18.わたしが、幸せにしてあげたい


「ジョルト殿下のお心を変えなければ、罪のないものたちの血が多く流れます。殿下をハーエンドリヒ侯爵の陣営に引き入れてくだされば、全面的にティナ殿を支援すると約束しましょう。勿論、呪詛を取り除くためにも尽力させていただきます」



 即答できないのを見て「時間切れにならないうちに色よい返事がいただけるのを期待しています」と言い残し、クラウド・ランフェルは去っていった。



「どう思う?」

「信用に値しない。自分の見たいようにしかものごとを見ない、隠しきれない偏狭さが鼻につくわ」

「俺も、ハーエンドリヒ侯爵だっけ? その人について語る時の様子が狂信的に見えて、ちょっと怖かったな」

「そうだよね。なんとなく、嘘とか、隠していることとかたくさんありそうな気がして、わたしも信用するのは不安……」



 クラウドに対する評価は少しずつ異なりながらも、気を許して今すぐ協力関係に入ることは到底できないとの判断で、三人とも意見の一致をみた。



「だけど、ティナに呪詛をかけた術者をどうやって知るかが問題だよな」

「エマの安否も、なんとか確かめたいし、協力するふりをして聞き出すとかできないかな?」

「わたしはあの男が本当に術者を知っているかどうかも怪しいと思っている。当てにするのは危険だわ。それに、あの男は協力するふりに騙されるほど甘くない。サイラスを待った方がいい。待つ間に、いつでも王都から移動できるように色々準備だけはしておきましょう。その間にわたしも情報を集めてみるから」



 たしかに、サイラスに会って、直接話を聞きたいし、それが確実かもしれない。それに、ファーギーにはわたしにはない伝手があって、何かの情報が得られるかもしれない。だけど……。



「ティナ、エマのことが心配なのはわかるけど、焦っても俺たちじゃ手掛かりがなさすぎるし、よくわからない相手と手を結んで聞き出すのはファーギーの言う通り危険だ。とりあえず俺は……ティナと同じ宿に移動する。何かあった時にその方がいいだろ。協力しないとなれば、あのクラウドも敵に回るかもしれないし」



 心配そうな表情を隠そうともせずに、アルがそんなふうに言ってくれる。



「うん、ありがとう、アル」

「……わたしも、一応宿屋を移しておくわ。何が起きるか予断を許さないし、あんたを狙う敵が他にいないとも限らない状況じゃ戦力は多い方がいいでしょ」

「本当は、命の危険が迫っているという実感はまだ乏しいんだけど、でもすごく心強い。ありがとう。二人とも頼りにしている」

「俺、ファーギーも口が悪いだけで、実は良い奴のような気がしてきたわ」



 わたしもそう思う……と、言おうとしたら、冷たい表情でアルを睨みつけたファーギーが呟く。



「二人とも、わたしを信用しすぎない方がいいわよ」



 悪ぶっているというよりは、思いつめたような暗い声が気になって、おもわずアルと顔を見合わせてしまうが、その時にはすでにファーギーは背中を向けて自分の宿屋に荷物を取りに行くため歩き出していたので、声をかけそびれてしまう。



 その日の夜も、その次の夜も悪夢を見た。振り払えない背後からの粘りつくような視線と気配に悪寒を感じずにはいられなくて、神経がささくれ立っていく。



 それに加えて、赤黒い染みは夢を見るたびに広がり、真っ白だった壁や床や天井が確実に薄汚れ、不安が高まってしまう。



 目覚めるたびに、冷たい汗で全身がびっしょりと濡れ、頭の芯が痺れたようになってひどい倦怠感に襲われている。さすがにこれが毎日続くとなると、怖くて、不安で、心細くて、頭がどうにかなってしまいそうだ。




 さらに次の日も悪夢を見て、夜中に飛び起きると――近くに、よく知った気配を感じて、安心感が胸いっばいに広がった。



 帰ってきた。帰ってきてくれた! 傍にいてわたしを見てくれていたサイラスに気づいた瞬間、黙って出かけたことへの不満など一気に吹き飛んで、嬉しくて堪らなくてサイラスにしがみついた。見あげると、初めて出会った時のようにうっすらと無精髭を生やしていて、自然と言葉が湧き上がってくる。



「あぁ、無精髭が生えてる。なんだか懐かしい。ちょっと離れていただけなのに、会いたかった! やっぱり、わたしはサイラスが傍にいてくれるだけで、すっごい安心感だよ! おかえりなさい!」



 返ってきてくれた喜びで、ふにゃふにゃに顔が緩んでしまう。なのに、おじさんの顔は顰められたままで、笑顔を見せてくれない。



「ティナ、こんな時間だが、話を聞いてくれるか――」



 硬い表情のままそんな言葉と共に始まったサイラスの身の上話は、想像以上に過酷で、辛くて重くて、胸を衝かれて、泣き出しそうな気分になる。



 だけど、それと同時に、だんだん話が後半になってくると腹も立ってきた。



「おじさん……頭の中で考えすぎじゃないかな」

「…………」

「五年の間、ただ人助けをしていただけじゃなく、いろんな人を見たり、関わったり、経験をして、人間としての幅もきっと広がったんだよ。わたしが最初好きになったのは、外面の格好良さだけど、その後もどんどん大好きになっていった部分は、絶対に『人間らしい顔の仮面』なんかじゃない!」



