第4節 緋色の魔法使いと人間の少女
ざあざあと音を立てて降るしずくが、容赦なく地面を打ち叩く。
男物の大きな傘をくるりと回して、ルベルは城門の外に一人で佇んでいた。
ベージュのジャケットに、ワイン色のミニスカート。
ロングブーツの足元は泥と雨水で汚れてしまっているものの、この季節の雨は冷たくないからまだマシだ。
口慰みにかじっていた食べかけのスコーンを紙ナプキンに包んでバックに仕舞い、傘をしっかりと持ち直した。
なぜならば。
目を上げた向こうに、傘を差して立つ緋色い髪の男が見えたから。
耳が尖った特徴を持つ彼は
リトの父親で、エルディスという名前だということを知っている。
先日、リトがラディアスとラァラを伴ってライヴァンへ旅行に来た時、父とルウィーニに相談しているのをたまたま立ち聞きしていたから基本的な情報は知っていた。こうして面と向かうのは初めてだ。
「こんにちは」
笑いかける気分にはなれなかった。
それでも、彼がこちらを見てまっすぐ歩いてくるから、挨拶の言葉だけをかける。
エルディスはつかみどころのない笑顔で、ルベルから数歩の距離を空け立ち止まった。
「こんにちは」
「何かご用ですか?」
答えは予想がついていたものの、あえて突き放す口調を選んだのは、敵対の意思表示をしておきたかったからだった。
自分の都合で我が子に呪いをかけるような相手と、解り合いたくなんかない。
微笑んだ表情はそのままに、エルディスは一歩距離を詰めてくる。
「ちょうど今、人を捜していてね。君はうちの息子を知らないかい?」
「お話しすることはありません」
キッパリとした拒絶の返答を聞いて、鮮やかな橙色の
ほんのわずか、声のトーンが低くなる。
「知っているんだね」
「貴方に話すつもりはありません、お帰りください」
一瞬の沈黙が下りる。
また一歩、距離を近づけてきた。
「どこにいるんだい?」
「教えません」
「ライズ君に聞いたらライヴァンにいるって言っていたんだけど、どこにいるのかなぁ」
幼い子どもをなだめすかすように優しく問いかけて、エルディスは首を傾げる。
ライズとは、たしかリトの友人の名前だ。
どんな方法で聞き出したのかは不明だけれど、場所について否定するつもりはなかった。
「もう、予想はついてるんでしょう?」
表情を変えず、ルベルは淡々と返答する。
そうだね、と小さくつぶやき、エルディスは反応をうかがうようにゆったりと笑った。
「それなら、ご自身でお捜しください」
捜せるものならば、と心の中で付け加える。
彼も同じことを思ったのか、さらに一歩至近に近づいて距離を詰めてきた。
「私は王宮に入れないのだよ。君が連れて行ってくれるかい?」
やはり場所は突き止めていたようだ。
それでもさすがに
想定内の要求に、ルベルは茜色の
「お断りします」
「それなら強硬手段に出るけど?」
優しい声音は、脅しつける響きを
首を傾げて、問い返す。
「わたしに何かするつもりですか?」
「何をすると思う?」
「何かできると、思っているんですか?」
向こうからすれば自分はまだほんの子供で、外見判断に頼るなら一女学生に過ぎないだろう。
虚勢に聞こえたのか、エルディスは笑みを深めて目を細める。
つられたわけではないが、ルベルもまた笑顔に近く表情を緩め、口角を上げた。
「貴方はわたしに何もできません。あきらめてください」
「そう言うわけにもいかないよ」
駄々をこねる子どもを言い諭すような言葉で返し、緋色の男はさらに歩を進めてルベルに近づいてくる。
ひとつ目を瞬かせた後それを見返すと、ルベルは傘を手放してあらかじめ自分の横に立て掛けておいたショートスピアを手に取った。
迷いなくエルディスの眼前に穂先を突き付け、彼の歩みを止めさせる。
ざああという雨音が耳に近くなり、降りしきる水滴が少女の全身を濡らしてゆく。
支え手を失い地面に落ちた傘が、風に押されてくるりと回った。
「物騒な物を持っているね」
先ほどよりは少し長い沈黙が流れた後、エルディスがささやいた。
ルベルは伸ばした腕を下げようとせず、顎を上げて堂々と言い放つ。
「この槍は炎の術具で、
「へぇ、すごいね」
やけに薄い反応だ。
彼がルベルの言葉をそのまま真に受けたのかどうか、表情だけではつかめない。
けれど、信じようと疑おうと、ルベルは本気だった。
もう十年以上も付き合いがあるだけに、ゼオの能力と気質がどれだけ信頼を置けるものかを、自分は誰よりも知っている。
無言で睨む少女を、エルディスもまた無言で見返していた。
ここで退いてしまうと目的が完全に頓挫するという予感を、おそらく彼は感じていることだろう。
かといって、高位の精霊魔法が扱えるほどの熟練した
互いに譲らぬ睨み合いを、いつまで続けただろうか。
最初に見切りをつけたのはエルディスの方だった。
物分かりのいい大人の顔でにっこりと笑い、口を開く。
「ひとまず今日の所は退いてあげるよ。また出直すとしよう」
「二度と来ないでください」
突き放すようなルベルのセリフに、彼は底知れない笑みを向けただけだった。
雨のしずくと共に冷たい予感が背中を滑り落ちてゆく。
悠然と立ち去る後ろ姿を眺めながら、心臓をつかまれたような感覚がしてルベルは小さく身震いした。
彼が何を企んでいるのかは解らない。
願わくばこの悪い予感が、杞憂であってくれればよいのだけど。
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