11. ファーギーは追い詰められ、死の淵に立つ(後半)※ファーギー視点です。
抗う事を放棄しそうになった瞬間。
剣を受け止める金属と金属がぶつかりあう激しい音が響いた。
濁って淀んでいた空気が一瞬で澄みきったような錯覚。
一体どこから湧いて出たのか、黒刃の剣を持つ男が、わたしを庇うように背を向けて立ち、片手で相手の剣を受け止めていた。同時に、もう片方の手が後ろ向きに、逆手で瓶を放り投げてくる。
放物線を描いて飛んでくる瓶。あらかじめ蓋が空けてあったのか、中身が降り注いで、太腿から先を失った足の上にかかった。
失いそうな意識の片隅で、その光景をぼんやりと眺めていたわたしの判断力が、かけられた液体の効果によって僅かに復活する。
これは、ポーション。
「いまのうちに、傷を癒せ」
落ち着いた低い声に、我に返った。
ポーションによって死の淵から少しだけ引き戻されたものの、それで治しきれるような怪我ではない。
残された力を振り絞って斬り飛ばされた片足の方へと這いずっていき、意識を懸命に繋ぎながら、間一髪のタイミングでホーリー・ハイヒールを唱えた。切断された部分が光の粒子に包まれ、接続し、みるみるうちに傷が塞がっていく。
際どいところだった。もう少し遅ければ、止めを刺されなくても癒しの魔法を使うことも出来ずに失神したまま失血死していただろう。
「さて、クラウド。俺とこのまま戦う気はあるのか」
「まさか。ジョルト・ランフェラート第四王子殿下、いつもお伝えしていますが我々は貴方と敵対するつもりはないですよ」
えっ、何を言っているの。サイラスと呼ばれていた、あのおっさんが……第四王子って、嘘でしょ。予想外の呼ばれ方をするのを聞いて、言葉も出ない。
「その名で呼ぶなと言ったはずだが」
「戦いに水を差されたのです。これぐらいの意趣返しは許して頂けるでしょう?」
「チッ」
「ですが何故、その女を助けるのです? 特別親しい間柄ではないはずですが」
「さぁな。それを言うなら、どうしてお前が神官を襲う?」
「ハーエンドリヒ侯爵は、女神の思し召しであると――」
「なら、お前に殺させるわけにはいかない」
女神の考えが絡んでいると耳にした瞬間、余程思うところがあるのだろうと感じる不機嫌そうな声で、言葉を遮った。
「わかりました。この場は引きましょう。ですが、もう一度よくお考えになってください。最善の道を選んで頂けると信じています」
「諦めろ、何度言われても、侯爵が考えを変えない限り手を組む未来はない」
「ままなりませんね……」
言うや否や剣を収め、踵を返して足早に去っていく。
その背中を見ながら、命を拾ったのだと実感が湧いてきて、ようやく緊張が解ける。だが、血を失いすぎていてしばらく立ち上がることは出来そうになかった。仕方なく、上半身だけ身を起こした態勢のまま、わたしを助けてくれた相手に声をかけた。
「助けてくれてありがとう。でも……どうしてわたしを助けたのよ」
「強いて言えば、女神に人生を弄ばれている者同士だから――だろうな」
やめて欲しい。颯爽と現れて、絶望的な状況を覆して助けられてしまったうえ、どこか似た境遇にあるなどと囁かれたら、胸が苦しくなる――。
「ねぇ、ジョルト殿下と呼ぶべき?」
「やめてくれ、生まれると同時に継承権を放棄する証書に血判させられているし、それ以降も王子としての扱いを受けたことなどない身だ。敬称なんか必要ない」
「なら、ジョルト?」
「いや、おっさんのままでいい」
「サイラスと呼ばせてもらうわ」
「おい……好きにすればいいが、ったく」
やれやれとでも言いたそうな感じで目を細め、苦い笑みを唇の端に乗せて見下ろしてくる。何よ、名前で呼ぶぐらい問題ないでしょと睨み返していたら……しばらくまともに動けそうにないわたしに近づいてきて、手を掴んで力強く引き寄せられ、あろうことか軽々と抱き上げられてしまった。
「ちょっと! 何するのよ! 下ろしなさいよ! ティナと違って重いから、やめてよ。それに血がついて汚れる!」と拒否しているのに。
「助けたついでだ。せっかく助けたのに、放置して誰かに襲われたら寝覚めが悪いだろうが」などと言いながら、抱き上げたまま宿屋まで運んでくれるという。
いたたまれない気持ちでいっぱいになった。
本当にやめて欲しい。魔道具屋で出会った時にも少しだけ予兆はあったのだ。最初は得体のしれないおっさんとしか感じなかったのに、この男の自嘲するような笑みを見た瞬間、惹きつけられそうになって、でもその時の微かな動揺は上手く抑え込んだはずなのに。
こんな形で助けられて、こうやって世話を焼かれて、抑えきれなくなったらどうしてくれるのだ。
コイツ、意外と女たらしじゃないだろうな。誰かこの男の息の根を止めてくれないだろうか。心の中でそんな悪態を吐いてしまう。
それにしても、お姫様抱っこというのは、こんなにも相手の体温や匂いを感じるものなのかと驚愕する。鼓動が速くならないように、顔が赤くならないように、必死に平静を保とうと努力した。ところが意識しないでおこうと思えば思うほど余計な力が入ってしまう。
会話もなくこの状態で宿屋まで運ばれるのは、羞恥の限界を越えそうなので必死に何か話すことを探した。
「あのさ、わたしが死んだら妹も死んでいたのよ。だから、心から感謝するわ。本当に助かった」
「……それはどういうことだ?」
わたしの事情なんて何の興味も示さないだろうと思ったのに、つっこんで尋ねられただけでなく、翳の宿る瞳に凝視され、これまで誰にも話したことのなかった過去を口にする気になってしまった。
父を失って、母がわたしたち姉妹を捨てるまでの事情。さらには、わたしが女神に頼ってしまった理由を。
妹と二人だけになった時、わたしは九歳で、魔法が使えず、がりがりに痩せた骨と皮だけの状態で、剣を持ち上げることすらできない非力さだった。冒険者登録も受け付けてもらえず、正規の仕事は貰えなかった。それでも必死に個人的に頼み込んで、やっともらえたのは、若い駆け出し冒険者たちの後をついて行って魔物の解体作業を手伝い、おこぼれを恵んでもらう事。
あの頃に受けた屈辱的な行為の数々は、思い出したくもないから省く――。
それでも、わたしには三歳下の妹レティがいてくれたから「この子のために」そう思うだけで、どんなことにも耐えて、なんとか弱音を吐かずに頑張れた。
なのに、元々弱かった妹の身体は七歳になる頃にはもう限界で、固形物を飲み込む力すら失って衰弱し、寝たきりの状態になって……ある日ついに、帰宅したわたしが見たのは、鼻と口から血を出したまま意識のない妹だった。
わたしに頼れる人は誰もいなくて、声をあげても誰も助けてくれなくて、どんな神様かもよく知らなかったけれど、無我夢中で女神コーデュナの神殿に助けを求めたの。
神殿にたどり着いて、解放されている祭壇の前で、ただひたすら祈った。
「なんでもします。わたしの身体でも何でも自由に使ってくれていい。わたしの命でも、なんでもあげます。だから、どうか、妹の命を助けて欲しい。妹だけはお願いだから幸せにしてあげてください。どうか、どうかお願いします」って。
とにかく、一心不乱に祈り続けて、声が聞こえたの。
《いいわ、契約を交わしましょう。あなたの妹を治してあげる。ただし、あなたの願いを聞き届けてあげる代わりに、対価が必要なの》と。
わたしには女神との契約を受ける以外に道はなかった。
妹があのまま亡くなっていたら、わたしに生きる意味はなかったから。
でね、健康になった後で気づいたことだけど、妹には付与効果を与える魔法の才能があったの。妹はいま魔道具職人になる夢を抱いて有名な職人のもとで住み込みの修行をしているわ。あの子は努力家だし、めげない子だから、きっと超一流の魔道具職人になるわよ、すごいでしょ。
だけど、女神の意志に従って働くという契約の半ばで勝手に履行不能にしたら、妹の命は呆気なく奪われると脅されている。
だから、サイラスが助けてくれなかったら、わたしはあの子が努力して築き上げている幸せを奪ってしまうところだったの。
そこまで話し切って、ハッと我に返る。サイラスの腕の中に抱かれたまま、まるで子供が親に話すような勢いで、次から次へと話しきってしまった自分が信じられない。恥ずかしくなって、顔をあげられず、唇を噛みしめてしまう。
「いいお姉ちゃんだな」
聞き終わったサイラスが発したのはたった一言。だけど、なぜか沁みた。わたしは、喉と鼻の奥に力を入れて、涙が出そうになるのを必死で堪えて言葉を放つ。
「とにかく、そういう訳だから、あなたが助けてくれなかったら、わたしの妹の命はなかった。だから、助けてくれてありがとう。恩に着るし、借りは返すわ。いつでも取立てに来て頂戴!」
「わかった、覚えておこう」
低い声が返ってきて、抱き上げられたままの体勢で見あげると、サイラスの暗い瞳がじっとわたしを見つめていて、無理やりサイラスから視線を引き剥がして、再び顔を伏せる。
胸が締め付けられるような感覚を、必死にティナの屈託のない笑顔を思い浮かべることで抑えた。最初から勝負がついている。サイラスに惹かれても、幸せになれるはずがないのだから、本当にやめて欲しい。
宿にたどり着いて、サイラスが帰っていくと、忌々しい声が聞こえてきた。
《奪ってしまえばいいじゃないの? そうして幸せになれれば、わたしは消えるのよ。貴方の願いでしょ》
ティナとサイラスを結び付けようとしたくせに、二人の出会いを運命と言っていたくせに、今さらなんでそんなことを言い出すのよ。騙されない。この女神の欠片は、わたしが不幸になるのを待っている。負の感情に囚われてしまうように誘導しようとしている。
《そうだわ、サイラスとティナの出会いが女神によって仕組まれていたと教えてあげたら、あの男は反発して、あの娘から離れようとするんじゃない?》
女神の欠片の言葉が毒のように、じわりじわりと、流し込まれる。耳を塞ごうにも、その後も続く声に眉をしかめながら耐え続けた。
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