05.ファーギーは幸せになりたい、どうしても(前半)※ファーギー視点

 うんざりしながら、ギルドの酒場に突っ伏したまま顔も腰もあげないパーティーメンバーのアルを見下ろした。無駄にキラキラした金色の頭に水でもぶっかけてやろうかと思ってしまう。



 今朝、待ち合わせの時間に来てみればこの有様だったのだ。



 ティナがおっさんとパーティーメンバーを組んだだけでなく、同じ宿屋の一室に泊まっていつも一緒にいる。そんな噂を耳にしたアルは「絶対に信じないし、確かめにもいかない」と現実から目を背け続けていたのだが……ついに二人が宿屋に入っていくところを偶々目撃してしまったのが前日の夕方。



 ずいぶん塞ぎ込んでいたのは知っていたけれど、結局自分の宿屋に帰りもせずここで一晩飲み明かしたらしい。



 アルを見ていると腹立たしくて仕方なくなる。



 自分の幸せが幼馴染の女の子と共に生きることだという確信があったのなら、なぜ全力で自分の気持ちを伝えようとしなかったのか。王都に出てくる前に勇気を出して手を伸ばせば、届くところにその幸せはあったのではないか。



 なのに、遠回りのアピールを繰り返した挙句、わたしのような女と関わることになり、あんなおっさんに横から掻っ攫われた。愚かとしか言いようがない。



 そう思いながら、拳を強く握りしめ唇を噛みしめた。



 違う。責任転嫁だ。この苛立ちの半分以上は、自分に対するものでもある。例えアルが愚図愚図していたとしても、わたしさえいなければ――アルとティナは、幼馴染同士結ばれる日がきたのではないだろうか。本来あったかもしれない幸せを壊したのは自分だという気分がどうしても拭えずに、苛々してしまう。



《あら、そんなふうに自分を責めなくてもいいじゃない。アルの場合は自業自得でしょ、思い出してみなさいよ『ティナはいつも一番大事にしてもらえるのが当たり前になっているから駄目なんじゃない? わたしと付き合うふりをしてみれば、男としてアルを意識し始めるかも?』と親切ぶって言ってみれば、簡単にその提案に乗ったんだから》



 不意に耳障りな女の声が脳内に聞こえてきて、不快感に眉をしかめた。



《恋人が出来ても意識されないのを嘆くアルに『パーティーを一度追い出すふりをしてみれば? すぐに戻してあげればいいのよ。あの子は相当鈍いから、一度離れる事でようやくアルの大切さが身に沁みるかも?』なんて囁いたら、やっぱり簡単に同意したのもアル自身でしょ。自分で蒔いた種よ》



 この女の指摘は正しい。アルは、どうしようもないバカだと思う。そんなことは知っている。それでも、わたしの責任が無くなる訳じゃない。そして、わたし以上に罪深いのはこの声の主だ。



 声の主との付き合いは、すでに十年になろうとしている。九歳の頃の記憶、それを意識して掘り起こす。



 いままでも何度となく、心が迷うたびにそうしてきたように。



 ***



 九歳のわたしは、初めて神殿に駆け込んで、女神と契約を交わした。



《あなたの願いを聞き届けてあげる代わりに、対価が必要なの。あなたとの契約はそうね、私の欠片を一定期間あなたの中に入れさせてもらうことにするわ。その間は私が望む時に、私の意志に従って働いてもらう。もし契約を履行しなかった場合には聞き届けた願いを即座になかったことにする。どうかしら》


(一定期間というのは、どれぐらいの長さですか?)


《心配しないで、あなたが心から幸せだと思える毎日が送れるようになれば、欠片は自然と消滅する。あなたにはとりわけ強い加護を与えてあげるし難しい話じゃないわ。聞きたいことはそれだけかしら?》


(……はい。どうか、お願いします)


《いい子ね。契約は成立よ。願いは聞き届けられたからお家に帰ってみなさい》



 そう言って、わたしの中に女神の魂の欠片が入り込んできた。



 後で受けた説明によれば、欠片は分けられた時点で、本来の女神と同一の存在ではなくなるのだとか。同調は出来るらしいが、性格も意志も少しだけ異なった女神の卵のようなものがわたしの中に産み付けられた状態で、わたしが幸せになれば消えてなくなるけれど、不幸になればなるほど、あるいは負の感情を抱けば抱くほど育っていく。そんな説明をされたわたしは、一時期恐怖と心理的抵抗感で取り乱し平静を保てなくなった。



 詐欺のようなものだ。本当は女神ではなく、悪魔のような存在なのかもしれないと思う時さえある。不幸になればなるほど育って、育ちきってしまったら、その後どうなるのか、何度尋ねてもその説明すらしてくれない。



 ***



 わたしはこの時の記憶を何度も何度も思い返してみては、あの時の選択が正しかったのか考え、そしていつも同じ結論に至る――女神と契約を交わした当時のわたしには、どうしても奇跡的な力が必要で、これ以外の道はなかった。時が巻き戻されてもう一度選べるとしても、やはり女神に助けを求めるだろうと。



 その結果誰を不幸にしても、誰かを傷つけたとしても。



 だから、アルがいくら気の毒であったとしても、今さらわたしが罪の意識に浸るのは滑稽なだけだ。そう思い定める。



(ねぇ、そろそろ教えなさいよ。どうしてアルとティナを離れさせて、ティナをおっさんと出会わせたのよ? あのおっさんは何者なの?)

