39.女神の取引を退け、考察を ※サイラス視点。


「ティナの呪詛を解いてあげてもいいわ――もちろん、無条件ではないけれど」



 術者を倒しただけでは呪詛を解呪出来ないと分かったいま、その提案は魅力的ではあった。だが、女神コーデュナは取引相手としてはあまりに危険で、信頼に値しない。直感は、聞く耳すら持たずに一蹴すべきだと告げている。



 アルたちの方を見やると、三人とも女神の人ならざる気配にあてられ膝を屈してしまっていた。おそらく声も出せないのだろう。彼らの意見を参考にすることは出来そうにもない状況だった。



 危険な賭けであると分かったうえで、賭けてみる価値が果たしてあるだろうか。



 束の間考えて、ティナの屈託のない笑顔が浮かんだ。もしも、本当にティナが助かるのなら……どんな不利益も相殺される。



 少なくとも、最終的な判断は話を聞いてからでも遅くはない。



「条件はなんだ」

「契約を交わしなさい。貴方がファーギーを自らの手で必ず殺すという。そうすればわたしはティナの呪詛を解呪してあげるわ。あの子を祝福してあげてもいい。二度と誰からも危害を加えられえないような加護をあげましょう」



 いざとなれば、非情にはなれる。ファーギーに関して、少し前にそう決意したこともあった。だが、これはさすがに違和感を覚えずにはいられない。どうしてこんな条件を提示する必要があるのか……。



 そういえば、クラウドがファーギーを殺そうとしていた時に「女神の思し召しである」と告げたことを思い出す。



 女神は自らの欠片を植え付けた神官に、淘汰するための生存競争をさせる。その為に各陣営で殺し合いをさせ、不適当な個体を排除し、より優れた生存力を持つ強靭な神官を選別して聖女にするのかと考えていたのだが、その理屈ならファーギーは敵陣営ではないはずだ――俺の、考え違いだったのだろうか。



 もしも、女神自身にはファーギーを殺すことができない。そんなことがあり得るとすれば、根本から見直さなければならん。



「なぜ俺に殺させる必要がある。それに、やけに大盤振る舞いじゃないか」

「ファーギーが死ぬことで少なくない人数の人間が不幸になるのを未然に防げるわ」

「…………何を焦ってる?」



 違和感が膨らんだ。ファーギーを俺に殺させようとする直接的な答えを避けるのは何故だ。それに、悠然と微笑んではいるものの、いつもの女神とは何かが違う。



 思えば、わざわざ自分から出向いてきたのも、来て早々にまるで口でも封じるかのように、帝国の祭司服を着た男を殺したのも、女神らしくない。これまで嫌というほど味わってきた憎たらしいほどの余裕が、なぜか感じられなかった。



 別れる直前、明らかに様子がおかしかったファーギー。まだ、聖女本体は宿っていないはずなのにあの変化は解せない、女神と聖女の関係にはまだ俺が知らない事実が隠されているのではないかと感じたではないか。



 想定していなかった、何かが起きている。



「困った子ね……ティナの呪詛が解呪できなくてもいいの? いま、契約をしなければ、二度と機会はないわよ」



 この申し出を撥ね退けて、ティナを救う方法が他にあるのか。何をおいてもティナを助ける手段を手に入れるべきではないのか……その想いは依然としてある。だが、受け入れがたい違和感と直感が苦渋の決断を後押しした。



 ***


 

「それでよかったとわたしも思います。仮説にすぎませんが、女神の計画に致命的な綻びが生じ始めているのかもしれません」



 淡々とそんなふうに告げたのは、ジャネットである。



 女神の出した条件に衝撃を受けたままのアルと、疲労困憊のライリー、さらには救い出した神官女性カルメラも公爵の手が届かないところに逃れたいとの意思を示したためにこの場にいた。



「仮説でも構わない。聞かせてくれ」

「サイラス様に契約で縛ってまでファーギー殿を殺させようとしているのは、彼女が人の手では殺せないどころか、女神コーデュナにすら手に負えない存在へと変質しているからではないでしょうか」

「いや、ファーギーは人の手で殺せるのは確認済みだ」

「本当にそうだと断言できますか? 死ぬ瞬間、実際に事切れるその瞬間に本質を現していたかもしれませんよ?」



 まさか――。



「なぜそう考えるのかは、少々遠回りで、長い話になるかもしれませんが」

「構わない」

「では、サイラス様が帝国の祭司と戦闘を行った地下迷宮についてですが、あそこはアバネガルと呼ばれていた神が封印されていた場所だと言われています」

「アバネガル……聞いたことがない名前だわ……」



 そんな反応を示したのは、青い髪と同系色の瞳を持つ神官女性カルメラだ。彼女の方を見ることもなく、ジャネットが話を続ける。



「アバネガルが広く知られていたのは三千年から四千年も昔の話ですから無理もありません。ですが、その当時は名の知れた神格の高い神だったようです。秩序と狂気の二面性を持つ女神で、啓示を与え導くことで秩序を維持する一方、その秩序を脅かす者に対しては苛烈で容赦がなく、狂気すらあらわにして破壊の限りを尽くし畏怖される存在でした」

「やけに、詳しいな」

「女神コーデュナを討ち滅ぼす方法はないものかと、伝承や記録を調べ尽くした時期がありました。その過程で知ったのです」



 女神が憎いゆえに俺の矛になりたいと願った時と同じように、感情の読めない錆色の瞳が瞬き一つせず真っ直ぐ見つめてくる。



「その神を封印したのが女神コーデュナということなのかしら?」

「いいえ。アバネガルが封印されたのは、神族にまで破壊の手を伸ばしたことで古の神々の王から怒りを買ったからだと伝えられています」

「古の神々の王……それが、どんな神だったかわかるか?」



 古の神という単語に思わず反応し、尋ねてしまう。



「残念ながら、わたしが調べた限りでは、名前もその神の性質も記録には残されていませんでした」

「そうか……続けてくれ」

「女神コーデュナの名が神話や伝承に初めて登場するのは二千年前のことです。おそらくコーデュナは比較的新しい神なのでしょう。もしもそれ以前から神として存在していたとしても、非常にマイナーな神だったと思われます」



 そこで彼女は、水を口に含んで一息入れた。



「女神コーデュナについて記した最初の記録によれば『この神には、形が無く、再生と吸収の神であり、全てを呑み込んで、魂を浄化し解放するものであった』と記述されています」

「形が無く、再生と吸収の神で、魂を浄化し解放するもの……」



 いまとはずいぶん印象が異なる。



「女神コーデュナについて記された二番目に古い記述には、アバネガルとの関わりが描かれています。古の神ですら倒すことが叶わず封印するしかなかったアバネガル。その封印はいずれ解けると恐れられていたようです。その潜在的脅威から民を守るため名乗りを上げたのが女神コーデュナで、その力をもって封印されたままの女神アバネガルを呑み込んだと記されていました」

「神々がひとつの神格へと融合されるのは何も珍しい事ではないですわ」

「カルメラ殿の言う通りです。ですが、明らかに神格が上だったアバネガルを呑み込んで、その魂を浄化し解放できたかどうかは甚だ疑問に感じませんか。事実、これ以後女神コーデュナは大きな変質を遂げ、存在感は急速に増していき、やがて熱狂的な信者を獲得して、現在のように大陸中に自分の神性を認めさせることになりました」

「変質とは?」



 初めて、アルが身を乗り出して話に加わってきた。

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〈連載版〉お持ち帰りしたおじさんとの恋は、問題だらけのようです 深山瑠璃 @raitn-278s

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