝えたい。
彼がライヴァンへと送り、ルウィーニやロッシェと引き合わせてくれたからこそ、リトはこうして記憶を取り戻すための儀式に臨むことができたのだから。
ふわりと次の扉が現れた。
緩みそうだった顔を引き締め、リトは手を伸ばして触れる。
次なる扉は青灰色の扉だ。
この色で思い浮かぶのは、屋敷を出るきっかけをくれた
自分をリトの主治医だと言っていた、青灰色の髪の青年だ。
もしかして彼に間する記憶なのだろうか。
いずれにしても、入って確かめないことには始まらないだろう。
リトは扉を押し開け、歩を進めてその中へと入った。
* * *
「リト、ちょっと渡したいものがあるんだけど」
「いいけど、どうしたんだ?」
一転して、屋内に出る。
さほど広くないリビングの一室で目の前に映ったのは、やっぱり主治医だと名乗った
青灰色の短い髪と瞳をもつ彼はまるで待ち構えていたかのように話しかけてきたようだ。
笑って彼が差し出してきたのは、小さなガラス瓶だった。
手のひらサイズの透明な瓶。
それにはピンク色のあめ玉が所狭しとたくさん詰め込まれている。
これが彼の渡したかったなのだろうか。
記憶の中の自分も不思議に思ったのか、首を傾げたようだった。
けれど、主治医は口角を上げて不敵に笑う。
「これを、キミに渡しておこうと思って」
「何なんだ、これ」
「魔法のあめ玉」
満面の笑顔で告げられたその言葉に、リトは戸惑う。
ただのお菓子かと思ってはいなかったものの、なにか幻薬のようななにかなのだろうか。
けれど、飴の形状の薬なんて見たことはないし、聞いたこともない。
まあ、今のリトは記憶のない状態なのだからわすれているだけなのかもしれないが。
「……詳細な説明を頼む」
「あっ、ごめんごめん。えーとね、これ飴に見えるけど、発作の緩和剤なんだよ」
へらりと笑って、主治医はガラス瓶をそのままリトの手に押し付けたようだった。
「ほら、今は静かにしてるとはいえエルディスさんがリトの近くにはいるわけだからさ。何が起きるか分からないし、一応作ってみたんだよね」
「それって、発作が起きるかもしれないってことか?」
「うん、そう。俺としては、そういう事態になりかねないって思ってる」
発作、ということは、自分はなにか病気を持っているということだ。
エルディスは最初自分と屋敷にいた人物だ。たしか、父だと名乗っていた。
なのに、自分は主治医の言われるままに屋敷を出た。
それは彼の言葉に流されただけじゃなくて、エルディスその人に恐怖を抱いていたからだ。
なにかをされた覚えはない。
けれど、なぜか心臓をつかまれるような恐れが、じわじわと浸食していく感覚があった。
彼は病気の発作と、なにか関わりがあるのだろうか。
そう考えていたら、目の前の主治医の笑みが消え、すっと真剣な表情になった。
「発作が起きたら、やっぱり危ないよな。一応、心臓の発作なんだろう? 俺の病気」
「そうだよ。ひどい発作が起きたら心臓が止まりかねないから、さ。だから緩和剤ってワケ」
自分が抱えているのは心臓の病気のようだ。
それならたしかに命に関わるし、心配になる。
「ラト、俺の病気ってどういうものなんだ? 一応、命に関わるものなんだよな
?」
「んー、そうだねぇ。そいえば、リトには病気のコトちゃんと話したことなかったっけ」
目を和ませて、主治医は穏やかな微笑みかけてくる。
青灰色の瞳にはやわらかな光が宿っていて、とても優しいように見えた。
「立ち話で済ませるコトじゃないし、取りあえず俺の部屋で話そっか」
* * *
「ラト、というのか」
ポツリと口にして、リトは青灰色の髪の青年を思い浮かべる。
記憶の中のラトは、以前に会った彼と同じく優しくて自分をとても気遣っていた。
そして同時に、彼が語った言葉は嘘ではないのだろうという確信が、リトの中にある。
彼の導きのままにライヴァンへ来たのは、やはり正しかったのだ。
——そう考えているのに、なぜだろう。
ひどく胸がざわつく。
(ラトも、あの後ちゃんと屋敷を抜け出せたのかな)
この儀式を終えて現実に戻ることができれば、彼のことも確かめられるだろうか。
不安はまだ残るものの、時間が惜しい。
目の前に現れた薄藍色の扉に手を伸ばし、リトは再び歩み始めた。
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