《運命の出会いをさせてあげただけと言っているじゃない。時が来れば、男の正体も、あなたに与える新たな役割もあげるから、もう少し待ちなさい》



 運命の出会いをさせてあげただけなど、誰が信じるだろうか。今までもこの女神の卵の意志に沿った役割を幾つも果たしてきたが、関わった多くの人間は不幸な目にあっているのだから。忌々しい。



《で、どうするの、アルは起こさないの?》

(言われなくても、起こすわよ)



「アル、起きなさい。依頼はどうするのよ?」

「あぁ。なんだ、ファーギーか」



 短杖で脇腹を小突きながら起こすと、むっくりと顔をあげて、焦点のあっていない顔を向けてくる。



「なんだとはずいぶんな挨拶ね」

「ねぇ、僕のことをどう思う? ファーギーから見た、僕の正直な評価を聞かせて欲しいんだ」

「は? まだ酔ってるの?」

「真剣だよ。受け止めたいんだ。何が悪かったのか。いまの現状を。だから頼む」



 何を考えているのか知らないけれど、聞かせてあげようじゃない。



「評価ね……ちょっと顔が良いだけのヘタレ男。負けず嫌いで、融通が利かず、非効率的な言動に走りやすく、傷つくのが怖くて格好をつけている。自分の好意を口にするのに腰が引けているようじゃ男として意識されないのは当然。ようするに、十六歳と言えば成人年齢には達しているものの、中身はまだまだ子供で――」

「ちょ、ちょっと待った。辛辣過ぎるわ。刺さりすぎて立ち直れない。聖職者のくせに、思いやりの感情がないのか、冷酷女」

「あんたが自分で言わせたんでしょうが。依頼を受けないのなら帰るわよ」



 またも机に突っ伏してしまったアルを見ながら、今日はどう考えても仕事にならないだろうと思う。



 それならこんな居心地の悪い場所で時間を潰す気はなかった。



《優しくしてあげればいいのに。弱り切っている今なら、少しだけ慮って慰めてあげるだけで簡単にあなたに転ぶかもしれないわよ? この子がもしかしたら、あなたを幸せにしてくれるかもしれないのに》

(冗談はやめて。わたしに、アルを慰めてやることなど出来そうにないし、そもそもそんな資格はない)

《そう。なら私が使っても構わないわね》

(は? 何を言っているの? アルまで何かに利用するつもりなの? どういうことよ。やめなさいよ)

《契約よ。明け渡しなさい》



 その言葉が聞こえると同時に、身体の自由が失われる。



 そして、突っ伏したままのアルの耳元で、わたしの口が囁いた。



《アル、あなたまだティナを諦められない? 自信を持てる男になりたいなら、中央広場の露天商が店を出す中にアクセサリーを売っている隻眼の男がいるから会いに行きなさい。その男にファーギーからの紹介できたと伝えるといいわ。あなたが進むべき道が分かるはずよ。じゃぁ、帰るわね》



 伝えるだけ伝えると再び、自由が戻った。



 聞こえたはずだが、アルは動かない。



(いったい何を考えているの?)

《あら、あの子にも役を割り振ってあげようと思っただけよ。強制はしていないでしょ。選ぶのはアル自身よ》


 

 怒りで、頭の中が沸騰しそうだ。



 イライラが募り、どうしようもなくなったので、最近よく行くお気に入りの場所に足を向けた。王都の南東。商人たちの自宅が立ち並ぶ区画を通り越した先にある海岸を見渡せる小高い丘。



 目当ては日向ぼっこをしている、丸々と太った猫だ。



 案の定、背もたれのない木製の腰掛の上で白い大きな腹を見せつけるように仰向けになってスヤスヤと眠っている猫を見つけた。



 まっすぐにピンと伸びた状態で、まるで人間のように眠っている。



 あまりに可愛くて、思わず「ふはっ」と変な声が洩れてしまって、慌てて口をふさぐ。やっぱり癒されるな。ささくれ立った心が少しだけ和んだ。触らせてくれないかな。



 眠り続ける肥った猫を見つめながら思う。



 この猫を見ている時のわたしは、小さな幸せを感じている。だから、こういうのを積み重ねていければ、消えてくれないだろうか。



《まるっきり駄目。不合格。あなたの人生が間違いなく幸せにならないとわたしは消えないし、それまではわたしの目的に沿った行動をとり続けて貰う。そういう約束でしょ。嫌なら今すぐ契約を解除してあの時叶えた願いを――》

(もういい。黙って。脅しはうんざり。その甲高い声を聞いていたくない!)



 事ある毎に脅しをかけてくる存在にどれだけ苛立ったとしても、対抗する術はない。せいぜい、挑発的な言葉に無闇に反応して負の感情を覚えないようにするしかないのだろうけれど、その程度の抵抗すら上手くできない自分が悔しくて仕方なかった。



 願いを叶えたままの状態にしてもらうためには、どんな手段を使っても、なにがなんでも幸せにならなければいけないのに、幸せのなり方がわからない。



 大金を手に入れても、一般的に素敵だと言われるような男に誘われて食事に行っても、幸福感を感じることも、満たされることもなかった。



 一体どうすれば、いいのよ――。

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