26.同行者への不安を抱えつつ、森の中を北北西へ


 呪詛の影響で弱っているわたしの限界はすぐにやってきて、息は荒くなり、足が上手く動かなくなる。実際に何度も転んだ。それでも、両脇を支えられ、時に抱えられながら、生きるためにただひたすら駆け続ける。



 夜が明けきる頃には哨戒線を完全にすり抜けた。川を一つ渡り、森の中に入ってようやく一息つく。そこで、護衛役の一人が後方の様子を探りに戻り、ファーギーが追いついてくるのを待つことになった。



 攻撃を一手に引き受け、注意を逸らしてくれたファーギーは無事でいてくれるだろうか。待つ時間がひどく長く感じられる。水分補給だけはしたものの、手渡された獣肉の燻製は喉を通らない。嫌な考えばかりが脳裏をよぎって、なぜファーギーの作戦に反対しなかったのかと後悔が浮かんでくる。



 じりじりしながら待つのはかなり辛かった。だからこそ、様子を見に戻った男とファーギーの無事な姿を遠目に見た瞬間、目頭が熱くなり、水滴が溢れ出し、駆け出して飛びついた。



「無茶しないでよ、ファーギー…………本当に、無事でよかった」

「勝算があったから立てた作戦なんだから、無事に決まってるじゃない」


 

 そうはいっても、どことなく疲れたような弱々しい笑顔を見ると不安になる。怪我を隠していないとも限らない。かなり嫌がられながら全身をまさぐって確かめ、どこにも傷がないのを念入りに確認してようやく安堵の息を吐いた。



 あまりに念入りだったためか、追いついてきた時よりも疲れた顔になっていた気がするけれど、確認は大事だと思う。だって、ファーギーは本当に弱みを見せるのが苦手のようだから。



 そんな確認を終えたあと、魔物との不必要な戦闘を避けながら森の中を慎重に北北西へと進路を変えて歩いていく。この森は、合流してくれることになっている人たちと落ち合う場所でもあるので、護衛役の人たちがきっちり方角を確認しながらの移動となった。



 合流相手とは、宰相によって軟禁状態にあった第七王女殿下の身柄を奪取するため、聖都オルティノスで小規模な反乱を起こした人たちだ。



 元近衛騎士約五十名と、雇い入れた傭兵三十名の総勢八十名の人間が五つに分かれて辺境伯領を目指しているらしい。彼らの最優先事項は、無事にエステル王女殿下を辺境伯領まで送り届けることにある。



 それでも辺境伯は、陽動を兼ねて最も東寄りのコースを選択する人たちに、わたしたちと行動を共にし、その身を守るように指示を出してくれたのだとか――。



 そうして合流できた相手は、元近衛騎士三名と傭兵が五名だった。



 ここまで護衛役を担ってくれていた面々とはここで一度お別れである。彼らは直接的な戦闘能力に特化しているわけではなく、護衛任務は本来の専門分野ではなかったらしい。だけど、九日間行動を共にし信頼を厚くしていただけに、離れるのは心細く感じてしまう。



「我々は、先行して情報収集に努めます。他のルートを辿って辺境伯領を目指している面々と連絡をとりあい、敵の斥候を事前に排除することも。ですから、距離を置いてではありますが、引き続きティナ殿たちの支援要員として働いているのです。なので、そんな顔をなされず、安心してください」



 ここまで無駄口をたたかず、名前すら教えてくれなかった御者役に扮していた男の人がそういって微かに笑ってくれた。サイラスが直接頼んでいてくれた人たちだけあって、わたしたちへの心からの気遣いが感じられて嬉しくなる。



 対称的に、新たに合流した人たちは、わたしとファーギーのことをあまりよく思っていないようだった。



「ゲルガー・ヴォイエンだ。あんたら二人と共に無事辺境伯領まで辿り着くようにとの指示をエステル王女殿下と辺境伯から受けている。そのうえ、この国で正面切って女神の代行者と呼ばれた男を敵に回したがる奴はいない。だから全員が指示には従うはずだ。だが……不用意に気を許して親しくなろうとするなよ。常に女同士二人で行動し、一人きりになるな。あんたら二人を内心よく思っていない奴は多いからな。わかったな、忠告はしたぞ」



 他の人間から分隊長と呼ばれている筋骨隆々の大男。ゲルガー・ヴォイエンはぞんざいな口調でギロリと睨んで、そんな忠告をしたきり、話しかけてこようとはしなかった。



 他の二人の騎士もあきらかに距離を感じる。傭兵たちにいたっては人相も悪く、こちらを値踏みするような視線を送ってくる者や、好色な眼差しを向けてくる者さえいて、友好的な雰囲気は皆無。息苦しさを覚えずにはいられない。



 だけど、わたしたち二人を好ましく思わない理由はいくらでも思いついたので仕方ないのかもしれない。



 わたしのような庶民が、生まれた直後に王位継承権を失って王族らしい生き方をしてこなかった人とはいえ、第三王子であるサイラスと身分もわきまえず親しくなっているのだ。そんな話を聞かされてよく思わない人はきっと多いはず。



 神のいない国を目指す辺境伯領に、神官であるファーギーが向かっていることに不快な思いを抱く者もいるのかもしれない。



 元近衛騎士たちが聖バルゴニア王国に反旗を翻したのは、エステル第七王女殿下個人への忠誠心からだとすれば、きっと本音では王女の傍を片時も離れたくはなかっただろう。だとすれば、とんだハズレ仕事を任されたと思っているかも……。



 事情は色々と推し量れるけれど、この面々で敵対勢力の領地をこれから進むことになるのかと考えると、気が重くなるのは避けられない。隣でファーギーが、いつ喧嘩を吹っかけてもおかしくない表情をしているのも心配の種だ。



 一団の戦闘力は上がったかもしれないけれど、先行きに不安を覚える。



 大丈夫なのだろうか――。



 とにかくその日は合流しただけで森の中で一夜を過ごした。ファーギーが、眠る前に噛むようにと、初めて見るハーブの葉を渡してくれる。噛んでみると、身体がポカポカとして気持ちが穏やかになり、すぐに眠りに引き込まれ、随分と久しぶりに悪夢を見ることもなく、ぐっすり眠る事が出来た。



 どうやら危険もあるようで、頻繁に使わせるわけにはいかないけれど、頃合いを見計らって渡してくれるという。



 アスメルン王国の王都を発って十日目の翌日。少し回復した体力を使って、夜明けから夕暮れまで、道なき場所を切り拓きながら移動し続ける。森はどんどん深くなり、体力は削られ、距離を稼げない。




 夕方になり、森の中に小さな村が見えてくると、ゲルガー・ヴォイエンが言った。



「王女殿下の身の安全を高めるために、我々はラスタード公爵に気づかせるような足跡を残しながら北上する。まずは、あそこに見えるエシルナ村で騒ぎを起こす」



 ファーギーは眉を寄せ、こめかみを押さえる仕草をしてみせたものの、抗議を口にすることはなかった。



 わたしも、彼らの協力なくしては無事に移動できないのだから、早く王女殿下に合流したいなどといった、自分の都合だけを主張するのは気が引ける。だけど、騒ぎを起こすとは何をするつもりなのだろうか。



 そうして、実のところすでに異変が起きていたエシルナ村へと、わたしたちは足を踏み入れることになった。

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