33.呪詛と魔法陣の、からくり ※サイラス視点


 部屋全体に、おびただしい数の人骨らしきものが散らばっていた時点で、胸騒ぎがした。すでに儀式は完了してしまったかもしれないと。



 おまけに、仰々しく長杖を振りあげた男が身に纏っている衣装は、ラバルナ帝国で影響力をもつ異教の聖職者階級、それも司祭クラスが着る服。



 未知の魔法を使う可能性に、咄嗟に警戒度を引き上げ身構えたのだが……。



 男は魔法を行使するでもなく、突然笑いだした。それも、やけに余裕を感じさせる嫌な笑い方で。



「…………何がおかしい」

「お主の戦闘能力が頭抜けておることは認める。じゃが、ずいぶん間抜けだと思ってのう。生まれ落ちたと同時に継承権を放棄させられ、まともな教育も施されてこなかった憐れな王子じゃ、脳筋なのは仕方ないかもしれんがのう」



 挑発的な言葉は、苛立たせて隙でも作りたいだけなのか、それとも本気で優位に立っていると思えるだけの理由があるのか――。



「お主はおそらく、ここにあるのが召喚系の魔法陣で、三カ所同時に破壊せねば術を止められない代物だと感覚的に分かったのだろう。だから三カ所を同時に攻撃した。それから、ティナという娘に呪詛をかけた術者を倒して救おうとも思っておるのだろう?」



 その通りであるために、嫌な予感を覚えながらも黙って続く言葉を待った。



「じゃがのう、儂を倒すだけじゃティナという娘は救えないぞ」

「……どういうことだ」

「カルメラという神官を虐めたと騒いだそこの獣人を見つけた時点で、なぜカルメラを襲ったのか、考慮しなかったのか? その女の血を触媒にしたのじゃよ。そのうえで、呪詛を箱に仕込んだ儂だけじゃなく、触媒に使ったモノの命も奪わねば解呪できないように術式を組んだ」



 背後で、ライリーとアルが衝撃を受けた気配が伝わってくる。



「絶望するのはまだ早いぞ」



 そう言って、不敵な笑みを浮かべた。



「まさか…………」

「おう、気づいたか。そうじゃ、その女の血は特別製だ。何たって聖女候補だからのう。女神の欠片が宿っている――その女の血には、女神がすでに混ざっているのじゃよ。つまり、カルメラの命を奪ってもまだ足りないというわけじゃ。儂は、お主と対峙した時点で死は覚悟しておる。じゃが、儂の呪詛は絶対に破れない。見事であろう?」



 歯軋りしたくなる。咄嗟には…………打開策が思い浮かばない。



「呪詛だけではないぞ。お主は、魔法陣に用いられる紋章学も学んだことがないのだろう。だから、なぜわざわざ正三角形になる位置に魔法陣を描き、その中心に女神コーデュナの大神殿があるのかを理解せぬままに、ここにやってきた――」

「もったいぶらずにさっさと結論を言え」



 男の得意気だった顔が、気勢をそがれて一瞬鼻白んだが、気を取り直すかのように咳払いをして話を続ける。



「儂は、部屋全体に散らばる人骨が示す通り、何か月もかけてたっぷりと魔法陣に生贄の血を吸わせてきた。普通はこれだけで相当強力なモノが召喚できる。じゃが、お主に対抗するため、とっておきの存在を呼び出すためには――やはり最後の仕上げとして、女神の欠片の血が必要だった」

「つまり、カルメラを聖都に入る前に確保できなかった時点で、すでに手遅れだったのか……」



 男が憎たらしい顔で笑い、拍手までしてみせた。



「ご名答。要するに、魔法陣を破壊するため三カ所を襲撃しているのは間抜けにもすべて無駄だったということだ。じゃが、王子がせっかくここまで来てくれたのだから、歓迎はさせてもらおう。さぁ、姿を見せてあげなさい」



 カルメラが拘束されている祭壇の背後から、それまで気配を全く感じさせずにそこにいた存在が、姿を現わした。



 鳥肌が立ち、身震いがする。久しく忘れていた感覚。



 艶やかな黒髪。青紫色の大きな瞳。バランスのとれた唇、形のよい鼻梁、その他すべての部位が完璧に整った――懐かしい女。



「くそったれが――」思わず悪態を吐いてしまう。



 生まれた時から、ずっと傍にいた女だ。物悲しい歌を口にし、絶望の瞳で俺を見つめ、いつも本当には俺のことなど見ていなかった女。成長してからは縋りつくように肌を求めあったその女が、記憶にある通りの、深い哀しみの色をその瞳に湛えたままで、そこにいた――。



 幻覚と思いたかったが……違う。俺に幻覚をかけられる奴がいるとすれば、俺以上の強大な魔力を有する必要がある。祭壇横に立つ二人の男たちに、その力があるとは思えなかった。



「さて、彼女の過去を知りたいとは思わないかね?」

「…………」

「彼女は四百年ほど前、とある王国の子爵家に生まれたそうじゃ。伯爵家長男と許嫁の関係だったのだが、その男は十代前半で変死してしまう。それどころか、彼女一人を残して生家である子爵家の血を引くものまでもが死に絶えておる。何があったのか、公式な記録からは読み取れなかったが、子爵家が治めていた地方では今もなお彼女の物語が語り継がれていてのう」



 もはや、問答無用で倒すべき。理性ではそう判断していたが、感情を制御しきれない。彼女自身が決して語らなかった過去だ。



 いまさら聞いても意味はない。



 そう思うのに、男が話すのを遮ることができなかった。



「その物語によれば、絶世の美女と評判であった彼女は、時の国王に横恋慕されたことで悲劇に見舞われたそうじゃ。

 愛し合っていた許嫁との仲を裂かれ、強引な横やりに首を縦に振らなかった父親が処刑され、この娘は無理矢理王宮に連れて行かれた。

 ところが、身体は思うようにできても心が得られなかった王は、腹いせにその娘の血を分けた家族を、次々に残酷な方法で奪っていった。

 やがて、復讐の鬼と化した彼女が、女神の力を使って王家を断罪し、国自体を滅ぼしてしまう――その後、彼女はこの国にやってきて、他の聖女候補をすべて蹴落とし、聖女として君臨したそうじゃ」

「…………」


「この物語に、どれだけの真実が含まれているかは知らん。彼女がいつ、どの時点で女神と契約したのかもわからん。じゃが、彼女の人生が壮絶で、決して幸せなものではなかっただろうことは想像に難くない。なのに、その後四百年も女神に囚われ、無理矢理操られ続けたのだ。そんな娘とお主は戦うかね? ようやく女神から解放された肉体を得たのに、倒して殺すつもりか? 召喚されたものは、召喚主の命令には決して逆らえない。そしてすでに、儂はお主を殺せと命令してある」



 悦に入った男の首を斬り離すつもりで、移動しようとした瞬間。目と鼻の先に、聖女が瞬間移動しており、互いの剣と剣が激しくぶつかり合った。



「久しぶりだね」



 潤んだ瞳で、そんなことまで言う。



 彼女からは女神の気配が一切しなかった。だが、人ではない。何か、別の嫌な気配が交じってもいた。



「聖女の肉体はまだ、神殿にいる女神が使っている。俺は、五年前に彼女の魂が擦り切れてしまったのも知っている。お前は、俺の知っている聖女ではない」



 自分に言い聞かせる。彼女は本人ではない。五年前、何の前触れもなく聖女の意識が浮上してこなくなったことを思い出す。別れの言葉を交わすことも出来なかったことが棘のように刺さったままだった。だが、これは、こんなのは違う。息がつまるような感覚に襲われるのを自覚しながら、そう思い込もうとする。



 それを否定する言葉を、男が言い放った。



「確かに、肉体はまだ女神が使っておる。じゃから召喚魔法で、生贄の肉と血を使い肉体を創りだした。そのうえで、三つの巨大な魔法陣は女神の力に干渉し、仕上げに女神の欠片が宿るカルメラの血をこの祭壇に注ぐことで、擦り切れた聖女の魂と、肉体に残留したわずかな記憶と、漂う未練の念をすべて引き寄せて、聖女そのものを再生したのじゃ」

「もし、事実なら、お前らがしたことは、さらに彼女を苦しめている――」



 それなら、今度こそ俺がこの手で――解放しよう。

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