17.迷っている間に犯した失態は、取り返せるのか ※サイラス視点です。
辺境伯に言われた通り、助けを必要としている人を目にすればそのすべてに手を差し伸べるようになったが、当初はそこに何の感情も伴っていなかった。
それまでの役割と変わらず、淡々とこなしていくに過ぎない。
だが、さすがに国を出て三年、四年と、日々遭遇する相手を対象に「人助け」を繰り返すにつれ、仕事や役割というよりは、もはや身にしみついた習慣のようになって身体が自然と動きだす。
そうなってくると、時には虐げられている人を見て苦い気持ちが芽生えたり、助けた相手が近しい間柄の者と再会し泣いて喜ぶさまを見て安堵を覚えたり、人間同士の繋がりの良さや、縁の大切さすら分かりかけてくる。
そのうえ、聖バルゴニア王国の周辺諸国すべてに知り合いと呼べる人間が少しずつ増えるにつれ、笑顔を見せることや、軽口をたたき合う事すら自然とできるようになっていった。
ティナと初めて出会ったのはそんなふうに変化した後で、もしもあの出会いがそれより一年前なら、面白い娘だとは思っても深いかかわりを持つようにはならなかっただろう。
確かに自分は、辺境伯の目論見通り「人間らしい顔」をするようになったのかもしれない。だが、その一方で何ら変わっていない部分もあった。
今でも繰り返し差し向けられる刺客は、女や子供が相手であっても、すべて徹底的に返り討ちにしている。ティナと初めて野営をしている際に襲ってきた相手も彼女が眠っている間にすべて皆殺しにして埋めた。盗賊団に数人の手練れが交じっていた時には刺客を疑い、動きが素人に毛が生えたような奴ら以外はすべて狙って息の根を止めた。相手に対して同情の念を抱いたことはない。
スイッチを切り替えるように非情になるのは容易で、だからこそ思うのだ。人間らしい顔をするようになっておきながら、人間らしい感情を簡単に失くして冷酷な手段をとれる自分は、人間らしくなったのではなく、そういう仮面をつけることが可能になっただけではないのか――それは、前よりも小狡くなっただけではないのかと。
あと一歩ティナの手を掴み切れない理由がそこにある。
あの子は、聖女や俺とは違い、あまりにも穢れを知らない。
純粋な心で、感情表現豊かに気持ちの丈を表し、無邪気によく笑い、よく喋り、晴れ渡った陽射しのように明るく、感情の赴くままに突拍子もないことをして驚かせ、一時期自分を追い出して傷つけられたはずの幼馴染やファーギーとすら仲良くしようとする。
自らの汚れきった手を握りしめ、虫のいい話だ、人間らしい仮面を付けられるだけの自分が腕の中に抱いていては、いつか必ず手痛いしっぺ返しがくる――そんなことを考えていると、男の声で意識を引き戻された。
「ぜんぶ喋った……だから、頼む、もう殺してくれ」
壊れたように同じ言葉を繰り返しながら横たわっている男を一瞥し、気持ちを戻して、得た情報を整理する。
この男を締め上げはじめてから二日がたった時だ。命乞いではなく、殺してくれと懇願しながら、知っていることすべてを喋り始めたのは――。
ファーギーとクラウドの戦いに水を差した後、ティナへの伝言を宿屋に残しておくようにと辺境伯との連絡員の一人に指示し、すぐさま王都を出発して北西に街道を進んだ先にある街へと移動した。
今のところハーエンドリヒ侯爵の陣営と完全に事を構える気はないので、クラウドはまだ生かしておきたい。そのため、王都にいる連中は避けて、以前から掴んでいた、別の街にある彼らのアジトまでわざわざ足を伸ばしたのだ。そこにいたのはわずか三人で、制圧は容易だった。
ハーエンドリヒ侯爵の当初の思惑が、自らの娘ジャネットを俺に嫁がせ、生まれてくる子を王にする形で第四の道を進むことであったことは知っている。何度も誘いを受けていたからだ。
だが、今回尋問した男から得た情報ではジャネットとの婚姻には固執せず、次善の策として、ティナに様々な情報を提供し、俺の側室になれるように後押しすると約束して自らの陣営に引き込み、俺を説得させるために使う方針に切り替えたとのこと。
場合によっては、俺との子を身籠らせ、赤子だけでも手に入れるようにとの指示すら出されていると聞けば、ティナと関係を持つのを思いとどまっていたのは正解だったと言えるだろう。
男が洩らした情報から、ファーギーを襲った理由も判明した。聖女候補とされる神官が複数確認されており、どうやらハーエンドリヒ侯爵はそのうちの一人をすでに確保しているらしい。
てっきり、女神の次の器となるのはファーギーだと決めつけていたが……そうなると、まだ決まっていないということなのだろう。
四つの選択可能な予言をした際『これは淘汰するための予言。勝ち残った者たちこそが私の民として相応しい』と語ったのと同じことを聖女候補にもさせようとしているのかもしれない。
自らの欠片を卵のように複数の神官に産みつけ、淘汰するために生存競争をさせて不適当な個体を排除し、より優れた生存力を持つ強靭な神官を選別して、その者こそが己が宿るに相応しい聖女であると宣言する。
あの女神なら、それぐらいのことは平気でするはず。
ハーエンドリヒ侯爵の思惑をすべて知れたわけではないが、おおよそクラウドの動きは理解できたはず。とりあえずそれで十分だろう。
さて、アスメルン王国の王太子に面会するため、王都に戻らなければと思った時だった。
辺境伯との連絡員の一人が凶報をもってやって来たのは。
「申し訳ありません。我々がついていながら、ティナ殿を守り切れず――」
「いや、対象に気づかれないまま護衛するように頼んでいたのは俺だ。その状態で悪意の気配を感じなかった友人関係にありそうな者が近づいてプレゼントを渡すのを防ぐのはさすがに無理があっただろう。お前たちはよくやってくれているさ」
跪く男を前に、後悔と怒りの念が湧く。警戒心が足りなかったのは自分だ。十分予想可能だったはずなのに。早々にすべてを話し、俺がいな時にはせめてすぐ傍に護衛を配置していれば――。
「エマという娘は調べ終わったのか?」
「はっ、不可思議な現象を確認した後すぐに拉致し、尋問は終えましたが、言葉巧みに近づいてきた男から渡された品を、好意からプレゼントしたようで、何と言いますか、能天気で少々考えなしの娘というだけのようです。その為、箱を渡してきた男の素性等の情報も全く持っていませんでした。独断ですが、殺したように偽装したあと我々が匿っています」
この男は情に厚く、甘すぎるところもあるが、腕は確かだ。見落としや裏のとり忘れや情報の取りこぼしはないだろう。
「あの街にはもう住めないだろう。ティナもどうせ気に病むだろうし、本人が移住を了承するようなら、辺境伯領にでも連れて行ってやってくれ」
「では、そのように」
呪詛の箱を用意したのはハーエンドリヒ侯爵の思惑からすれば、クラウドたちではないだろう。そうなると、他の陣営のいずれかだろうが……手遅れになる前に、何としても術者を探し出し、倒す必要がある。間に合うだろうか、いや、何としても間に合わせる――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます