第二章 第三幕


 即座にバラクアはその翼を大きく開いて前へと飛び出した。

 まずはスタート位置よりも遥かに上空にある1番のリングを目指す。

 上昇中、ルティカは首をぶんぶんと大きく振り、周囲の状況を確認した。

 すぐ前方に見えるのは4番と7番の選手。自分達のほぼ同位置には1番と10番の選手。その他の選手が、後方から追いかけてくるレース状況となった。

 ――13頭中、大体4位かまぁまぁね。

 一群は果てしない青空を飛ぶ渡り鳥のように、続々と1番リングを潜り抜け、そのまま直後に降下して行く。

 急滑空の風圧に、ルティカの頬が煽られ歪む。その視線の先にあるのは、地面すれすれの位置にて光る2番リング。

「バラクア。2番潜ったら直ぐに、3、4、5と連続であるからね」

「分かってる」

「返事は、はいでしょ」

「はいはい」

 バラクアのおざなりな返事に対し、ルティカの額に僅かに青筋が立つ。それでも急滑空の最中にスピードを上げ、前方を飛ぶ4番と7番の選手達の後ろと言う好位置にピタリとつけたバラクアの飛行技術に免じ、軽口は受け流してやる事にした。

 ――よし、今日こそは、勝てるわよ!

 このエラリアル杯へのルティカの情熱は、今まで以上の物だった。丹念にこのコースを研究し、何度も何度もイメージトレーニングを重ね、備え付けられた人口風力装置の位置、それらの風向きや、ライバル選手達の過去の戦績や飛び方の癖など、徹底的に頭に叩き込んだ。

 無論、その位は他の鴻鵠士も皆やっている事ではあるが、ルティカには、父親譲りの特殊な力があると自負していた。

 前回のクレイゾ杯の敗戦の大きな要因は、当日がほぼ無風と言って良い程、自然風が吹いていなかった事だとルティカは考えていた。

 鴻鵠レースにおいて、予め設置された人口風力装置が起こす風は、トップが一週する度に風の強さを変える。だが、装置の位置が変わる事は無い為、ある程度の予想が付くのである。そんな中、当日会場中に吹く人口風は、そのレースの瞬間にならなければ全く予想が付かない。それらの風を味方につける事は何より重要であり、このベ=ディルス大陸が世界で最も鴻鵠産業の盛んな大陸である所以は、鴻鵠や鴻鵠士達を戯れに、そして存分に弄ぶ、山風海風等々の多種多様な自然風の吹く土地であり、過去に幾度もそれらの自然風が波乱を巻き起こし、レースを盛り上げて来たからであった。

 目に見えぬ風の動きを読む力は、『風読力(ふうどくりょく)』と呼ばれ、鴻鵠士にとっての必須能力ではある物の、どちらかと言えば才能やセンスに寄る部分が大きい分野であった。

 ルティカの父親であるガイゼルは、風読力が他の鴻鵠士に比べてズバ抜けていた為、ルーテジドの星と呼ばれるまでになったと噂されていた。

 そして当のルティカ自身も、風読力だけは他の鴻鵠士の比では無いと言う自負があった。鴻鵠士の育成学校時代の成績が今一つであっても、見事にプロとしての認可を貰えたのは、父の才能を受け継ぎ、風読力が飛び抜けて良かったからだろうと感じていた。他の種目の成績がそれなりでしかなかった自覚もあったルティカであったから、尚更だろう。

 ともかくルティカは、いつ風が吹き、それがどの位の強さで、どう流れるのかを、小難しい理屈など一切抜きに、雰囲気で感じる事が出来た。それは兎にも角にも、自分には鴻鵠士としての才能があり、ゆくゆくは父の様な立派な鴻鵠士になる為の切符をしっかりと受け継いだのだと、強く思い込む様になった。

 そして、この日は朝から風がとても強かった。そしてその風は、何となく自分にとっていい風の様に感じた。

 ルティカにとっての『何となく』は、強い確信に満ちた『何となく』なのだ。

 だからルティカは、朝ベッドから飛び起きて、窓を開けて今日の風模様を感じた瞬間、確信した。

 ――今日のレースは、勝てるレースだ!

