13.絶望の聖女と、同じ匂いをさせる神官(後半)※サイラス視点です。

 聖女の美貌は際立っていた。



 艶やかな黒髪に青紫色の大きな瞳は神秘的。バランスのとれた唇、形のよい鼻梁、その他すべての部位が完璧に整っていて、誰もがその姿を目にしただけで、息を奪われ、魅了され、圧倒される。



 容姿だけではない。威厳に満ち、生気に溢れ、さらには畏怖の念を抱かせて自然と人を跪かせ頭を垂れさせる、人ならざるものとしての気配を常に纏っていた。



 だが、それは女神の意識が表に現われている時で――。



 周りに人がいなくなり、聖女本来の意識が現れている時間は途端に表情が削ぎ落ち、口数が極端に少なくなって、その瞳に深い哀しみを湛えてしまう。そんな時は決まってひどく憂鬱な気分にさせられる哀しい歌を口ずさむか、縋りつくように俺の肌を求めた。




 天界などというものが存在するのかどうかは知らないが、出来れば神などというものは、そこに引きこもって人の世界に興味など示さないでくれ。



 女神コーデュナのせいで、そう思ってしまう。



 人の意志に反して干渉し、導きや救いを気紛れにもたらすことがあるかと思えば、ひどく残忍に個人の人生を弄んだり、救いを必要とする多くの声を黙殺したりする。そんな神に振り回されるのは、ウンザリだ。



 直接女神にその思いをぶつけてみたこともあるが、女神の返答は苛立つものでしかなかった。



「神の力をふるえば一つの国どころか、この世界を滅ぼすのも創り直すのも、苦しい目にあった人間を見つけたら即座に救う事も簡単よ。だけどそれをしてしまうと人間の世界は発展しなくなるわ」

「それなら、そもそも一切の干渉をしないままでいてくれればいい」

「あら、私は人間を愛しているわ。世話をし、触れあい、様子を見て、愉しみたいじゃない。だから、数人の人間を選別して人生に介入し、使命や運命を与えてその者たちが足掻き苦しみながら、国を滅ぼしたり、作り変えたりするのを見守るのよ。結果として、世直しが少しだけ達成されて、少なくない人数の人間が幸せになれる。いいことずくめじゃない」

「人生に介入され、捻じ曲げられた人間はどうなる」

「その者たちは、神のお気に入りに選ばれ、神の意志に貢献できたことを喜べばいいわ。神の寵愛を得られるなんて、それだけでその他大勢の人間よりもずっと素晴らしい人生のはずよ」



 所詮分かり合えない。そう思わざるを得なかった。



 だが、こちら側が神に関わらないようにしたいと思っても、それは容易なことではない。この神は、聖バルゴニア王国の聖都に建つ本神殿。そこに住まう聖女を依り代として、常に顕現しているからだ。



 神の託宣を聞く為に、一時的に巫女や聖女に神降ろしするのではなく、歴代聖女の身体に憑依しているような状態といえばいいだろうか。



 故に、聖バルゴニア王国においての王家は、女神に統治を委ねられているにすぎない。あくまでも、主権者は名実ともに女神コーデュナである。要するに国の根幹をなすような方針や、重要な政治的問題の最終的な決定権は、女神が宿る聖女にある。



 だからこそ、俺が第四王子として生を受けた瞬間に告げられた「継承権を放棄する証書に血判させ神殿へと連れてくるように、この者は女神の裁きを執行する代行者としての使命を与える」という発表に対して、心のなかで不快な感情を抱く者はいても、異を唱える者は誰一人としていなかったらしい。



 こうして俺の人生は生まれた瞬間から、女神に弄ばれることが決定づけられた。



 女神は「裁きを執行する代行者としての使命」を与えると言ったが、要は人を殺すための道具と何も変わらない。そのために鍛えられ、役割に徹する一部品として働くように躾けられた。



 何故女神がそんなことをしたのかと言えば、人としてはあり得ない魔力量を持って生まれた俺のことを、別の神が宿っているのではないかと疑い、出来るだけ多くの命を屠らせることで、眠っているのではないかと思われる神を目覚めさせようとしたらしい。



 そんなことのためにあの女神は、明らかな罪人や敵対国であるラバルナ帝国関係者のような人間だけでなく、善人だとしか思えない人間も、幼い子を持つ家族想いの男も、世話になった人間も、躊躇いなく手にかけさせたのだ。



 それを知ったのは十四歳の頃だったが、情けないことにあの頃の俺は、考えることを捨て去り、完全に怖れに支配されて、訓練された走狗のように躾けられ、女神に刃向かう気持ちなど微塵も持てなかった。




