38.魂が蝕まれ、変質して得たもの ※ファーギー視点


 ささくれ立った心は、泣きながら意識を失って苦しそうな息を繰り返すティナを見つめるうちに、急速に冷めていき、諦念へと変化していった。



 そもそも、サイラスと交わした約束は単に貸し借りの問題。そこに、わたしが都合のいい幻想を抱いてしまったに過ぎないのだろう。



 サイラスにしてみれば、わたしがせめて信頼される仲間になりたいなどと過分な望みを持っていたとは思いもしなかったはず。それなのに、勝手に抑えきれない感情を抱いて、愚かにも期待してしまっただけ。



 考えれば考えるほど、自分の空回り加減に悄然としてしまい、頭を垂れた。



 これ以上見苦しい真似はよそう。



 約束は守る。戦闘能力だけを買われて託されたのだとしても、約束は約束。借りはきっちり返し、ティナを辺境伯領に無事送り届け、それで……終わりにする。



 ティナの目が見えていなくて良かったと心から思う。負の感情に囚われ、どうしようもなく醜悪な表情をしていた自分を見られたくはなかったから。



 彼女のことは嫌いにはなれない。むしろ、初めての友人になれたかもしれないとすら思う。



 でも、いまとなってはそれもきっと叶わない。わたしの魂は、同化されかけたことによって、大きく変質してしまっていたから。



 外側はいまも人間ではある。けれどその本質は、もはやヒトとはいえなかった。



 サイラスのとった手段が極めて効果的だったことは間違いない。



 わたしにとっての妹は、ただの肉親というだけでなく、長年にわたって生きる原動力ですらあったからだろう。その声と魔力が与えた影響は劇的だった。



 魂が蝕まれ、意識が完全に混濁し、一つになりかける寸前。そこまでいっていたにもかかわらず、同化が中断されただけでなく、別の意識が支配的になりかけていた形勢を完全に逆転させ、わたしの意識を呼び戻せたのだから。



 それでも、大きく変わってしまってはいた。



 魂が混ざり合ったことで、これまでは知る事が出来なかった女神の記憶が流れ込んでいる。その結果わかったことだけど、あの女神には隠し事が多すぎた。



 あの時わたしの意識を支配しようとして、最も力を及ぼしていたのは女神ですらなかったのである。



 

 わたしの魂はいまでは、二柱の魂が混ざり合った状態にあり――しかも、より強力に喰いこんでいるのは、女神が邪神と呼ぶ存在の方で、その力の一部を引き出すことが可能になっていた。



 その影響で、魔力は桁外れに増大し、もはや様々な面で人としての領分を超えてしまっている。



 どう考えても、神などいない国を目指そうとしている新しい国のなかに、わたしの居場所があるとは思えない。



「きっと、あなたにはそれがよくわかるんだろうね」



 ティナを自らの背に乗せている魔獣に向かって声をかけた。



 姿勢を低くし、手を差し出してみても、一向に警戒を緩めてくれない。撫でさせてはくれないものかと、わたしの方からは敵意も殺気も向けてはいないのに、牙をむきだし唸り続けている。



 その魔獣は豹に似ていたが、ただの獣よりはるかに大型で、筋肉質。毛色は白くて柔らかそう。頭部には二本の小さな角が生えていた。



 おそらく魔物使いの男が、ティナだけでも辺境伯領まで辿り着けるようにと、この魔獣に託したのだろう。ただ……周囲を感知してみたところ、すでに魔物使いの男の命は尽きている。



 それでも、命じられたまま辺境伯領に向かっているのだとすれば、魔法で強制的に従わせていた子ではなさそうだ。もしかすると、あの男にとっての特別な一頭だったのかもしれない。



 もしも、飼い主がいなくなって一人ぼっちになってしまったのなら、辺境伯領まで無事辿り着いたあと、この子……相棒になってくれないかな。



 アスメルン王国王都の小高い丘に住み着いていた太った猫もお気に入りだったけれど、あの子では連れ歩くには弱すぎる。でもこの魔獣なら。



 せめて、この魔獣ぐらいは、わたしの傍にいてくれないだろうか。そんな望みがむくむくと湧き上がってくる。



 妹だけはかつてわたしを必要としてくれた。それは間違いない。けれど、その妹も、わたしを必要としてくれた時期はとっくに過ぎ去った。



 妹は一人で十分に生きていける。邪神と女神の魂が混ざり合ったことで、この先どんな影響がわたしに出てくるか――わたし自身にもわからない。



 わたし自身が彼女を害する可能性さえあるかもしれない。そんなわたしが関わったり、近くにいたりしない方が危険に巻き込まれることもなく、安全だろう。きっと彼女はいつの日か魔道具職人としても成功を手にする。わたしに出来ることは遠い場所でそれを願うことだけ。



 わたしには、人と共に生きるという、そんな未来は失われたとしても。



 悪い事ばかりじゃない。



 女神の欠片にはこれまで散々妹の命を盾に脅されたが、それはもはや意味をなさないことをわたしは知っている。わたしは、女神が邪神と呼び、女神が脅威に感じている存在の力をたとえ一部とはいえ手に入れた。もしかすると女神を傷つけることさえ可能かもしれない。



 もはや女神に、わたしをあっさり殺すことなどできない。干渉する事すらままならないはず。



 事実、あれほど煩わしかった女神の欠片の声が、完全に沈黙してしまっている。何という解放感だろう。



 まず、手始めにティナの呪詛を解呪してあげることにしよう。第七王女殿下が持つという固有魔法があれば、呪詛を遅らせる事が出来るらしいけれど、もはやそんなものを待つ必要はない。



 ティナの魂に喰いこんでいる呪詛の力を隅々まで見通してみる。



 細部に至るまですべて理解できた。そこには術者だけではなく、もう一人の血、そして女神の欠片までが絡み合っているのが認められたが、そんなものは、いまのわたしには何の妨げにもならなかった。


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