08.理性を試されつづけ、攻めに転じてきた?


「まっ、待ってサイラス」

「こら、じっとしていろ」



 あぁ、サイラスの熱を帯びた瞳が近づいてくる。もしかしてこれって、そういうことだよね。くすぐったい気分がこみあげてきて、じっと待っていられずに、サイラスの頬に手を伸ばした。



 どんどん近づいてきて、密着する。



 唇と唇じゃなくて、おでこと、おでこが。あ、あれ――。



「やっぱり。熱があるな」

「………………」

「いろいろ考え込んでいたうえに、盗賊騒ぎで一気に疲れも出たんだろう」



 言われてみれば確かに全身に重い疲れが溜まって、身体がだるい。けど。



 違うよね。そうじゃないでしょ。うがあああ。サイラスだって我慢できないって言ったじゃないか。なんだったのアレは。



 瞳も熱を帯びていると思ったのに――っ。は、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。キスされると思って待ち構えたわたしの乙女心をどうしてくれるの。



 とくに、頬に伸ばしてしまった手が。やってしまった感がすごい。



 真っ赤になった顔を、やり場のなくなった両手で覆い隠して黙り込んでしまう。



「病人は大人しく寝なきゃな。薬を買ってくる。正直、まだ手を出すわけにはいかなかったから助かった」

 


 そう言って、ベッドから出ていこうとするサイラスの腕を、慌てて掴んで引き止めた。



「ま、待って、まだ手を出すわけにはいかないって、ど、どういう意味ですか! 十六歳はもう大人ですよ!」

「子どもだと思っていたら、理性が飛びそうになったりしねぇよ。いいから、今は身体を治すことを考えろ」



 そう言いながら、宥めるように頭を優しくゆっくり撫でてくれる。ううう、この撫で方、大好き。癒される。身体中の力が抜けていく。ズルい、なんか優しさで丸め込まれて誤魔化されている気がする。


  

「せめて、寝付くまで、ぎゅう――って、していて欲しいな」


 

 子供っぽいかもしれないけれど、熱が出ると甘えたくなってしまう。傍にいて欲しくて、ついつい我儘を言ってしまった。



「……わかった。傍にいるから、ほら寝ろ」



 あぁ、やっぱり優しい。しっかりと目を閉じ、サイラスのぬくもりを感じながらすぐに眠りにひきこまれていった。

 


 ***




 あれ、サイラス以外の声が聞こえる――。


 

「貴方に相応しいとはとても思えません」

「相応しいとかは、関係ないさ」

「おまけに、手ずから料理を作りたいなど」



 苦虫を噛み潰したような言い方をする人だな。なんとなく、生真面目な印象を受ける声だ。



「俺が五年前までどんな扱いを受けていたかよく知っているお前が、そんなことを口にするのか。笑わせるな」



 静かだが、突き放すような口調でサイラスが喋っている。



 あれ、記憶が戻ったのだろうか。それとも、熱にうなされておかしな夢を見ているだけなのだろうか。



「ですが!」

「それよりも、この街に来る途中に出た盗賊団に数人の手練れが交じっていた。仕込んだのはお前か?」

「まさか、貴方に刺客を送り込むはずがないでしょう」

「俺に送らないのは知ってるさ」



 僅かに、威圧的な声。こんなサイラスの声初めて聴いたかもしれない。それに答える男の声に微かな緊張の響きが混ざる。



「……この娘がどれだけ気に入らなくても殺したりはしませんよ、貴方と敵対するほど愚かじゃないつもりですから。おそらくいつものように宰相の手の者か、もしくはラバルナ帝国でしょうね。動きが相当活発になっていますから」



 誰だろう。サイラスの昔からの知り合いっぽいけど。



 熱が引いた感じは全然しないし、夢うつつの状態ではある。だけど、これは夢じゃない。あまりにもはっきりしすぎている。



 でも、眠くて、目を開けることはできなかった……。



「どうしてもハーエンドリヒ侯爵と手を組んではいただけませんか――悪い話ではないはずですが」

「クラウド、お前がいくら粘ってもその話に乗る気はない」

「ルフティス辺境伯に恩義を感じているのは知っていますが、あの方は野心が過ぎます。聖バルゴニア王国は一つでなければならないのにそれを割ろうとしている。ハーエンドリヒ侯爵は違います。野心など微塵も抱いておられない。常に民を第一に考えておられるからこそ、貴方に――」

「もう黙れ、そんな話をされると余計に心が動かない」



 すごく気になる話が続いている……もっと聞いていたい。それなのに、身体は睡眠を欲していて、眠気に勝てず、再び眠りへと引き戻されていった。



 ***



 あ、おでこに冷たい布を乗せてくれている。ひんやりして気持ちいい。ん? くんくん。いい匂いもする。なんだろう、これ。



「あぁ、起きたか。スープなら、食べられるか?」

「え? どうしたの?」

「宿屋の奥さんに教えてもらいながら、作ってきた」

「う、うそ! サイラスの手料理! 食べる! 吐いても食べる! あああ、でもサイラスが手料理を作る姿を眺めたかったぁ」

「おい、病人が騒ぐな、大人しく食べろ」



 うううう。やさしい。うれしい。わたしのために、わざわざ教わってまで作ってくれるなんて。だめだ、感激で熱が上がってしまいそう。



 起き上がって、フーフーしながら、口に運ぶ。ちょっとだけ塩味が強いかも。でも、ショウガが効いていて温まる。何より心が温まる。パクパク口に放り込んで、すすって、ほくほくする。



