30.一時的な共闘よりも、忠誠を誓う者を ※サイラス視点
アスメルン王国王都を発って九日目は情報収集に努めた。聖都オルティノスにあるラスタード公爵の邸宅、私設孤児院、聖都近郊の石切り場についても、実際に様子を探ってみた。
並行して、アルと狼獣人の幼女ライリーには、女性神官カルメラの匂いだけに絞って、その跡を辿ってもらっている。
明けて十日目の昼すぎ。ハーエンドリヒ侯爵配下のクラウド・ランフェルと連絡がつき、会談の場を設けることに成功したのだが、指定されたのは意外な場所。大陸中に支店をもつ大商人キーランの別宅であった。
しかも、向かい合って座るのは白い甲冑を身に纏った女性。ジャネット・ハーエンドリヒ。侯爵家の次女である。
女性に対してこんな表現は失礼だと思うが、彼女の顔立ちは特別美人という訳ではなかった。髪や瞳も地味な錆色。だが、どこか見入ってしまうような凛とした雰囲気、オーラを持っていた。
「お目にかかれて嬉しく思います。殿下と呼ばれるのはお好きではないとか、何とお呼びすればよろしいでしょう」
「サイラスと」
「では、サイラス様。単刀直入にお話しするのをお許しください。もしも父がこの場にいれば、今回の共闘要請を受ける交換条件として、わたしの股に貴方の子種を注ぐことを求めることでしょう」
「お嬢様!」
驚くほど明け透けな発言に、背後に立っていたクラウドがおもわず止めに入ろうとするが、ジャネット・ハーエンドリヒは彼の方を一顧だにせず、話を続けた。
「受け入れていただくことは可能でしょうか」
何の感情も読み取れない錆色の瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
ルーファス・ハーエンドリヒ侯爵が、この娘との婚姻を何度となく勧めてきていたが直接会ったことはなかった。面白い娘だとは思うが、当然そんな要求を呑めるはずがない。
「縁談の申し込みを断っていたのをどう受け取っていたのか分からないが……決して、ジャネット嬢個人を否定していたからではない。侯爵が望む『俺の子を王にすることで、聖バルゴニア王国に未曽有の繁栄をもたらす未来』とやらに協力するつもりがないんだ。受けることはできない」
「そうですか。ならば、ハーエンドリヒ家としてはこれで完全に交渉決裂です。ここからは、わたし個人と交渉していただけますか?」
断られて落胆した様子など微塵も見せず、まるでここからが本題だと言わんばかりの態度でそう続けた。
「……話が見えないが、続けてくれ」
「わたしは侯爵の娘であることを捨てます。一人の戦士として、貴方の矛の一つにしていただきたい。麾下に加えていただけるなら、わたし個人の武力に加えて、わたしが自由に動かせる手勢十三名と、わたし個人が関係を築いてきた大商人キーランの資金力と情報網があなたのお力になります」
「お嬢様、何を血迷われているのですか!」
またもクラウドが遮ろうとするが、ジャネット・ハーエンドリヒは彼の存在を完全に無視して、錆色の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめ答えを待っていた。
なるほど、わざわざ大商人キーランの別宅に招き、その関係性をアピールしたのは自分の価値を高めるためか。だが、どんな思惑で麾下に加わることを望むのか、その真意が読み取れない。
「……俺に馬上で槍を突き合うような騎士は必要ないぞ?」
「わたしは騎士のように戦えと言われれば、真っ当な方法でそうすることも得意ではあります。ですが、工作兵として一夜で城を崩すことも可能です。決して、騎士の位が欲しいわけでも、懐に入れていただいた後でサイラス様の子種をもらい受けようなどと考えているわけでもありません」
その言葉を語る様子は、どこにも力が入っておらず、あくまで自然体。
