36.せめぎあい、しのげるか ※ファーギー視点


 馬に水を飲ませるため少しの休憩をとっていると、筋肉のかたまりのような大男が濁声で怒鳴ってくる。



「おい神官女、合流する前にあんたら二人の特徴を聞かされていたんだが、全く違うじゃねぇか! お前、期待外れもいいところだぞ!」



 近衛騎士団で分隊長を任されていたのだから生まれは当然貴族のはずだけど、とてもそうは思えない粗野な話し方。返事をするのも煩わしい気分だったが、辺境伯領に着くまではこの集団の指揮官的立ち位置にいる男だ。



 無視するわけにもいかず、ゲルガー・ヴォイエンを睨みつけた。



「何がどう違うのよ」

「神官女の方は意志の強そうな榛色の瞳が特徴的。しかも、とびきりの美人だと聞いていた。それが実際はどうだ、生気の感じられない瞳で陰気な気配を漂わせやがって、鬱陶しくて仕方ねぇ! なんとかしやがれ!」



 好き放題怒鳴って、もう背を向けている。



 言い方は癪に障るけどその意図は理解できた。女神の欠片が、わたしの中で抑えきれないほど大きくなっている。正常に物事を考えられなくなって、二つの意志がせめぎあう時間が増えていた。わたしから漂うその不穏な気配を察して、指揮官として不安材料をこれ以上放っておけないと判断しての発言なのだろう。



 だけど、何とかできるのならとっくにそうしている。



 どんなに苦しいことがあっても、妹レティの笑顔を思い出せば生きる力が湧いてきたはずなのに、最近はそれすらうまく作用してくれない。



 これ以上放置しておくとわたしの存在はみんなの害にしかならない。いっそのこと、殺してくれればいいのに――そう考えて、唖然とする。



 いまわたしは何を考えていたの。どうか、妹の命を助けて、妹だけは幸せにして欲しい。一心不乱に祈ったその願いを叶えつづけるために女神と契約し、これまで生きてきたというのに、全部無駄にするつもりなのか。



 それに、アスメルン王国の王都を発つ直前には、サイラスとも約束を交わしたじゃない。



「クラウドから助けたあと『借りは返す。いつでも取立てにきて頂戴』と言ったのを覚えているか? ティナの命を託したい。ファーギーを頼りにしている」



 落ち着いた低い声でサイラスが告げたその言葉にわたしは頷き、必ずティナを辺境伯領まで無事に送り届けると約束したのだ。



 しっかりしないと。



 ここのところずっと解消されないひどい頭痛に耐えるため、こめかみを押さえながらみんなが集まっている方に戻ると、国境を越えるまで共に行動していた男たちの一人、御者に扮していた男が来ていた。



「おい神官女、お前もこっちに来い」



 ゲルガー・ヴォイエンに呼び止められその場に加わると、報告が始まった。



「ラスタード公爵の注意をこちらに向けようとした行動が、少々効きすぎたようです。先行部隊として騎兵中隊がおよそ二百。その中には上級攻撃魔法を使えるものまで含まれています。おまけに、後続部隊の準備まで急がせています。公爵はあの魔物を倒されたのが相当気に入らなかった様子です」

「ほう。対して、こちらは騎士が三、傭兵が五、神官女に、お荷物が一か。支援要員として動いているお前らは何人残っている?」

「二人は他の場所へ連絡のために移動し、例の村から住民を避難させるためにも人を使っていますから、私を入れて四人です」

「多勢に無勢なんてもんじゃねぇな……」



 束の間、沈黙と嫌な雰囲気が場を占めたのを打ち払うように、ゲルガー・ヴォイエンが大声を出した。



「心配はいらん! なんといっても、こっちには神官がいるからな。コイツの魔法威力は証明済みだ。おい、広域にぶっ放せる魔法も使えるのか?」

「最上級広域攻撃魔法が使えるわ。だけど、敵の中隊に上級魔法を使える人間が混ざっているのなら、どの程度被害を与えられるかは分からないわよ」



 おそらく、こちらの魔法を防ごうと魔力障壁を張ってくるだろうし、相殺するための攻撃も放ってくるだろう。実力差に相当の開きがない限りわたし一人の魔法で圧倒できるとは考えにくい。



「十分だ。こっちは殲滅するつもりなんかねぇんだ。とりあえず、いまから俺らは全力で逃げる。だが、どこかで必ず追いつかれる。こちらに条件のいい地を支援要員の方で先行して探しておいてくれ」

「私は魔物を操れます。とりあえずシャドウウルフの群れでも使って敵の進路を妨害させましょうか? 少しは足を遅くさせられます」

「妨害したところで、馬車を使わざるを得ない状況では、どう足掻いても辺境伯領に着く前に追い付かれるんだ。それなら衝突の直前までとっておこうじゃないか。混乱しているところに神官女の魔法をぶち込む方が効果的だろう」



 確かに馬車を使わざるを得ない。ティナの状態が悪化したからだ。



 森の中にある谷底で正体不明の魔物を倒した直後、意識を失って倒れ、目覚めた時には視力を失っていた。



 戦闘で魔力を枯渇するまで使い切ってしまったことが、呪詛を進行させてしまう結果になったのだろう。解呪さえできれば、きっと自然に視力も回復するはず。本人にはそんな希望的観測を伝えているけれど、実際のところはわからない。



 おまけに、高熱をだして起き上がれず、寒さを訴えて絶えず身体を震わせ、口に入れるのは水のみ。手足にうまく力を込めることさえ叶わない。そんな状態では、支援要員を担ってくれている人たちに馬車を手配してもらうしかなかった。



 幾重にも毛皮や布で包み、揺れる馬車の荷台にずっと寝かせているけれど、目覚めても意識が朦朧としていることが多く、ひどく弱気にもなっている。



「サイラスにもう一度、会えるのかな……」



 何度も似たようなことを呟いていたので、独り言か寝言のようなものだとは思いつつも、苦しそうな息で手足を力無く垂れさせ、震えながら弱音を吐く様子に放っておけなくなる。



 こんなのは自分の柄じゃないと思いながら、その震える手を掴んで両手で包み込むようにぎゅっと握り込み、励ましの声をかけた。



 大丈夫。わたしはまだ、心からティナを救いたいと思っている。このまま死んでくれたらいいのにとか、できるだけ辺境伯領に着くのが遅くなって間に合わなくなればいい……なんて、そんなこと思っていない。そんなことを考えるのはわたしの意思じゃない。絶対に違う。



 だから、なんとしても全力の逃走劇を成功させてみせる――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る