32.残る、わだかまり※アル視点


 それほど待たされることなくサイラスは戻ってきた。返り血は確認できなかったが、提案通り拘束だけにとどめたのかどうかはわからない。



 何と声をかければいいか迷っているうちに「行くぞ」とだけ声がかかり、空井戸の縁に手をかけると、躊躇せず飛び降りてしまった。



 う、嘘だろ……深井戸なら三十メートルあってもおかしくない。身体能力強化の魔法を、目に働かせてある程度の夜目をきかせてはいる。それでもなお、どこまで続くか分からない闇にしか見えない。そんな空井戸をしばし覗き込んだあと、苦々しい気持ちを抱きながら縄梯子に手をかけた。



 それから、慎重に降り始める。梯子も伝わず、飛び込んでしまう神経が信じられなかった。たとえ、それが可能であっても自分ならしない。



 ティナとの関係で、わだかまった想いをサイラスに対して残しているから、こんなふうに鬱屈した思いが噴き出しそうになるのだろうか。駄目だ。いまは、余計なことをつらつらと考えているべき時じゃない。無理矢理に複雑な感情のあれこれをすべて呑み込んで、抑え込む。



 ライリーの存在はその助けになった。俺の首に小さな手をぎゅっとまわし、背中にしがみついた状態で一緒に降りている。



 この子は狼の獣人で、身体能力は相当高いはずなのに、自分に頼ってしがみついている。その事実がとても好ましく感じ、癒された。



 どの程度降りただろう。下まで辿り着く前に、サイラスから声がかかる。



「こっちだ」



 言われて注意を向けると、横から微かに風を感じる。おそらくそちらに横穴があるのだろう。



 隠し通路に降り立つと、わらわらと敵が湧いて出てくるのではないかと予想していたのだが、そんな様子は全くない。声も音もしない無音。



「見張りがいない?」

「少し先に気配はあるが、問題ない」



 歩き出すサイラスのあとを静かに追っていく。



 人の手が加えられていない自然の洞窟のように感じる横穴は、真っ直ぐではなかった。ジグザグに曲がりくねって奥へと伸びている。



 何度目かの曲がり角。その先にようやく微かな気配を感じとったその時、すでに瞬間移動したサイラスの振るう剣によって敵の血が舞っていた。



 黒ずくめの衣装に身を包んだ男たちが三人。斬り伏せられ、物言わぬ屍になっている。曲がり角の先にじっと息を潜め、闇に乗じて強襲しようと虎視眈々狙っていたはずの男たちを憐みの目で見つめてしまう。相手が悪すぎたな……。



 彼らを放置して先に進むと、下の階層へと繋がる階段が見えてきた。その階段を降りると、自然の洞窟のようだった通路の様子が一変した。



 足元は表面が平らな敷石が敷き詰められた石畳。壁面すらも平らでツルツルしている。そして――天井にはキラキラと青い光を放つ苔のようなものがびっしりと生え広がり、十分な明るさをもたらしていた。



 自分は潜った経験がないけれど、この苔については聞いたことがある。



「この苔って、もしかすると」

「あぁ、外から探った時にも、妙な魔力の流れがあるとは思っていたが……迷宮にしか生えないはずのものだな」

「そんな……迷宮なんて踏破しようと思ったら、時間が……」

「いや、魔物の気配はいまのところまったくしない。過去に踏破され枯れ果てた迷宮なのか、人工に造られたものかは分からないが、最奥までそれほど時間はかからない。進もう」



 歩みを再開したあとも、戦闘とは到底呼ぶことのできない一方的な殺戮が、断続的に繰り返された。



 見ているとよくわかる。サイラスには、骨の髄まで人殺しの技術が沁みついている。だから、あんなにも滑らかに敵を屠っていく。



 もちろん敵を倒すことに文句があるわけじゃない。自分だって村を出たあと、冒険者ギルドからの依頼でファーギーとともに盗賊を手にかけた。



 だけど……彼の冷め切った瞳を見つめ続けるうちに、湧き上がってきた疑問を抑えることが出来なくなって口を開いた。



「どうして、必ず剣を使うんだ? どの属性の魔法も使えるのなら、遠距離魔法で倒せばいいのに、それとも血をみないと我慢できない?」



 そんなに凄惨な殺し方をしなくても、もっと違うやり方が出来るだけの実力があるのに、なぜそうしないんだ。ライリーのように幼い子供までいるのに。



 もしかすると、彼の中には隠しきれない残虐性があるのではないか……この考えが、自分の中で否定しきれなくなったのだ。



 もしそうなら、



「自らの手が、真っ赤に染まっていることを忘れないためだったんだが……もはや習慣かもしれん」



 底冷えのする瞳を向けられ、一瞬立ち竦んでしまう。



 結局どういうことだ。サイラスの答えが理解できず、怯んでしまった自分にも苛立って…………口走ってしまう。



「俺はティナが好きだ、愛している」

「おう、知っているが、それは俺じゃなくティナに言ってくれ」



 あまりにも手応えのない淡白な反応。頭に血が上ってしまい、もっと言い募ろうとしたとき。



 クイクイ、クイクイ、クイクイ……袖を必死に引っ張るライリーの手に気づいて振り向いた。灰褐色の狼耳を真後ろに向け、金色の瞳に思いつめたような色をみせてブンブンと首を振っている。



 何をやっているんだ、俺は。ごめん、ライリー。少しは大人になったつもり、成長したはずだったのに、すぐに……やらかしてしまう。



 重苦しい気分のまま、下の階層に行くほどに歩く距離が長くなっていく入り組んだ通路を進みつづけ、下へ下へと降りていく。



 六層ほど下に降りたところで、唐突に終着地点と思わしき場所に出た。頑丈で重そうな大きい金属製の扉が、目の前に立ち塞がったのだ。



 ライリーが子供らしい好奇心からか、それとも雰囲気をよくしたかったのか、ふさふさの尻尾をパタパタさせながら開けたがったので場所を譲る。重そうな扉に手をあて、全身に力を込めて顔を赤らめながら押していく。幼女とはいえ狼獣人の膂力は凄まじいものがあるのだろう。



 扉が悲鳴のような音をさせながら、徐々に押し開いていき――円形の広大な空間が現れた。



 その中央。祭壇のような台の上に、女性が座った状態で拘束されていた。頭部には棘のついた器具が取りつけられ、その棘が刺さった場所から血が滴り落ちて身体を伝い、祭壇の上に注がれている。



「っ……!」



 驚異的な瞬発力で飛び出したライリーを、寸前のところでサイラスが掴んで留めた。取り乱しかたをみると、きっとあれがカルメラという神官なのだろう。



 部屋全体に、おびただしい数の人骨らしきものが散らばっており、床面に巨大な魔法陣が描かれている。



 祭壇の左右には二人の男が立っていて、一人は灰色のローブに身を包み、もう一人は黒く長い髪を腰まで垂らし、派手な刺繍が施された衣装を身に纏って背丈を越えるような長い杖をもっている。おそらく聖職者だろう。



 その聖職者らしき男が口を開いた。



「お主、女神の犬か?」

「そう呼ばれたこともあったが、いまは違う」



 サイラスから、立ち上るような殺気が滲み出し、それが空気を震わせ、肌が粟立ち、戦慄した。



「なるほど、凄まじいのう。ジョルト・ランフェラート第四王子殿下、お主用の対策をたてておいてよかったわい」



 そうして、その男は長い杖を高々と振り上げた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る