「サイラス様は、これまで特に配下を必要としてはこられなかったのでしょう。ですが、これからはそういう訳にもいかないはず。わたしを麾下にお加えくだされば必ずや力になって見せます」
この娘の言う通りで、これから先は立場や事情が変化する。
辺境伯からの王になって欲しいとの求めには、王の器ではないと言って固辞したが、新国家樹立後に将軍として国を守るために働いて欲しいとの要請までは断れなかった。そうなれば、有能な人材はいくらでも必要になるだろう。
それはそうなのだが……ジャネット・ハーエンドリヒのあまりに泰然自若な振る舞いを見ていると、それを崩してみたくなった。
殺気に魔力を混ぜて相手に叩きつけ、威圧する。
すぐさま背後に立つクラウドが身を固くし、顔面が蒼白になった。
にもかかわらず、ジャネット・ハーエンドリヒの表情は静かなまま、瞳に緊張の色さえ浮かばない。
侯爵家の令嬢が修羅場をくぐる機会など、そうはあると思えないのだが――。
「確かに、敵を前に臆病風に吹かれることはなさそうだ。だが、なぜ俺の矛になりたいなどと願う」
「女神が憎いゆえに。辺境伯領に集うのはそういう者たちの集まりでしょう?」
「それなら直接辺境伯か、第七王女の配下になればいいだろう」
「失礼ながら、サイラス様のお傍が、もっとも多くの血が流れると思いました」
瞬き一つせず、真っ直ぐ見つめて言い切った。
二心があるかどうかはまだ分からない。だが、少なくとも気紛れにじゃじゃ馬ぶりを発揮しているわけではなさそうだ。ならば、当初考えていたようにクラウドだけを説き伏せ、今回の件のみ共闘する味方を得るよりもよほど得策かもしれん。
「…………いいだろう。こちらから勧誘したいぐらいの人材だ」
「ま、待ってください! ハーエンドリヒ侯爵の娘が、出奔でもするおつもりですか? このまま離反するのを黙って見過ごすわけにはいきません。民の生活が最も豊かになる道、可能な限り民の血が流れない道を選ぼうとされる……ハーエンドリヒ侯爵のお心を、なぜお二人とも理解していただけないのです!」
クラウドが硬い表情でまくしたてるが、ジャネット・ハーエンドリヒの表情は冷めていた。
「父の望む未来は、ただただ女神を妄信しているだけ。民のためなどと聞こえのいい理想を口にし、身を削る努力もせずに『未曽有の繁栄』を願うなど愚かしい。女神の支配に歪みが生じているのが何故わからないのです。おまけに私腹を肥やす宰相との政争に無策で敗れ、ラバルナ帝国に魂を売り渡した公爵が民の命を弄んでいるのに戦おうとしない。それが民を第一に考えている者の在り方ですか。クラウド、わたしがこのまま父のもとにいれば、いずれわたしは愚かな父を自らの手にかけますよ」
侯爵に心酔しているクラウドからすれば、その娘が発した言葉とはいえ、今の言葉は許しがたかったのだろう。怒りで、顔がどす黒くなっていた。
「…………わかりました。残念ですが、ジョルト・ランフェラート第四王子殿下とジャネットお嬢様の意思は、必ずハーエンドリヒ侯爵にお伝えしましょう。歩む道が交わらなくて残念です」
そう言って、クラウドは陰鬱に笑い、去っていった。
屋敷からクラウドの気配が消えると、ジャネットが立ち上がり、目の前にやってきて跪き、頭を垂れる。
「では、誓わせてください。わたしは、今日この日この時をもって、生涯あなたにお仕えします。あなたの矛としてあなたの敵を屠りつづけ、いかなる時もあなたを裏切らず忠誠でありつづけ、必要とあればあなたのために命を捧げます」
「そういう堅苦しいのは苦手なんだが…………わかった。俺も、お前に居場所と糧を与え続け、良き主になれるよう努めると誓おう」
「ではこれからは、ただのジャネットです。そうお呼びください」
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