 だが――あれは何かの視察で聖女と供回りのものたちと共に遠出をした帰りのことだっただろうか、パルル川のほとりで聖女が一人佇み、消え入りそうな声で、何かの歌を口ずさんでいた時だった。同じ箇所を繰り返し、繰り返し、繰り返し、何度も、何度も、何度も虚ろな目で歌い続けるその声はひどく物悲しくて、やりきれない思いが募った。



 衝動的だったのか、ずっと前から考えていたのか、自分でもわからないままに、ひたすら、何も感じない。何も考えるな。そう念じながら背後に回ったのは覚えている。



 そして、一思いに全力で剣を横に薙いでいた。だが、斬った筈の首は飛ばなかった。哀しい歌声は依然としてそのまま続いていたのだ。唇を噛みしめて全魔力を練り上げ、最大火力の魔法を限界まで収束させ、天から落とした。



 地は震え、凄まじい衝撃が走り、全てが薙ぎ払われ、あった筈のものが周囲から失われてすり鉢状の窪地へと一変している。それでも聖女は全くの無傷で悠然と立ち上がり、振り返った。



 目には先ほどまでの虚ろさはもはやなく、正気が漲り、嘲笑が浮かんでいる。最高火力で叩き込んだ攻撃が、微塵も通用しなかった。避けることすらなく悠然と嗤っている女神を見て、神に勝とうとする愚かさを思い知る。やはり勝負になどならない。同じ舞台の上にすら立てない。当時すでに最強だの化物だのと怖れられていた自分の力でも、所詮は真に力ある神の前では無力。



 女神は茫然としている俺に追い打ちをかけた。



「私が宿っている限り人の放つどんな攻撃も届かない。諦めなさい。でも、この身体もそろそろ使用期限が切れるの。そうなればこの身体は勝手に朽ちるから待ちなさい。でもまぁ、アナタは殺せないと分かっていたから、やったのよね。この子を本当は殺してしまいたくはないのでしょう。苦しみから助けてあげようとしている、そういうポーズを見せるためだけの、この子へのアナタなりのアピールよね。いやらしいわ。それに、助けてと頼まれたわけでもないのにね、なんて自分勝手なんでしょう」と。



 違う。俺は本気で……女神の手の中から逃れられずに苦しむ聖女を見ていられなくて、自ら手にかけ救ってやりたいと思っていた。だが、女神の言葉を否定しきれない自分がいた。聖女を救いたいのに、苦しむ姿であってもいいからずっと見ていたい自分もいたのだ。殺したいほど女神が憎いのに、女神の強大さに怯える自分もいた。とっくの昔に本当はすべてを諦めている自分までいた。打ちのめされてしまったこの時、俺は十七だった。



 

 過去の様々な感情まで蘇ってしまい、何故こんな今更なことをつらつらと思い出しているのか見失いそうになって、立ち止まる。



 しばし、ぼんやりして、ようやくファーギーの顔が浮かんだ。



 そうだ。俺は確かめたかったのだ。聖女が纏っていたのとまったく同じ気配を漂わせているファーギーに攻撃が通用するのかどうかを。



 だからこそ、クラウドの動向を見張らせていた者から、クラウドがファーギーの後を追っているとの連絡を受けて、すぐさま駆け付けた。



 そして、襲われ、劣勢に立ち、片足が斬り飛ばされるのを黙って見続けた。結果は明らかだった。間違いなく攻撃が通る。少なくとも今の時点で、ファーギーを殺すことは可能だ。あとは、クラウドが息の根を止めるまで待つべきだった。あのまま、見ているだけでよかったのだ。



 だが、身体が自然と動いて助けてしまっていたのは、おそらく、聖女とファーギーを無意識に重ねてしまったためだろう。



 聖女の虚ろな瞳が脳裏に浮かぶ。あれから十五年も経つというのにまだ引き摺っているのか俺は――そのせいで、不可解な行動をとってしまったのかと、己に呆れてしまう。




 十中八九ファーギーは、いずれ朽ちてしまう聖女に代わる新しい器だろう。女神にこれ以上好き勝手させないためにも、絶望したまま長い時を生きる憐れな聖女と同じ苦しみをファーギーにさせないためにも、壊しておくべきだ。



 それに、あの女神は人の心を執拗に弱らせにかかる。ファーギーにその気はなくても、聖女になる前に敵に回ってしまう可能性は高い。



 苦いものを飲み込んで、覚悟を決めた。いざとなれば、非情にはなれる。



 歩き出しかけて、ふと疑問が湧いた。ではなぜ、クラウドはファーギーを殺そうとしたのか「女神の思し召し」などと胸糞悪い言葉にのみ反発してしまったが、何か見落としているのだろうか……。



 ハーエンドリヒ侯爵を調べるべきかもしれない――。目的地を変更して、今度こそ再び歩き出した。

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