29.絶対に、攻撃の手を緩めるな!


 ぽっかり空いた大きな洞窟の入り口から這い出てきたのは、有毒性の霧を全身から立ち昇らせた巨大な人型の魔物だった。



 屈めていた身体をゆっくりと起こし立ち上がる様を、わたしたち全員が距離をとったまま、しばし呆然と見入ってしまう。



 あまりにも巨大で、あまりにもおぞましい姿をしていたからだ。



 見た目は腐乱死体のようにところどころ身体が崩れ、体液を垂れ流し、いたるところにカビのような菌類がびっしり生え、尋常ではない悪臭を放っている。



 六本の腕があり、大きな一つの目と、裂けるような口がついていた。おどろおどろしい外観に、生理的嫌悪感と恐怖が煽られる。



「な、なんだ、なんなんだコイツは……こんな魔物……見たことないぞ」



 全員が困惑を隠しきれない。



 すると巨大な人型の魔物が、まるで地の底から湧き出たような不気味で長い咆哮をあげ、その口から凄まじい勢いで青白い霧を吹きだした。



 まるで竜種のようなブレス攻撃。



 触れた瞬間。草木や大地そのものさえ、瞬く間に生気が奪い取られ、萎れ、朽ち果てていく。



「くそッ――絶対に触れるな!! アレにやられたら、回復できるかどうかもわからんぞ!」



 内心で全面的に同意する。あ、あの霧には決して捕まってはならない。



 ただし、普通の霧のように広く充満していくのではなく、その場に重くとどまって滞留していることだけが救いだろうか。



 それでも、戦いが長引けば長引くだけ、安全な場所を確保するのが難しくなっていくよね。出来るだけ素早く倒さないと……。



「散開、遠距離攻撃だ!!」



 号令に応え、弓使いの二人が射た矢が突き刺さったが――すぐにボロボロと朽ち果て、攻撃は意味を成さなかった。



 植物を操る魔法の使い手が「プレデター・プランツ!」と叫び、大地から捕食植物を芽生えさせ、急成長、巨大化して化物の足を呑み込もうとするが、触れることすら叶わない。ちがう。実際には触れた瞬間に、萎れ朽ち果て崩れ落ちていく。



「なんて奴だ、あんなのどうやって倒せばいい」

「近接職は近づくことも出来んぞ」



 確かに、この戦闘。わたしたち魔法職がいかに戦えるかにかかってくるかもしれない。サイラスの根気強い指導のおかげで、ただただ巨大な火の玉をぶつけるしかできなかった頃のわたしではない。ファイヤーボールは進化を遂げ、それ以外の魔法も多少は使えるようになっている。今こそ、その成果を示すときだ。気を引き締め、集中し、魔力を練り上げていく。



 その間に、ファーギーが攻撃魔法を唱えていたのだろう。天から聖なる光が集束し、太い柱となって魔物の頭上に落下し、直撃した。目も眩む輝き。地面を抉る派手な破砕音。砂利や何かの破片が飛び散り、砂塵が立ち昇った。



 凄まじい威力。



 なのに、砂塵が晴れてくると、陥没した大地に膝をついていた化け物が立ち上がろうとしているところだった。



 目を疑わずにはいられない。あれだけの高威力な攻撃魔法が直撃したのに、ノーダメージ……?! 



「巨人型のアンデッドだと思ったのに……神聖魔法が弱点属性じゃないなんて」



 ファーギーの口から戸惑いの声が漏れ、ゲルガー・ヴォイエンが答えた。



「弱点属性でないとしても、デカブツの身体が一度半分に裂けたのを見たぞ。効いていないわけじゃねぇ。ただ……驚くべき速度で再生してやがるんだ!」



 よ、よくわからないけど、ファイヤーボールの改良版なら、どうだ。



「ファイヤーボール・コンティニュアス!」



 空中に無数の火球が出現し、連続して巨大な魔物に襲いかかる。巨体が炎に包まれ、火達磨状態。その調子、お願い、そのまま派手に焼き尽くさせて。



 願いは呆気なく断たれる。火が燃え移ったように見えても、たちまち回復が始まり、肉が再生されると同時に火が消え、焼け焦げてくれない。



 桁違いの回復力を見せつけられ、心が折れそうになる。



「な、なんて奴だ」

「弱点はないのか?!」

「落ち着け! 絶対に何かあるはずだ!」



 動揺の声がおこるなか、巨体が身を屈め――空中に跳びあがった。



 信じられない攻撃手段。まさか、あんな巨体でそんな動きをするなんて、完全に虚をつかれ、硬直してしまう。しかも、もしかしてわたしを狙っている?!



「危ない! 逃げて!!」



 反応できないわたしの横から、ファーギーが体当たりするような勢いで突撃。組みついたまま身体を捻り、勢いを弱めながら転がってくれた。



 間一髪の回避。



 直後、凄まじい轟音。風圧。振動。体液があちこちに撒き散らされた。



 自らの巨体を利用し、圧するように全身で落下してきたのだ。体液が降り注いだ場所は、何かの酸のように付近を溶かし蒸発している。



 なんて攻撃だ。



「あ、ありがとうファーギー」

「正面には立たない! ひとところにとどまっちゃダメ、動き回りなさい!」

「うっ、はい」


 