 この人は今まで、きっと誰にもまっすぐ愛を表現されたり、感情を言葉にしてぶつけられたりしたことがないんじゃないかと思うと、恥ずかしくても、みっともなくても、全部口にすべきだと思った。心の距離が開かないように。



「だって、わたしがすることをいちいち笑って見てくれていた時も、わたしのことを揶揄って意地悪そうな顔をした時も、楽しそうだったよね? わたしの我儘を受け入れてくれる懐の深さも、いつも余裕があって面倒見が良くて、大きな手でわたしの頭をなでてくれたあの優しさも、ただの仮面のはずがない! 戦っているときは眉一つ動かさずに非情かもしれないけど、全部含めておじさん自身だよ。わたしはおじさんの全部が大好きだよ」

「わかった。もう泣くな」



 そう言いながら伸びてきた手を、ぺしこーんと払いのける。



「わかってない! わたしが穢れを知らないから、あと一歩距離をつめられなかった? おじさんと、聖女さんがどれだけ穢れているかは知らないよ! 知らないけど、わたしだって、咄嗟に嘘をつくような子だよ。おじさんをお持ち帰りしたのも、乙女の慎みとか、貞操観念とか、世間体とか考えて眉を顰める人もきっといるよ、特別清く正しいわけじゃない! おじさんの喉仏とか二の腕とか腹筋とか骨ばっている指先とかを見て触りたくてうずうずしたし、匂いもクンクンしたし」

「…………いや、穢れているのは色欲の話じゃなくて」

「サイラスの子供が王になるかもしれない? 争いの火種になる? だから、手を出してなくて正解だった? 王になるかどうかなんて、生まれてきた子供が決めればいいんだよ。予言なんて知らないよ。わたしはおじさんとの、こ……こども、い、いっぱいほしいからね! 予言のせいで、子供作らないとか絶対にないからね!」

「……女神に振り回され過ぎだと言いたいのか」



 自嘲気味に笑うおじさんを見て胸が痛くなる。おじさんの考え方は、わたしが想像できないほど、女神に苦しめられてきた結果なんだろうとは思う。それでも――。



「もしかして、呪詛を解呪出来たら危険から遠ざけようとしてる? 今さら自分は相応しくないとか思ってる? 絶対に離れないからね。わたしは……ただ一緒にいたい。それだけでいいじゃない。もっと自由に生きようよ」

「ただ一緒にいたい、か……」



 哀しみの宿る瞳に見つめられて、思う。



 お互いが同じだけの量、相手を想っている訳でないのは知っている。きっとこの人の中でわたしに対する好意なんてまだわずかで、聖女さんに対して抱いていたような強烈な執着は、わたしに対して持っていないのだと、過去話を聞いていてはっきりわかった。



 最初に一目惚れした時からずっと、いつも必死に近づいて、一生懸命愛の言葉をささやくのはわたしだけで、わたしばっかり好きで、大好きで、いつまでも一緒にいたいと心底願っているのはわたしだけなのかもしれない。



 だけど、そんなの関係ない。わたしはこの人を支えられるようになりたい。命尽きるまで傍にいて、普通の喜びを感じられるように、貪欲になって自然と願いをたくさん口にできるようにさせてあげる。ずっとずっと愛して、当たり前に幸せを感じられるようにしてあげたい。



「ティナには一応護衛はつけていたんだが。それでも、隙をつかれて呪詛にかけられた。俺が傍にいれば守れると思っていたが、いつでも一緒に行動できるわけじゃない。呪詛が解呪できても、きっと、その先もあらゆる手を使って命を狙われ続ける。戦いにも参加することにもなる。そして、人はあっさり死ぬ。周りの人間もきっと誰か死ぬ。それでも傍にいたいか?」



 周りの人間が死ぬかもしれない――その言葉に、一瞬だけ言葉がつまりかける。だけど、どうしても譲れない。



「みくびらないでもらいたい。勝手に罪悪感も覚えないで」



 わたしの答えを聞いて、おじさんが目を閉じた。沈黙が苦しい。それでも、再び目を開けた時には、瞳に強い光が宿っていた。強い眼差しに、こちらも真っ直ぐに視線を合わせる。



「男前な答えだな。俺は、辺境伯と共に神などいない新しい国を作ろうと思っている。一緒に新しい国を目指してみるか?」



 目の奥が熱くなる。心が震える。これから先、何が起きるか分からない。本当に多くの血が流れるかもしれない。それでも、一緒にいたい。



「もちろん、どこまでもついていくよ!」



 そういえば、気になる点が一つ残っていた。



「あの、名前は?」

「サイラスのままでいいさ。せっかくティナがつけてくれた名前だ。ミドルネームとして残す。ジョルト・サイラス・ランフェラート。それが俺の名前だ」

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