15.情報提供を、信じてもいいのでしょうか

 値段が高めに設定されたお店のテラス席に、飲み物にも口を付けず、戸惑う気持ちを押し隠しながら座っていた。



 向かい合うのはクラウド・ランフェルと名乗る男の人。聖バルゴニア王国の男爵家次男で、ハーエンドリヒ侯爵という人物に仕えているらしい。背筋がピンと伸びた青年で、褐色の髪に青い瞳、物腰が丁寧で生真面目な印象を受ける人物だ。



 なぜ彼とこんな場所で向き合っているのかというと、ファーギーに「ただの夢じゃないわ。呪詛よ」と聞かされた時に遡る。



 呪詛などという禍々しい響きを聞いて、アルと同時に思い出したのはエマからプレゼントとして受け取った箱だった。むしろあれ以外に、呪詛を連想させる禍々しいものに触れた記憶などないのですぐに思い当たった。



「箱が自然と開いて、中から赤黒い玉が浮き上がってきたかと思ったら、急に液体に変化して、まるで生き物のように蠢きながら体内に入って消えたんだけど。もしかすると、それかな?」

「……よくまぁ、そんな体験をしておきながら、何もせずに宿屋に帰って寝る気になったわね」と呆れられる。



 うーん。あの時は箱のことよりも、ファーギーがサイラスにお姫様抱っこされた件を聞いて、そっちの方が気になっていたんだよ……と言いそうになるのを、深刻そうな表情と不安気な榛色の瞳を見て、呑み込んだ。



 ファーギーが立て続けにホーリー・ディスペル、ホーリー・ブレスという二つの魔法をかけてくれる。解呪の効果を待つ魔法と、呪いに起因する衰弱を回復する魔法なのだとか、でも予想通りほとんど効果を発揮しなかったらしい。



 そうなると術者を倒す以外に解呪の方法がないそうで、とにかくエマに話を聞いてみなければと、彼女が勤める宿屋に向かって歩く途中、声をかけられたのだ。



「猫獣人のエマという女性は行方不明らしいですよ。事情をお話しできると思いますのでお時間をいただけませんか」と。



 それが、クラウド・ランフェルと名乗る男だった。



 緊張感が移ってしまいそうなほど、ファーギーがその男に対してピリピリしているのは分かったのだけれど、わたしはその話を受けた。



 だって、エマの行方が気になる。



 それに、熱を出して寝込んでいた時に、サイラスと彼が話をしていたのを盗み聞いてしまった時からずっと一度面と向かって話をしたいと思っていた人物でもあったから。



「話を聞くのは構わないけれど、人目のある場所にした方がいいわ」



 ファーギーが、硬い声で忠告してくれたので、助言を受け入れ、こんな慣れないお店に座っているという訳だ。



 注文した飲み物が届き終わって、わたしたちの誰もが口にしないのを見ると、男がなんでもない世間話を始めるような口調で話を切り出した。



「さて、エマという娘ですが、おそらく生きてはいないと思います。我々の仲間の一人が目撃したのです。ティナ殿に、呪詛が仕掛けられた箱をプレゼントした直後に数人の男たちによって連れ去られていくのを」

「まさか……っ」



 頭のなかが真っ暗になった。恋する乙女の必需品だと言いながら渡してくれた時に、エマの耳と尻尾がぶんぶんピコピコ揺れていたのが目に浮かんで、ジワリと視界が霞んでしまう。あの箱自体が禍々しいモノであったとしてもエマに悪気があったとは思いたくない。きっと心から良かれと思ってプレゼントしてくれた。なのに、どうして。そこまで考えて、ハッとして、席を立ちあがって叫んだ。



「拉致されただけなのに、どうして死んだと決めつけるんですか! まだ無事かもしれないですよね! すぐに助けに向かえば! 行先も知っているんじゃないですか? 教えてください!!」

「ティナ、ちょっと待ちなさい。クラウド・ランフェル、あなたの仲間はどうして、タイミングよくそんな場面を目撃したの? まるで、あなたが拉致させて、殺したと言っているようにも聞こえるのだけど」



 ファーギーの指摘に、絶句する。衝撃を受け、ストンと膝が折れて再び席に座ってしまいながらも、疑惑が頭の中に黒い雲のように広がっていく。サイラスの知り合いだから、悪い人じゃないと決めつけすぎていたかもしれない。警戒心が薄いから、呪詛にもかかってしまったのに……このままじゃいけない。



 親しくなった人間を失うのは耐え難い。だから、エマのことも叫び出したくなるぐらいに動揺しているけれど、感情的になりすぎちゃダメだ。ファーギーがこれだけ警戒しているのだから、信用していいかわからない灰色の人と思いながら話をしよう。そう思いながら、必死に心を落ちつけようと意識的に息をゆっくり吸って、吐いた。



