迷子の鴉と風色の主治医

依月さかな

1章 突然帰ってきた緋色の魔法使い

プロローグ

「ありがと、大好きだよ」


 泣きそうに笑った顔が忘れられなかった。

 揺れる青灰色の瞳を細め、自分の主治医だという彼は、別れを惜しむように抱きしめてくれた。






「今から詳細を説明するから、心配しなくていいよ」


 その言葉ではっと我に帰る。

 顔を上げると、そこには壮年の赤い髪の魔法使いが自分を見ていた。

 魔術師風の服装の男。人間族フェルヴァーの国の宰相、名前はたしかルウィーニだったか。


「リト君、きみは、精霊や魔法に関する知識は失っていないのだよね?」

「うん、そうだと思う」


 こくりと頷くと、彼は笑顔でうんうんと頷いた。

 それからルウィーニは目の前にしゃがみ込み、視線を合わせてくる。


「きみはこれから夢を介して、きみ自身の過去を辿っていくんだ。きみの記憶はきみの中に在り、別個に閉じこめられて外に出せない状態になっている。それを、一つ一つ開いて、解放していかなくてはいけない。……解るかな?」


 扉を開いてゆく、というイメージだと彼は語っていた。

 ということは、今の自分はその扉に鍵がかかっている状態なのだろうか。


 そう、今のリトには記憶がない。憶えているのは、リトアーユ=エル=ウィントンという自分自身の名前だけ。

 目の前で微笑んでいるルウィーニも、彼のかたわらに立つ長身の人間フェルヴァー、ロッシェという名の彼のことも、なにひとつ憶えていない。

 そして、ここライヴァン帝国に来る直前。

 やさしく見送ってくれた、自分の主治医だという彼のことも。


 だから、過去を思い出すために旅に出なければいけない、とリトは考える。

 魔族ジェマである自分のために種族の壁を超えて、ルウィーニとロッシェは時間も労力もかけて尽力してくれているのだ。

 それに、彼らのもとにたどり着くまでに、力強く導いてくれたひとたちのためにも。


 忘れたままで、いいはずがない。


 決意を込めてリトは頷いた。

 ルウィーニは柔らかく微笑み、話を続ける。


「そうは言っても、きみはきっとどこから始めたらいいのか、途方に暮れてしまうに違いないからね。道案内をつけてあげよう。……紹介するよ、彼はクレストルという」


 その言葉に応えるように、部屋の中で白い光が生まれた。

 真白い輝きがやがて輪郭を形成していき現れたのは、一本角と光り輝く翼の獣、ユニコーン。


如何いかにも、われが道往きにともなおう。我名わがなはクレストルという。汝の望みを叶える為、われは汝に手を貸そう』


 きっと、かれは精霊に似た生き物で、人ならざるものだろう。

 さしずめ精霊獣といったところか。

 案内役がかれならば、心配はないだろう。


 首肯してから、リトはクレストルからルウィーニへと再び視線を戻す。


「きみの記憶はきみ自身の財産だ。我々はきみがそれを取り戻すため、持てる力を尽くして手を貸そう。だから、怖がらず行ってきなさい」


 大きなてのひらがリトの頭を撫でる。

 そのぬくもりや動作は、まるで父親が幼い子どもを慈しむような仕草だった。


(俺の父親だというあのひとも、こんなふうに撫でてくれてもよかったのに)


 だんだんと意識が遠のいていくのを感じながら、リトはふと、ルウィーニと同じ炎のような赤い髪の男を思い出していた。

 精霊魔法を操る、長身の魔法使い。

 いつも柔らかく笑うのに、彼の橙色の瞳はひどく冷たくて、こわかったっけ。

 

 まるで歌のような魔法語ルーンが聞こえてくる。

 ルウィーニが歌ってるのかな。


(なあ、エルディス。どうしておまえは、俺の記憶を消したんだ……?)


 問いかけは相手には届かない。理由は、きっと今から始まる旅で知ることができるはずだ。

 リトはそう思い、目を閉じた。






 そもそも、どうして記憶を奪われる羽目になったのか。

 なぜ、リトが他国のライヴァンへ逃げなくてはいけなかったのか。


 ルウィーニとロッシェが語る話によれば、事の始まりは、今から三ヶ月前に遡るらしい——。

 

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