第2節 主治医と青き巨大な獣

 よくよく考えてみれば、ここは目印もない砂漠のど真ん中。例えエルディスが思い直したとしても迎えに来るのは不可能だ。

 ということは、自分は今度こそ死ぬのだろう。

 そうしてついにカミルに魂を奪われるのは……いやだな、とラディアスは思う。


 今も、きっとどこかで死にゆく自分を眺めているに違いない。

 命だ尽きたら嬉々として、干からびた自分の遺骸を掘り出して持ち帰るんだろうか。悪趣味だな。


 むしろ、死んで魂だけになったら、エルディスのかけた呪いは全部解けるだろうし、そうしたらリトの所に戻ろうか。

 そうこうしているうちに身体がなくなって幽鬼ゴーストになるだろうけど、リトは魔術師ウィザードだからきっと解るだろうし。ラァラは魔法が使えないから、見えないかもしれないけど。


 それにしても、リトは無事に記憶は取り戻せたんだろうか。

 でも、戻っていたら逆に辛いかもしれない。ショックのあまり心臓が止まってしまったらどうしよう。


 エルディスはこのことについて、リトとラァラに何て話すのだろうか。まさか、また記憶を封じて全部なかったことにする、とか。彼ならやりかねない。


 靄がかかったような意識でそんなことをつらつら考えていると、猛烈な眠気が襲ってきた。

 今呼吸できているのかさえ分からないほど覚束ない。

 生きながら蒸し焼きにされているのだから苦しいのは当たり前だ。痛いのはまだ生きている証拠なのだけど、どうせ助からないのだし早く死んでしまえれば楽だというのに。


『うーん、君は生きたいのかな? 死にたいのかな? どっちなんだい?』


 睡魔に溶かされかけた意識に、するりと何かの意思が入り込んできた。

 聞かれていることの意味が、よく解らない。ただ、眠くて、楽になりたい。


『やはりにえなのかな? 私は人なんて食わないのだが』


 言っていることが妙だ。

 エルディスは自分を苦しめて殺すために、この砂漠に放り出したのだろうし。

 その先でなにかに食われる可能性があるとしても、それが目的というわけではない、と思うのだけど。


『よく解らないな。でも、君は面白いよ。こんなに可愛いコなのに、随分と多重の呪いで縛られているようだしね。その魂に触らせてくれるなら、君の願いを叶えてあげよう』


 何のことだろう。解るような、解らないような。


 にえとか魂とか、何かの契約みたいな言葉だ。

 自分の魂は守護者の予約済みだから、あげたくてもあげられないけれど。それでも、叶えてくれるのかな。


 そうだとしたら、欲しい願いはたったひとつだけ。


 どうか、リトの記憶を戻してやってください。




 * * *




「————っ!?」


 突然の覚醒は、激しい痛みと共にやってきた。思わず目を見開くと、暗い洞窟の岩壁が飛び込んでくる。


『起きたかな? 痛い? そうだろうね。人族は痛みを感じるのだよね』


 鼓膜ではなく脳裏に直接届く、声。

 身体中をさいなむ痛みのせいで首も腕も動かせず、ただ全身が小刻みに震えているのを感じる。息を詰めてそれに耐えていると、何かが動いて近付いてきた。


 覗き込んできたのは、全身を滑らかな青い毛に覆われた巨大な獣だった。背に翼を持つ狼の姿をした、天狼てんろうと呼ばれる風の中位精霊だ。

 その天狼てんろうが、藍晶石ディスティーンの瞳で自分を見ている。

 話そうとしたけど、声が全く出せなかった。【制約ギアス】の効果がまだ続いているのだろうか。


『いいや、呪いは解いてあげたよ。私は人族の身体の造りについては知識がないので、よく解らないのだけどね。恐らく呼吸器官が熱で焼けてしまったのだよ。まだ苦しいだろう、可哀想に』


 疑問を拾って的確に答えてくれる、風の精霊。

 そういえば中位精霊は心話ができるから、声が出なくても大丈夫だった。少しだけ安心したが、不安もある。


 せめて声さえでれば魔法を使って、治癒することも可能だというのに。それでも、あれだけの長い時間熱砂に埋もれていたことを考えると、もっと重篤化していてもおかしくはないはずだ。


 もしかして治してくれた?

 と尋ねてみれば、天狼てんろうは首を傾げてにかりと笑った。


『光や無属の者ならもっとしっかり治してあげられるのだが、私は治癒は苦手でね。それでも、何とか命と手足を失わない程度に回復できているはずだよ』


 ありがとう、と心でつぶやく。

 痛いのは、生きている証拠だ。死んでしまえば楽だけど、そういう安楽を望んでいたわけじゃない。

 痛くても苦しくても、生き延びて、大切な人を迎えに行くのだ。これくらいなら耐えられる。


『そうそう、その〝リト〟君について聞こうと思っていたのだよ。国名とフルネームを教えてくれたまえ』


 驚きのあまり、思わず瞬きをする。

 リトアーユ=エル=ウィントン、と胸中でつぶやけば、天狼てんろうはふむふむと頷いて翼を広げ、立ち上がった。


『ティスティル帝国のリト君か。君は随分と遠くから連れてこられたのだね。では、行ってくるから少々待っていてくれるかい』


 え、と聞き返す間はなかった。

 さすが風の精霊とも言うべきか。素早く天狼てんろうは身を翻すと飛び去ってしまった。

 取り残されたラディアスは、ぼんやりと今自分が置かれている状況を反芻はんすうしてみる。


 命と手足は取り留めることができた。聴力と視力も、なんとか大丈夫。

 味覚と声は……もしかしたら駄目かもしれない。

 身体を動かすことができれば自分で診察していところだけど、今はまだ無理だろう。


 目を閉じて思いを巡らす。


 彼は、自分が覚束ない意識の中で言った〝願い〟を叶えに行ったのだろう。

 魂云々のくだりは、戻ってきてからちゃんと聞かなければ。

 それにしても、中位とはいえ人語の扱いにあれほど熟達した精霊に会ったのは、初めてのことかもしれない。


 身体が痛くて、苦しい。さらにひとりきりは寂しいし、こわい。


 嫌われている自覚はあったものの、こんなひどい死に方を強いられるほどまでエルディスに憎まれていたという事実は、やっぱり悲しかった。

 いっそ泣くことができれば楽なのに、やっぱり涙は出てこない。


 天狼てんろうはなかなか戻ってこなかった。


 夢とうつつをさまよいながら、ラディアスは、リトとラァラの無事をうわごとのように繰り返し、祈ったのだった。

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