23.サイラスは南西へ、ティナは西北西へ ※サイラス視点です。


 アスメルン王国の王都を発って南西に進み、四日で国境を越えた。そこから、さらに四日。替え馬を乗り継ぎながら限界まで駆け、明日には聖バルゴニア王国の聖都オルティノスに入れるところまで到達していた。



 狼の獣人が、獣人たちのなかでも飛びぬけて優れた嗅覚を持っているからといって、カルメラという神官女性の匂いだけを頼りに真っ直ぐここまできたわけではない。


 ライリーに辿れたのは王都の南西門まで。だが、長旅の支度を整えてその門を旅立った一団の中に、カルメラらしき女性が交じっていたという裏がとれたのだ。



 そこへもってきて、カルメラと行動を共にする者たちの中に、猫獣人のエマが勤めていた宿屋に長期間泊まっていた男が一人いるとの情報を得るにいたって、カルメラの後を追うことに決めた。



 ティナに呪詛をかけた相手かどうかの確たる証拠は何もなかったが、他に情報が得られない以上、この道に賭けるしかない状況でもあった。



 ただし、分が悪い賭けだとは思っちゃいない。



 経験上、こういう時に感じる己の勘は信じるべきだ。すぐさま、辺境伯と定期的に連絡を取り合うための連絡員である陰の者たちのなかから、二人を選んで斥候として放ち、要所の街や村や街道でその足跡を確認しながら後を追ってきた。



 陰の者たちですら、いまだ居場所の特定には至っていないが、ここまでくれば奴らの終着点は、聖バルゴニア王国の聖都オルティノスで間違いないだろう。



 あとは、あれこれ考えた所で事態は変わらない。聖都内に必ずあるはずのアジトを探しだす。その時には、ライリーの嗅覚がふたたび役立ってくれるだろう。せっかく連れてきたのだ。役立ってもらわないと困る。



 そう思いながら、共に旅してきたアルとライリーを見やると、一つの毛皮に二人で身を包み、まるで兄妹か親子のようにくっついて死んだように眠っていた。



 二人には酷過ぎる強行軍だったはずだが、予想に反して泣き言一つ垂れずによくついてきた。アルはティナを、ライリーはカルメラという名の神官女性を、心底案じているのが伝わってくる。その想いの強さが、限界を超えてもなお身体を突き動かしているのだろう。



 それでも、これだけ急いですでに八日経ってしまっている。間に合わなければ何の意味もなくなってしまうのだから、焦燥感はある。



 ここまでくれば、休憩などとらずに突っ走りたい。そんな逸る気持ちを、焚火に薪を足しながら、どうにか抑えていた。失敗は許されない。他の街とは違い、聖都オルティノスには女神本体が宿る聖女がいる――決して勝てないと分かっている相手がいるのだ。ヘタな行動は打てない。常に不測の事態に対応する意識と準備が必要だろう。



 それに「アルやライリーも無事連れ帰る」と、ティナに約束させられている。これまでのように一人で暴れるのとは勝手が違う。そこを肝に銘じていないと思わぬミスをしそうだ。




 そのティナはファーギーと共に、西北西に馬車で進んでいるので、順調ならようやく国境を越える頃合いだろう。こちらに先行させた二名以外、陰の者たちの残りすべてをティナの警護にあててはいるが、不安の種はいくつもあった。



 まず、呪詛の進行具合にどれほどの猶予が残されているのか全く分からない。ファーギーが、症状を緩和するための魔法ホーリー・ブレスで、呪いに起因する衰弱を回復しようとはしてくれているだろうが、効果は気休め程度だろう。



 そのうえ、ファーギーそのものが懸念材料でもある。



 出発前、明らかに様子がおかしくなり、意志の強そうな榛色の瞳から光が失われて虚ろな気配を漂わせた次の瞬間、妖艶な笑みがファーギーの表情を彩ったのを確かに見た。まだ、聖女本体は宿っていないはずなのに。しかも、他に聖女候補が生存している状態で、あの変化は解せない。女神と聖女の関係にはまだ俺が知らない事実が隠されていそうで、その未知の部分が、どうにも落ち着かない気分にさせられる――。



 その直後、意識が浮上して「サイラスには命の借りがあるから、必ずティナを無事辺境伯領まで送り届けて、借りを返すわ」と言っていたのを信じてやりたい気持ちはあるのだが…………別れ際の、疲れきった、弱々しい笑顔が脳裏にこびりついて、不安しかなかった。



 ファーギー対策のため、かねてより準備していた、彼女の妹が製作した例の魔道具をティナに持たせ、万が一の時には躊躇わずに作動させるようにと注意してはきたが……吉と出るか凶と出るかは実際のところやってみないと分からない。



 そもそも、別行動をする予定などなかったのだが、聖都オルティノスで政治的に大きな動きが起きたため事情が変わってしまい、呪詛を遅らせる事が出来る可能性を秘めた第七王女エステルに合流するためには、ティナを先に辺境伯領に向かわせるしかなくなったのだ。



 その変化とは、宰相とルドスター侯爵家が水面下で繰り広げていた権謀術数の結果、対立を深めていたハーエンドリヒ侯爵派陣営の多くをいっせいに中央から追放することに成功し、もともと主流派であった彼らの権勢がますます強まったことにある。



 それにより、自らの陣営が推す第三王子と、対抗馬としての力をいまだ維持しているラスタード公爵が推す第六王子の二人を除く王位継承権を持つ他の王族すべてが、保護の名目で宰相の管理下に置かれ、軟禁状態にされてしまった。



 当然、第七王女であるエステルも例外ではなく……計画を前倒しで、ルフティス辺境伯の支援を受けた近衛騎士団の一部に反乱を起こさせ、エステルの身柄を奪取し、地下に潜ることになったのだ。



 身を潜めながら彼らは聖都オルティノスを脱出し、ルフティス辺境伯領を目指しているはずだが、辺境伯領を目指すうえで最大の障害になるのがラスタード公爵領である。



 聖バルゴニア王国は凹状の形をしているのだが、辺境伯領は帝国と国境を接する北東部にある。そこに至るためには東の中央部に横たわるように位置するラスタード公爵領を抜けなければならない。ラスタード公爵はオルタク伯爵と結託し、帝国の援助を受けて蜂起する準備を整えつつあるらしく、公爵領はいつになく緊迫した状態で哨戒行動も盛んに行われていた。



 その中をエステルたちや、ティナたちが無事に抜ける為の策として、反乱を起こした近衛騎士団の一部の者たちを複数隊に分け、陽動や囮で敵を惑わしながら辺境伯領へ北上するとのこと。ティナたちはその動きと連動して辺境伯領へと駆け上がっていかなければならないのだ。



 つまり、ファーギーの呪詛をたとえ解呪できなくとも遅らせることが出来る第七王女エステルに合流するためには、別行動に不安を感じる要素がどれだけあったとしても、時間を無駄にするわけにはいかず、同時に複数のことを進めるしかなかった。



 そこで、待っていた陰の者からの声が、暗闇からかかった。



「辺境伯からの伝言が聖都に届けられていました。どうやら女神は、聖女の代替わりごとに力を増しているようだ、と――それを踏まえたうえで行動されたし、とのことです」


それはまた……意味の掴みづらい伝言だな。

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