 クラウドの方は、ファーギーの指摘にも動揺した様子は見せず、感情の読めない視線を返しながら答える。



「もともと我々は、エマという人物を攫って行った側の動向を探っていたのです。だからこそ、たまたま現場を目撃し、情報を知り得ただけです。そして、その後も動向を探らせ続けていたので、生きてはいないだろうと確信を持っています」



 そんな――。



「ティナ、大丈夫か?」そう言いながら、憂わしげな表情で背中をさすってくれるアルに感謝しながら、何とか心を落ち着け直そうと努めた。



「呪詛が仕掛けられた箱はエマという女性を攫ったものたちが準備したものであると考えていますが、術者がどこにいるかお知りになりたいですか?」

「もちろんだ。ティナの命がかかっているんだ、教えて欲しい!」



 すぐさま、アルがそう言ってくれるが、クラウドと名乗る男は、能面のような表情で、感情の見えない視線を向けたまま口を開こうとしない。



「あの、もちろん情報量が必要ならお支払いします。だから、術者もですけど、エマが攫われた場所も教えてください。やっぱりどうしても確認したいです」



 わたしがそう口にすると、初めて感情が表に出て、わずかばかり馬鹿にしたような光が瞳に走るのを見たような気がした。



「お話しする前に、お尋ねしたいことがあります。アスメルン王国の人々は自国を取り巻く状況を知ろうともせず、何もしなくても、ずっと平和で穏やかな日常が続くものだと思いこんでいるようですが、あなた方は、ここ十年で片手の指では足らないほどの国がラバルナ帝国によって滅ぼされたのをご存知ですか? 帝国との間に聖バルゴニア王国が立ち塞がっているから安全だと思っている人々が大勢いるようですが、その聖バルゴニア王国では内戦が避けられない状況になっているのをご存知ですか?」

「噂は、そりゃ聞いているけど」



 アルがそんなふうに返しているが、話題の急な転換に戸惑ってしまう。この人は何が言いたいのだろうか。



「では、ファーギー殿、ティナ殿、ご自分がその内戦の行方を左右する存在なのをご存知ですか?」



 内戦の行方を左右するとは――どういう意味なのか、まったくわからなくて、ますます戸惑いばかりが大きくなって声が出ない。



「教えてくれる気はあるの? 教えてくれたとして、昨日はわたしを殺そうとしたあなたの話を、信じられるだけの証拠を示せるとでも?」

「「ファーギーを殺そうとした?」」



 アルとわたしの驚きが完全に被ってしまった。だけど、ファーギーがただならぬ雰囲気を漂わせながら警戒し続けていたのは、そういうことだったんだと、胸にストンと落ちる。



「それは信頼して頂くしかないですね。ですが、方針を変更したので、もうファーギー殿を襲う事はありませんよ」

「その言い分だと、いつまた方針を変えて襲ってくるか分からないわね。内戦の行方を左右すると言いながら、一度は殺そうとしたのなら……それ相当の理由があった筈でしょう、それを教えなさいよ」



 ファーギーの苦々しい反応を意に介さず、質問にも答えず、クラウドの表情が決然たるものへと改まると、世間話でもするかのようだった声のトーンをわずかばかり潜めた。



「すべては五年前、女神コーデュナが四通りの未来をお示しになられたことに端を発しています。勿論、わざわざ四つの道を示したのは女神に深遠なお考えがあってのことなのでしょう。ですが、どの道を選ぶかで国内の勢力は分断され、争うことになったのです……そんななか、ハーエンドリヒ侯爵だけは、民の生活が最も豊かになる道、可能な限り民の血が流れない道を選びたいとお考えです。民の血が出来るだけ流れて欲しくないという考えに、ご賛同いただけますよね?」



 そこで、いったん話を止めてわたしたち一人一人に視線を送ったときのクラウド・ランフェルの瞳は、怖ろしく澄みきった眼差しをしていた。



 心の中に拭い切れない不安の影が広がる。



「一つ目の道を選べば政治は腐敗し、多くの民が苦しむのが目に見えています。二つ目の道を選べば、いずれは帝国の侵略を許すでしょう。三つ目は最も多くの血が流れる道ゆえに、論外なのですが……あなた達がサイラスと呼んでいるあのお方は、エステル・アマーリア・ランフェラート第七王女殿下と、トラヴィス・ルフティス辺境伯と手を組みこの道に進もうとしておられます、それだけは何としてもお止めしなければなりません」



 サイラスが最も多くの血が流れる道を選ぼうとしている?! なんだかもう、頭のなかが、ごちゃごちゃになって、この人の語る全てを疑いたくなってくる。



「最後の四つ目こそが最善の道です。その道を進めばかつてない繁栄が王国全土にいきわたることを女神も保証して下さっています。その道とは――貴方たちがサイラスと呼んでいるあのお方、ジョルト・ランフェラート第四王子殿下の未来のお子様が、王になる道です。おそらくティナ殿が狙われたのは、ジョルト殿下のお子を産ませない為でしょう」



 はぁ――?! 何それ……。

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