07.サイラスのおかげで幸せだけど、このままでいいの?

 母にはよく「さっき泣いていたと思ったら、もう笑っているのね。お手軽に機嫌を直してくれて助かるわ」と、呆れられていたけれど、わたしだって怒りや悲しみを感じるし、そういう感情が全く尾を引かないという訳じゃない。



 アルやファーギーともう一度笑いあえる関係になりたいな――とまで思えるようになったのは、間違いなくサイラスに出会えたから。



 彼に恋をしたおかげで、笑顔の絶えない毎日を送る事が出来ている。突然の恋だったけれど、人を好きになることがこんなにも自分を幸せな気分にさせてくれるのかと、びっくりするぐらいに。



 この出会いがなければ、きっと今でも落ち込んだ気持ちを切り替えるための何かを一人で探しながら歩いていたはずだし、もしかすると依頼の途中で野垂れ死んでいたかもしれない。



 本当にサイラスに出会えたことは幸運だったと思う。




 恋に浮かれているだけのように感じるかもしれないけれど、実はサイラスと一緒にいることで冒険者稼業も充実した。



 サイラスが根気強く指導をしてくれたおかげで、わたしもついに魔法の使い手としての成長をみせたのだ。雑過ぎだった魔力の制御が改善され、巨大な火の玉を作ってぶつけるしかできなかったわたしは過去のものになった。しかも、ファイヤーボール以外の魔法も多少は使えるようになってきているのだ。まぁ、まだまだ魔力を練り上げる速度は遅く、発動までに時間がかかるという難点は残っているのだけど。



 それでも、わたしにとっては大きな進歩で、今までとは成果が段違いになった。



 加えて、わたしが拙い判断をして「あぁ、しまった」と思った時には、サイラスが援護できる最適な位置にとっくに立ってくれているし、火力が少し足りなくて「あぁ仕損じちゃった」と思った瞬間には、すでにサイラスの剣が舞って魔物の首が飛んでいるか急所を貫いている。



 こんなふうに依頼などサクサク終わってしまうのだから、冒険者稼業が充実しないはずがない。素材も最高の状態で買い取ってもらえるようになって、稼ぎもよくなってきている。間違いなくアルよりも早く薬を買えると思う。嬉しい。




 それにしても、サイラスは戦闘面では天才なのかもしれない。わたしが生で見ている剣の腕も魔法の技術も一流だと感じるのだけど。それでもなお、持てる力の全てを出している感じがしない。常に余裕のある動きをしていて、強さの底が一切見えないのだ。



 最初のうちは、そんなサイラスに心の中でただただキャーキャー言って、心を弾ませていた。とにかく格好いいから。




 でも、少しだけ心境に変化が生じ始めている。



 彼の強さを見るたびに、じわじわと過去が気になってきたのだ。本当に今さらなのだけど、一体どこで何をしていた人なのだろうか。記憶が戻って不意に、わたしの元から離れていったりしないだろうかと不安が募って胸が苦しくなる。




 そもそも、この幸せな状態はわたしの嘘から始まっている。勢いでついた作り話が時間経過とともに徐々に重たくなってきて、良心の呵責が膨らんで、ふとした時に考え込んでしまう。



 でもそんな風に辛くなっているときに限って、何気ない感じでサイラスの手が頭の上に伸びてきて撫でてくれる。おそらくわたしが何かを考え込んでいることを感じとって、気遣ってくれているんだよね。



 あぁ、どうしよう。このまま優しさに甘えていたい。でも、駄目だよね。早く嘘でしたって打ち明けて謝らなきゃ。サイラスは許してくれるかな。



 考えすぎて少し頭が痛い。知恵熱が出そう。




 ***




 順調に成果をあげていたためか、サイラスと行動を共にするようになって四か月ほど経過したころ、ギルドから使命依頼がきてしまった。王都から隣の街まで移動する商人の護衛任務。



 初めての護衛に緊張しながら、行程の中間地点まで来たとき。



 異変に最初に気づいたのはサイラスだった。



「盗賊が待ち伏せしている。三十名ぐらいはいそうだ」



 わたしは慌てた。初めての対人戦。護衛依頼を受けた時点で人を傷つける可能性を覚悟はしていたつもりなのに、全然覚悟が足りていなかったことを思い知る。死ぬかもしれないし、殺すかもしれない。それが現実に起きようとしている。そう考えるだけで身体が畏縮した。



 対照的にサイラスは慣れていそうで、動揺する素振りも見せずに、依頼主の商人と打ち合わせをしている。このまま進んで相手にとって都合のいい場所で襲撃されるよりも、守りやすい場所で逆に待ち構えることになったみたい。



 雇い主である商人と御者には念のため馬車の中に入って出てこないように注意したあと、馬が暴走してしまわないように馬車から外して近くの木に繋ぎ、襲撃時の動揺を抑えるため、意識レベルを低下させる薬を飲ませている。



 わたしは、何をしていいのかわからず、ただひたすら緊張し、縋るような眼でサイラスを見てしまっていたのだと思う。



 サイラスが笑顔を浮かべて近づいてきて、頭をポンポンと優しく叩いた。



「大丈夫だ。初めては誰でもそんなもんだ。今日のところは、すぐに終わらせるから中で待っていればいいさ」



 そう言って、わたしまで馬車の中で待機していられるように、雇い主に願い出てしまった。



 本当は傍で一緒に戦いたかったけれど、出来もしないことを主張して、この状態でサイラスの横にいてもきっと足手まといになるだけ。



 邪魔にならないように、素直に応じるべき。そう考えるだけの冷静さはかろうじて残っていた。歯がゆくて涙腺が緩みそうになりながらも、大人しく馬車に避難して、サイラスの無事を祈って待ち続ける。