 だめだ――戦闘経験の差が出ている。忠告通り、転がって痛む身体を引きずりながら走り、距離をとって魔法を練り直す準備に入る。



 その間に、強烈な風圧を伴う巨大な拳が傭兵の男を襲った。片手剣で防ごうとした男が吹き飛ぶ。追い打ちをかけるように突進。大盾を持つ騎士が割って入り、立ち塞がる。全身をぶつける体当たり。圧倒的なパワーの前に騎士が弾き飛ばされ、立ち上がるより先に大盾を放り投げた。盾が瞬く間に朽ち使い物にならなくなったのだ。



「バカ野郎! 受け止めるな! 常に回避するんだ!!」

「お、おう」

「神官女!! 瀕死状態以外は回復するなよ。魔法の威力は多分お前が一番だ。お前の魔力が尽きたら攻撃の手が足らなくなる。それから小娘!! さっきの火魔法をもう一回使って見ろ!」



 目を血走らせながら、吠えるように指示を出すゲルガー・ヴォイエン。



「…………」呼び方とかいろいろ思うところはあっても、いまは戦闘経験豊富そうなこの人に従うべき。そう考えて、同じ攻撃をしてみたけれど……全く同じことが繰り返された。



 ファイヤーボール・コンティニュアスが炸裂し、火達磨になるかと思えば、回復され、巨体が驚くべき跳躍で空中に舞いあがり、全身でわたしを圧するように攻撃してくるところまで、そっくりそのまま。



 さすがに、今度は魔物が身を屈めた時点で、自分自身の足で必死に駆け回り、回避したけれど。



「グハハハハハハハハハハハ――おい、明らかに火を嫌がってやがる。お前ら、最善手を見つけたぞ!!」



 ゲルガー・ヴォイエンが狂ったように笑ったあと、新たに号令をかけた。



「火だ! 奴の全身から立ち昇っている毒の霧が、火が触れた瞬間その部分だけ消えてやがる。火力自体は必要ない。全身を炎で包み続けろ!! あの霧さえなければ、直接攻撃も朽ちずに届く! 恐れるな! 攻撃を加え続けろ! 一撃の破壊力が高くても、近づけないほどの高威力魔法では続けて攻撃出来ずにすぐに再生する。それよりも、一定の攻撃力を保ち続けて連続して削れ!! 再生する速度を上回るんだ!」



 つ、包み込むように焼く…………それなら「ファイヤーストーム」かな。それも、出来るだけ注ぎ込む魔力量を制御して、抑えて、薄く、弱く、長く保たせなきゃ。



「よし! いいぞ、全員でかかれ!! 直接攻撃の間隙は神聖魔法で埋めろ! いいな、体力も魔力も振り絞れ!!!」



 炎に包まれた魔物に対する、全力の同時攻撃が始まった。



 一撃必殺の剣技が襲いかかり、肉片が散らばる。誰かが、弾き飛ばされながらも体勢を整え、着地して直ぐに再び身を躍らせ斬りかかる。



 六本の腕が自在に動き、回避しきれずに殴られ、鮮血が溢れる。魔物の肉片とともに体液が四散し、火傷を負って皮膚が爛れる。吹き飛ばされ、全身を激しく打ちつけ、それでもなお攻撃の手を緩めない。



 槍を持つ騎士は渾身の刺突を続け、別の誰かは足の間を抜けて背後に回り込み斬り払う。射手も通常の矢を火矢へと変えて参加する。



 火達磨のまま魔物が咆哮した。ブレス攻撃。しかも、首を振りながら放ってきた攻撃が広く毒の霧を撒き散らす。散開してなんとか避けきった。



 再び殺到する。僅かの間にまた少し回復された分を近接攻撃の面々が、最後の力を振り絞って、ザクザク斬り刻む。



 激痛に耐え、叫ぶ声が響いた。



「歯を食いしばれ!! 攻撃の手を絶対に緩めるな!!」



 まるで狂戦士のよう。それでも人には限界がある。体力は無尽蔵じゃない。



 近接戦闘をつづける人たちは満身創痍になっていき、消耗が激しく、力尽きて攻撃参加できずに、一人、また一人と、立ち上がれなくなっていく。



 そこからファーギーの猛攻が始まった。全体の攻撃力が一定の数値を下回らないように、至近距離で聖なる槍があらゆる方向から間髪入れずに撃ち込まれていく。



 全身を突き破り、ずたずたに破壊し削り取っていく。一方的に攻撃を当て続け、肉片が飛び散り、化け物の身体が縮み始めた。す、すごい。



「踏ん張れ!!!」



 全員がこれ以上ないぐらい消耗している。わたしの魔力も尽きかけてきたのがわかる。そこからは、もう自分のことだけで精一杯で、周りの様子はなにも把握できなくなった。



「ぐああああああっ!」絶叫。最後の力を振り絞るために叫んだ。



 あと、少し。あと、少し。あと、少し。これ以上の戦闘継続は不可能。



 終わりは唐突だった。



 魔物が、ついに形を保てなくなり、全身を震わせ、塵となって崩れ落ちていったのだ。



 ドッと歓喜の声が上がる。膝をついて大きく息を吐く。よ、よかった。なんとか、なった。ぎりぎり、本当にぎりぎりだったけど、勝てたんだ――。



 なのに、耳鳴り、頭痛、眩暈、吐き気が不意に襲ってきて……声が聞こえた。



《お前が無意識に築いていた障壁が、魔力の枯渇と共に崩れた。ようやく、ようやく喰いこめたぞ。まずはお前の目を奪ってやろう。我らの邪魔をする者はすべて、苦しんで、苦しんで、苦しんで、死ねばよいのだ》



 視界が暗転し――そのまま、意識が途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る