 あっ、しまった! あまりに嬉しくてがっついてしまったけれど、ここは食べさせて貰って悶えるべきところだったんじゃないだろうか。



「どうした。残してもいいからな。無理するなよ」

「ちがうよ。全然無理してない。すごくおいしい、ありがとう」

「なら、よかった」



 あっ。ちょっとホッとしたような表情。初めて見る顔だ。こんな顔が見られるなんて、すごく得した気分になる。迷惑かけて申し訳ないと思いつつ、たまには熱もいいかもしれないと考えてしまった。



 ふはぁ、お腹も膨れて幸せだ。



 だけど、どうしようかな……起き抜けに、サイラスの手料理が出てきて浮かれてしまったけれど、眠っている間に来ていた男性との会話が気になる。聞いてもいいのだろうか。



 気配に敏感なサイラスだから、わたしが狸寝入りをしながら聞き耳を立てていたことに気づいていそうだし、そもそも聞かれたくない話なら、あの男性を客室に入れるはずがない。なのに、何も話してくれないのはどういうつもりなんだろう。うーん、サイラスの考えていることがわからない。



 サイラスが何を隠していても、嘘をついていても、サイラスを大好きという事に揺らぎはない。サイラスにとってあまり触れたくない過去があるのなら、あえて詮索しようとは思わないし、このまま記憶喪失という事にしてもらって、サイラスとしてわたしの傍にずっといてくれるのならそれでも構わなかった。



 でも、彼の過去がわたしたちの関係に影響を及ぼしてくるのなら――それが不安だった。あああ、いくら考えても答えが出ない。考えて、考えすぎて、頭がパンクしそう。だから、血迷ってしまった。



「あの、サイラス、もう少しだけ甘えてもいい?」

「どうした」

「汗かいたの。身体を拭いてくれないかな。着替えもしたい」

「…………わかった。後ろを向いて待っていろ。準備してくる」



 ボンヤリした思考のまま、上を全部脱いでドロワーズだけの姿になる。



 言われた通り背中を向けて待っていると、お湯と何枚かの布を持ってサイラスが戻ってきてくれたようだ。うなじから背中へかけて、ゆっくりとあたたかい布で一拭きされて、ビクンと身体が跳ねた。あ、あれ……。



 わ、わたし、いつの間に、こんな無防備な恰好になっているの。



 我に返って、慌てて胸を腕で隠したけれど、汗ばんだ背中は曝け出したままだ。剥き出しになった肌が視線に焼かれているように感じて、急にもじもじした気分になってきた。



 痺れるような感覚に耐えながら、背中が拭き終わるのを待つ。



 ふぅ終わったかな。ありがと――って言おうとした瞬間。いきなりだった。サイラスが後ろからわたしの身体を引き寄せ、抱きしめたかと思うと軽々持ち上げるような形でクルっと向きを変えさせたのだ。ど、どんな魔法を使ったのかと思うような早業。



 サイラスと視線が絡み合い。くらくらしてくる。



 あれ、ど、どうして跪くの。



 えっ、あ、足まで拭いてくれるんだ……。ドキドキしすぎて、力が入らない。



 白いはずの足が、足元まで薄紅色に染まっている。ゴツゴツした手がつるりとしたふくらはぎを優しく包み込んで、長い指先で掴んだ濡れた布が上下してわたしの足を綺麗にしてゆく。



 触れられているところから何とも言えない疼きが、波紋のように広がって、息が洩れそうになった。



 なのに、サイラスの顔を盗み見ても平然としている。わたしばかりが意識しているみたいで悔しくて切ない。



 こっちは、手の甲に浮き出たサイラスの血管にすら、どこか落ち着かないような気分になって触れてみたくなっているのに――。



 あっ……気づくと、碧い瞳がじっとわたしを見つめていて、目が合った瞬間、口の端に微かな笑みが浮かんだ。



「ティナは、俺の理性がどこまで保つか試しているのか?」

「うわあっっっ! ち、ちがうの! と、途中で、届くところは自分でするからと言うつもりだったのに、タイミングを逃してしまっただけだから!」



 は、恥ずかしすぎて死ぬ。



「ご、ごめんね、こんなことまでさせて。でもさっぱりして、すごくきもちよかった。ありがとうね」

「……薬も買ってきたから、これを飲んでもう少し寝たほうがいいな」

「えっ。苦いのはいいよ。もう飲まなくても大丈夫だと思う。それよりもギュッとして、一緒に寝てくれれば」

「ちっ」



 あっ。ひどい。舌打ちした。



 抗議しようと思ったら、サイラスが薬瓶の中身を口に含んで、顔が近づいてくる。下顎に手が添えられて、えっ。目を見張った。



 く、口移しだ! んん――っ! 



 唇と唇に隙間が全くなくなって、ドロッとした液体が強引に舌で押し込まれ流し込まれてくる。あ、舌と舌が絡まる。頭に血が上る。恥ずかしい。やっ、うなじに触れて頭を固定しないで、これ絶対熱が上がる。あふっ。



 ひ、ひどい、む、無理やりに飲ませるなんて!



「どうした、その顔は。俺は悪い子に、薬を飲ませてやっただけだぞ」


 

 意地悪そうな笑み。駄目だ。サイラスから匂い立つような男の色気が立ち昇っているように見える。酔ってしまいそうだ。



 期待して待った時にはおでこで熱を測られて、今度は全くの不意打ちで、しかもなんかすごく恥ずかしいことを一杯された気分だし、翻弄されっぱなしだ。



「さ、サイラスはタチが悪い。わ、悪い男だ」



 トロンとして、力が全く入らない。恥ずかしさで全身が炎に焼かれ、すべてが赤く染まっている。



 も、もう、何も考えられない。大人しく、寝よう。



「お、おやすみなさい、サイラス」

「タチが悪いのはそっちだろ」



 溜息交じりのそんな言葉を聞きながら目を瞑った。

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