 こちら側が気づいていることを、とっくに盗賊たちも感知しているだろう。包囲を終えて、一斉に弓矢や攻撃魔法を使って遠距離から数を頼りに襲いかかってくるかもしれない。そうなったとき、サイラスはどう防ぐつもりなのだろう。いくらサイラスが強くても本当に一人で大丈夫なのかと不安になってしまう。



 ピリピリした空気が漂う。戦いが始まる瞬間、その空気が変わった。それは馬車にいても感じられるもので、張り詰めていた何かがパシッと裂けるあの感じ。



 突然だった。幌の隙間から青白い閃光が射し込んで明滅し、ほぼ同時に落雷の轟音が間断なく鳴り響く。地が裂けたかのような凄まじい揺れが馬車を震わし、怒号、絶叫、呻き声、凄まじい破裂音が聞こえた。それらすべてが怒涛の勢いで嵐のように重なりあって起こり、あっという間に静寂が訪れる。時間にすると呆気ないほどの短さ。



 雇い主の商人たちと暫し硬直して動けず、ようやく我に返って外に出たときには、サイラスが一人で何事もなかったかのように後片付けの大半を終えていた。



 商人と御者が結果を確認して、その圧倒的な強さに驚愕し興奮している。



 雷魔法と思われる攻撃を受け即死した人間が二十一名。木っ端微塵に砕かれた樹の破片が突き刺さって重傷を負い動けない者が四名。痙攣しながら昏倒している者が四名。剣によって首と胴体が切り離され絶命している者が三名。これほどの人数がいて、瞬く間に一人で倒しきったのだ。



 しかもこちらの被害は皆無。サイラス自身は魔力切れを起こした様子も、返り血すらも浴びていない。圧倒的戦闘能力を目にして、これまで多くの護衛を頼んできた商人も誉めそやしている。



 とにかくサイラスが無事でよかった。



 何も出来なくて不甲斐なくてごめんなさい。もっとわたしも強くなりたい。そんな気持ちで一杯になってしまって震えながらしがみついたら、サイラスはわたしが落ち着くまでずっと抱きしめて背中をさすってくれた。



「そんなに自分を責めなくてもいい。気にするな」



 そんな言葉までかけて、ダメ過ぎるわたしを受け入れてくれる。甘やかされすぎて、このままじゃ弱くなりそうだ。



 でも、その優しさがあったかくて。この人を手放したくないと強く思う――。



 生き残った者だけを捕縛して、その後は何事もなくゆっくりと商人たちを護衛しながら目的地の街までたどりついたわたしたちは、その日もいつものように二人で一つの部屋をとって眠る。



 普段ならベッドは別なんだけど、我儘を言ってサイラスの布団に潜り込んで、胸元に頬をすり寄せ、肌着をギュッと握りしめたままクンクン匂いを嗅いで、安心と幸せの甘い香りを堪能した。



「勘弁してくれ……おっさんの匂いを嗅いで何が楽しいんだ。何も分かってないだろお前」



 そんな、呻くようなサイラスの言葉が聞こえてきた。



 何も分かってないわけじゃない。野営の時もくっついたりはしているけれど、布団の中でくっつくのはちょっとハードルが上がる。いまも心臓が爆発しそうだ。幸せと緊張で息が止まりそう。わたしの顔は真っ赤になっているだろうし、見苦しく口をパクパク開けてしまって、鼻息もがんがんサイラスの胸に当たっているはず。



「あー、くそっ。なんなんだろうな、お前の可愛さは」



 しばらく身体を固くしていたサイラスがそう言って、わたしのおでこにくちびるを落としてくる。初めての感触に驚いて布団の中からサイラスの顔を確認するとゾクッとするほど男の色気が滲み出した艶めかしい眼差しがそこにあって――それを見た瞬間に、それまで必死に押さえつけようとしていた心の中の蓋が弾け飛んだ。涙腺が決壊して信じられない量の涙が溢れ出してくる。



「ごめんなざい……」

「あぁぁ? どうした? そんなにおでこに口づけたのが嫌だったのか?」

「ぢがう。うれじい。でも……」



 サイラスがわたしに欲情してくれている気がする。それに、少なからず好意も持ってくれているような気がする。それはすごく嬉しくて幸せで、でもその好意の前提にわたしの嘘があるのだ。



 涙が止まらない。みっともなく鼻水さえも垂れ流しながら抱きついたまま泣き続けた。もう嘘はつきつづけられないと思ってしまったから。



「あの、サイラス。ごめんなざい。嘘なんです。サイラスとはあの時が初対面で、わたしとサイラスは恋人でも何でもなかったんです」

「…………それがどうした。んなことは、最初から知っている」

「ふぁぁぁ? そ、そんなっ!」



 ま、まさか、嘘がばれていたなんて。ここのところ、ずっと良心の呵責に苦しんでいたのに。



「アレだ。元々恋人じゃなかったとしても。これから恋人になっていけばいいだけだろ。どうした。俺のことが大好きとか言っていたのも嘘か?」

「そ、そんなの……大好きに決まってるじゃないですかぁぁぁ!」



 いつか嘘がばれて、去って行かれるかもしれないと不安でいっぱいだったのに、こんな結末が待っているなんて、こんなに幸せでいいのだろうか。



 わたしは最初に嘘をついてしまったけれど、これからはサイラスに嘘は絶対つきません。約束します。だから、二人でこれからも、ずっと一緒に生きていって欲しいですううう。




「なぁ、ティナ。抱き合ったままで、そろそろ我慢するのも疲れてきたんだけど」



 え? な、何を我慢してるんですか、まさか、あ、きゃぁーーーーー!!!

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