 それ程までに、ルティカは自身の風読力に絶対の自信を持っていたのだ。

 それは良く言えば、父の才能に対する揺るがない信頼の証でもあった。

 2番リングを潜り抜け、その後次々に襲い掛かって来るリングも、研究のおかげあってか無難にこなしていく。当初の予定通り、13番リング後の人工風も味方につけ、一週目が終わる直前で4番選手を抜き去り、見事2位に浮上していた。

 目の前の7番選手との差も、もう目と嘴の先だ。

 8番リングを潜った勢いで、7番選手に並んだ。

 ――うっし、もらったわ!

 笑みを零しながら、7番選手の脇を抜き去ろうとした瞬間、ルティカは敏感に、不穏な風の気配を感じた。

 二週目の10番リング。

 これを潜ってすぐのタイミングで、今回のレースで一番の、横殴りの突風が来るのを。

「バラクア!」

 そう、そこまでは良かった。

「どうした?」

 問題は、それ感じ取ったのが、ルティカだけだったと言う事だ。

「回避して! 凄い奴だから!」

「はぁ? どう言う事だ?」

 バラクアはバラクアで、トップに立てるかどうかの瀬戸際で余裕が無くなっていた。

「決まってるじゃない! 風よ風!」

 バラクアがルティカの指示を理解出来ないまま、この機を逃すまいとばかりに、内側から7番選手を抜き去りトップへと躍り出た。そのまま単独で10番リングを潜り抜ける。

「バラクア! 回避だったら!」

「回避回避って、もっとちゃんと指示を……」

 そこでバラクアの言葉は遮られる事になる。

 ルティカの予想通り、10番リングを潜った直後、11番リングを目指して上昇しようとしていたバラクアに対し、横から吹いた強烈な突風が襲いかかった。

 単独トップになった直後だった為、運悪くバラクアだけがその直撃を受けてしまう。

「ぐおっ!」

「早く、翼畳んで!」

 吹き飛ばされない様に、翼を畳み、風への抵抗を最小限に食い止めようとルティカは試みた。

 だが、

「くそがっ!」

 ルティカの指示は空しく、バラクアごと突風に吹き飛ばされ、バラクアの巨体はそのまま10番リングへと激突した。

 リングにぶつかる直前、バラクアはルティカを庇うような体勢を取った。その為、バラクアは10番リングへと強か胴体を打ち付けてしまったのだ。

「バラクア!」

 バランスを崩したバラクアは、他の鴻鵠を避けるように、そのままふらふらと、地面へと着地する。

「バラクア! 大丈夫?」

「ああ、何とかな……」

「飛べそう? まだ行ける?」

「ち、ちょっと待ってくれ」

 気合を入れる為か、バラクアは一度小さく嘶き、何とかもう一度飛び上がった。しかし衝突のダメージが大きいのか、よろよろとしかスピードは出ずに、挙句の果てに13番リングを超えた後の人工風に煽られて、再びバランスを崩してよろけてしまった。

「ちょっと、何やってんのよ! 本当に大丈夫なの?」

「うるさい! 黙って乗ってろ!」

「何よその言い方! 心配して言ってやってんのよ?」

「うるさいな! 大丈夫だ!」

 次の瞬間、言い争う二人の脇を鋭く通り抜けて行く、一つの影があった。緋色の美しい羽の舞い起した風が、ルティカの鼻先をかすめ去って行く。

 それは先程まで、自分達が嘴の先にまで追い詰めていた7番選手だった。

 トップの選手に抜かれる。つまり周回遅れは、その時点で失格となる決まりだ。

 バラクアは悔しさと情けなさに胸を焦がしながら、そのままもう一度地面へと降りていった。ルティカが奥歯を強く噛み締める音が、バラクアに聞こえたかどうかは定かでは無い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る