10.ファーギーは追い詰められ、死の淵に立つ(前半)※ファーギー視点

 尾けられている。それも強烈な敵意を滲ませて。



 外見だけに惹かれてしつこく後を追ってくるような、軟派な手合いとは明らかに違う気配。



 なぜ狙われるのかよくわからない、心当たりのないケースが最近増えていて困っている。ここしばらくは特定の人間や組織に恨まれるようなことをした記憶がないのに。



《動き出したのよ。聖バルゴニア王国で二百年に一度、繰り返されてきた宴がね》

(何よそれ、何故それが理由でわたしが狙われなきゃいけないのよ)

《貴方にもそろそろ、移動してもらおうと思っているわ。そうしたらもう少し詳しい話を教えてあげる》



 相変わらずこちらが知りたいことを直前まで隠す傾向がある。おまけに勝手に操られ、振り回されて、そのツケを支払わされ、それが原因で命まで狙われる。



 でも、そういう事情なら、今回の尾行を一度撒いたとしても、それで諦めてくれるという事はなさそうだ。



 逃げ回っても埒が明かない、対峙する覚悟を決め、気配を探り直す。



 尾行相手が持つ魔力の流れ自体はあまり感じないが、これは実のところ殆どあてにならない。わたし自身もそうだけど、魔道具の指輪一つで魔力量が悟られないように隠蔽することが可能だから、対人戦闘を頻繁に行う人間であれば大抵身に着けている。



 つまり、実際に向き合ってみないと、なかなか本当の実力は測りきれない。



 いざ戦い始めて、近接戦闘を得意とするタイプだと、普通は神官が一対一で相手取るには相性が悪い。それでも、自分はこれまで何度かそういった相手とも戦い、生き残ってきたという自負がある。



 だから誘ってみることにした。



 姿を現しやすいように、王都の南西側。潮の匂いが濃くなる方向。スラム街を進み貧民窟を抜け、製塩所を通り越し、埠頭近くの積み荷置き場のさらに先、使っていない木の大樽が並べて置いてある人通りのない場所。



 そこまで来て、ようやく一人の男が近づいてくる。



「誘い込むとはよほど自信があるみたいですが、愚かですね」



 身なりの整った、均整のとれた身体つき。背筋がピンと伸び、褐色の髪と青い瞳には頑固そうな強い光が宿っている。腰には高そうな剣をぶら下げていた。



 不味い。想定したよりもずっと手強い。相性的には最悪の部類。対人戦に特化している何処かの軍人の匂いがする。しかも相当実戦慣れしている。多分、身体強化の魔法に長けていて、近づかれたら勝機は薄い。



 この場所に誘い込んだ自分の浅はかさを呪いたくなる。



 わたしの切り札の一つ、最上級攻撃魔法ホーリー・メテオは、極限まで凝縮させた聖なる力の塊を天から流星のように大量に降り注がせる魔法だが、威力が高すぎるために王都内で使ってしまうと甚大な被害が及んでしまう。



 当然こんなところでは使えない。



 もう一つの切り札は詠唱時間がかかりすぎて、仕込みに手間取る。敵が眼前にいるこの状況で使える魔法ではない。



 どうする――。



「女性を襲いそうな手合いには見えないのだけど、目的を教えてもらえるのかしら」

「祖国の平和と、我が主が掲げる正義の為に、ここで死んでもらいます」


 

 使命の為に人生を捧げると宣う者特有の、独善的な高揚感が漂ってきて鼻につく。



 話し合いは無理そうだ。おまけに、すでに腰の剣に手を添えて殺気を滾らせている様子からも、逃げる機会を与えてくれそうな間抜けでもないだろう。



 息をつめて、短杖を握りしめ。無詠唱で素早くホーリー・プロテクションを発動する。自身の全身に聖なる力で膜を張り、物理攻撃でも魔法攻撃でもその威力を一度は完全に防いでくれるという強力な防御魔法。



 これで一応の保険は掛けられた。



 ただ、これだけの相手と戦わなければならないのなら、どうしても自分のうちに宿る存在、女神コーデュナの欠片に確認しておきたいことがある。



(命を狙われるのは、わたし自身の落ち度ではないと思うのだけど、ここで死んだら、叶えてもらった願いはどうなるの)

《落ち度がない? 負けて死んだ時点で貴方の落ち度でしょ。私が消えるまでの期間は、女神の意志に従って働いてもらう。その契約を半ばで勝手に履行不能にして、不幸なまま人生の終わりを迎えるのだから、契約不履行。即座に貴方の愛する妹の命は願いが叶わなかった状態に戻される。とっくに死んでいた命なのだから、その魂をすぐにもらい受けてあげるわよ》

(ハッ。相変わらず慈悲の心など微塵も感じさせない返答をありがとう)



「どうにも集中しきれていないようですが、舐めすぎではないですか――ッ!」



 言葉を発しながら、驚異的な突進力で一気に間合いを詰めて剣を真っ直ぐ突き込んでくる。男の攻撃を、サイドステップを踏みながら無詠唱のホーリー・レイを発動し、聖なる力を帯びた閃光を複数放射して反撃することでかろうじて躱した。即座に走って距離をとり直す。



 ホーリー・プロテクションはあくまでも保険。攻撃は一度でも受けたくない。最低限保っていなければいけない距離。これをどうにか死守していたい。



 ホーリー・レイが掠ったのだろう。男の左腕から血が流れだし、殺気がさらに一段上がって睨みつけられる。



 頭に血が上ったのなら、チャンスか。ホーリー・ランス! 



