16. 女神が示した四つの未来と、辺境伯という男 ※サイラス視点です


 酔っ払いに絡まれているティナを助けたあの時点では、身にしみついた習慣のようにすらなっていた「人助け」を実行したに過ぎない。



 辺境伯が言ったのだ。



「とりあえず五年ぐらい、国を出て外の世界を見てきてください。でも目的がないとジョルト殿下はお困りになるでしょうから、そうですね……助けを必要としている人が目に入ったら、方法は問いません。とにかく全員助けてあげてください」

「……それが俺の新たな役割なのか?」

「あはは。そう捉えてくださってもいいです。それからせっかく国外に行くのですから、ついでにさくっと周辺諸国の王族とパイプを作って、わたしたちの理想に協力してくれそうな味方を適当に作っておいてください」

「ついでにさくっと……適当に……だと」

「次にお会いする時には、人間らしい顔になっているのを楽しみにしています」



 人を屠ることしか知らない身に、奇妙な役割を与えてくれるものだ……とは思ったが、何でもいいからすべきことを、進むべき道を示してくれること自体が、当時の俺にはありがたかった。



 なぜなら、その時の俺は途方に暮れていたからだ。



 それは、何の前触れもなく聖女の意識が浮上してこなくなったことに始まる。



 あまりに唐突で、受け容れづらかったが……。



 十代前半から二十代後半に至るまで途絶えることのなかった――胸や腕や首筋に咲き乱れていた赤黒い吸い跡が、薄くなり、消えていくのを見て、肉体はそこにあるのに、彼女はもういないことを実感せざるを得なかった。



 ようやく苦しみから解き放たれた彼女を祝福する気持ちはある。



 なのに、別れの言葉を交わすことも出来なかったことが棘のように刺さったままだった。彼女への想いは、一体どんな言葉で表せばよいものだったのか……今思い起こしてみても判然としない。互いに愛を囁いたことも、囁かれたこともない。それでも、機会さえあれば縋りつくように求めあい、間違いなく何かを埋めあっていたのだと思う。



 拠り所を失くし、虚無感に苛まれている俺を見て女神が微笑みながら告げた。



「聖女の魂がついに擦り切れただけよ。およそ四百年だからよくもった方かしら。肉体だけを動かしても味気ないし、新しい聖女候補を早く育てるわ」



 何の情も感じさせない言葉を吐く女神に苛立つ気力さえ湧かなかった。なのに、そんな俺を戸惑わせるような言葉を女神がつづけた。



「二百年に一度、国の未来に関わる予言をしてきたのだけど、今回は聖女の交代が重なるから、かつてない規模の宴にするつもりよ。あなたにも選ばせてあげるから『女神の代行者』としての役割からは解放しましょう」と。



 生まれた直後に王位継承権を放棄させてまで与えられた唯一の役割から突然解放すると言われて当惑する俺を尻目に、女神が示した四つの未来は――。



 わざと争いの火種を作り、派閥を生じさせ、戦い合わせるためとしか思えない内容だった。


 一、第三王子を王とし、かつてない強権的な体制を築き上げる未来。

 二、第六王子を王とし、ラバルナ帝国との同盟関係を結ぶ未来。

 三、第四王子がすべてを覆し、聖バルゴニア王国を滅亡させる未来。

 四、第四王子の子が王になり、聖バルゴニア王国に未曽有の繁栄を齎す未来。


 そして女神は、こう宣言した。


「これは、淘汰するための予言。勝ち残った者たちこそが私の民として相応しい。その者たちを、私の新しい国民として迎え入れましょう」と。



 つまり、女神としては、仮に第三の道に進むことがあっても、そこで勝ち残った者たちを自らの臣民にするつもりらしい。



 なぜ、女神に踊らされなければいけないのか。そう思った者は当然少なくない。それでも、捨て置ける予言ではなかった。四つの未来いずれの道になろうとも、静観しているだけでは、自らの地位はもちろん、生き残る事さえ危ういかもしれないのだから。



 貴族たちの動きは迅速で、早々に立場を表明する者、裏で多数派工作をする者、他の道を選んだ者たちを暗殺するために動く者たちが現れた。



 フレッド第三王子を王にする一つ目の道を選んだ有力な貴族は……宰相と、ルドスター侯爵家、ロレージュ伯爵家、ラジロナ伯爵家といった現在の主流派と呼べる者たちだった。彼らは元々、女好きで政治にあまり関心を示さない第三王子が最も御しやすいと判断し、次期王に相応しいと押していたため、当然の選択だったのだろう。



 二つ目の道を選んで、その当時わずか三歳だったダレル第六王子を次期王にと押しているのは、ロナルド・ランフェラート王と、第六王子を産んだ側室のアリア、アリアの父親であるラスタード公爵、さらには近衛騎士団長の生家であるビスマン伯爵家、帝国貴族と縁を結んでいるオルタク伯爵などが有力である。



 しかし、そんな貴族たちの動きを猛烈に批判したのが、ルーファス・ハーエンドリヒ侯爵だった。



 彼は、女神が唯一「未曽有の繁栄をもたらす」と約束している未来があるのに、なぜそれを選ばないのか……他の貴族は私利私欲を捨てるべきだと主張し、国民から大きな支持を得た。それに呼応している有力な貴族はダルトワ伯爵家や、クラウドの生家であるランフェル男爵家である。



 そんななか、立場を鮮明にしなかった大物貴族はただ一人。



 トラヴィス・ルフティス辺境伯である。立場を明らかにしなかったことで、他の貴族は彼が三番目の道を選ぶ気だと噂したが、彼は俺に近づいてこう言ったのだ。



「殿下、女神など無視してしまいましょう」



 辺境伯は昔から掴みどころがない男で、俺が十代の頃から神殿に時々ふらっとやってきては、聖女以外はだれも積極的に近づこうとしない忌避された存在であった俺に、何とはなしに話しかけ、無駄話をひたすら一人で喋っては、ぷらぷらと帰っていく、そんな奴だったために大抵の変な言動には慣れているつもりだったが、この時の言葉には驚かざるを得なかった。



 何せ、聖バルゴニア王国における女神コーデュナは絶対的な主権者で、実際に力ある神ゆえに、刃向かって勝てる相手ではないことを知っているからだ。



 それでも、辺境伯がつづけて囁いたのは、何とも抗いがたい言葉だった。



「あの予言のどれでもない道、神などいない国を作ってみませんか?」


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