 男が立っていた背後の地面。すれすれから聖なる槍を無詠唱で三本同時に発現させ、不意打ち気味に急襲させたのに。すべて剣で捌かれ、弾かれてしまう。



「思っていたよりも詠唱が速いですね」

「それはどうも、でも通用しなかった相手に言われたくないわ」



 不敵な笑みを浮かべて詠唱速度を褒めてくる相手とは違い、こちらは綱渡り状態。余裕はない。



(ねぇ、この男から、わたしを助けてくれる気は?)

《うふふ。過度の介入はしない主義なの。とても心地良いわよ。貴方が追い詰められたときの焦りも、怒りも、とても美味しい、私を育ててくれてありがとう》



 相変わらず忌々しい存在だ。



 ホーリー・サンライト! 陽光のような光を周囲に照らしだすだけの魔法。ただし、直視していれば数秒間目が見えなくなる。要は、目くらまし効果を期待しての魔法。



 予期していなければ確実に視界を塞いでいるはず。今が最大のチャンス。走りながらさらに距離をとって、中級攻撃魔法を唱える時間を作り出した。



 ホーリー・ピラー! 聖なる力の柱を男の上に落下させる。地面を抉る派手な破砕音が轟き、砂塵が立ち昇った。やったか?! 



「甘い」

「くっ――!」



 凄まじい殺気。目を閉じたままの男が左側から突進してくる。



「アース・グラベル!」男の詠唱。



 しまった――空から土属性低級魔法の飛礫が降り注ぐ。



 転がるようにして大半は躱し、すぐに体勢を立て直すものの、すべて避け切るのは不可能だった。目を一時的に潰した段階で、攻撃ではなく逃げの一手を考えるべきだったかもしれない。



 そう思っても、もう手遅れ。



 躱し損ねた飛礫の一つによってホーリー・プロテクションの保護が発動してしまう。保険を、こんな小さなダメージで使ってしまった。



 目を閉じたままの男が、距離をさらに詰めていて、酷薄な笑みを浮かべた。地を這うような下から上への斬撃が撥ね上がる。



 咄嗟に最も短時間で発動する攻撃魔法ホーリー・レイで斬撃を逸らそうとするものの、間に合わない。



 一瞬時が停まったかのように感じ、強烈な熱が太腿を襲い、衝撃が脳天まで突き抜けた。



 絶望的な絶叫が自分の口から上がるのを他人事のように耳にした。左足が太腿の半ばあたりから斬り飛ばされ、吹き飛ぶように仰向けに倒れ込んでしまう。



 何か、打開策はないか。上半身を起こし、足掻くための策を必死に考えるが、何も思いつかない。



 嫌だ。認められない。



 まだ死ねない。



 こんなところで死ぬわけにはいかない。そう思うのに、止めようもない血が大量に流れ、急速に意識が遠のいていく。



 結局、わたしは妹の幸せを、命を守れないのか。何のためにこれまで頑張ってきたんだ。虚しさが込みあがってくる。



 わたしの人生は妹の為にあったのに。目的を果たせずに、こんなところで終わるなんて。




 死の瞬間。思考は現実の時間軸と切り離されるのだろうか――。



 母が完全にいなくなった日、涙に濡れながら、それでも健気に笑顔を見せていた妹の顔が浮かんでは消えていく。



 思い出が脳裏を駆け巡る。



 それまでの数年間。すでにわたしたち姉妹の生活は悲惨だった。



 最初の不幸は、騎士だった父が亡くなったことで始まった。本来なら騎士が亡くなってもそれが名誉の死なら、残された家族が生活していくのに何の問題もなかったはずが、父の死は不名誉なものだったらしい。



 上官による戦場での処刑。教えられたのはその事実のみで、何があったのか詳しいことは知らない。もしかすると母は知っていたのかもしれないが当時のわたしに事情を知ろうとする意識はなかった。周りの大人や子供たちの嘲りや罵倒のみが鮮明に記憶に残っているだけだ。



 とにかく、そんな事情で働いたこともなかった母は突然、病弱なわたしの妹と、まだ幼くて働けないわたしを抱えて生きていかなければならなくなった。しかも、不名誉な死を遂げた父に対する誹りを一身に受けつつ。



 そこからはよくある話だ。実家からの援助も受けられなかった母に出来ることは春を売ることだけで、日増しに心身を病み、徐々にわたしたち姉妹に苛立ちをぶつけるようになっていった。それでもまだ、その時はマシな方だった。



 男に入れあげている淫売の子供、そんな嘲りを周りから聞かされるようになったころ、母は自宅にほとんど帰ってこなくなり、放置されるようになった。そして遂に、母の痕跡が完全に消えた貧民窟の小さな部屋でわたしが感じたのは……諦めだった。なのに、妹はわたしよりはるかにやせ細った病弱な身体で、涙に濡れた痛々しい笑顔を見せながら、わたしをなんとか元気づけようとしてくれたのだ。



 あの日に見た妹の、目をそむけたくなるような哀しい笑顔を見た瞬間から、わたしはあの子の為だけに生きようと決意した。その想いがあの時のわたしを、生かしてくれた。母はわたしたちを捨てたけれど、わたしは妹を見捨てないと。なのに、こんなところで終わってしまうのか。



 わたしがここで死んだら、妹まで死んでしまうのに――。



 薄れゆく意識の端で、男が閉じていた目を開けたのが見えた。その瞳にはしっかりと光が宿っていて、目くらまし効果の影響は感じられない。神聖魔法の使い手との戦闘経験があって、最初から目くらましすら予期していたのかもしれない。完敗だ。



「思ったよりは楽しませてもらいました。ですが、これで終わりです」



 振り上げていた剣が煌めいて、必殺の剣が上段から振り下ろされた――。

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