第四章 第四幕

 凄まじい風圧を全身に受けながら、地面へと自由落下を続けるルティカを、バラクアは目一杯に翼を畳んで大慌てで追いかける。ルティカは力を抜き、両手両足を開いて、風の抵抗を受けては居るが、それでもかなりのスピードだ。そのまま地面に落下すれば間違いなく命は無い。

 高度が幸いし、バラクアはルティカが地面へと到達する前に彼女へと追いついた。

 ルティカをそのまま受け止めようかとも考えたが、この速度で落ちている彼女を受け止めれば、こちらも巻き込まれてしまうかもしれない。

 一瞬の黙考の後、バラクアはルティカの腰から伸びている安全ベルトに目をつけた。

 安全ベルトを嘴に引っかけ、そのまま折りたたんでいた翼を一気に開き、まずは落下速度を減速した。そのまま前方へと羽ばたき、彼女を引っ張り上げる形で飛び上がり、ネイバー越しにルティカを怒鳴りつけた。

「バカヤロウ! 何を考えてるんだ! お前死ぬところだったんだぞ!」

 バラクアの当然の抗議に対して、ルティカはバラクアの嘴に吊られながら、堪えきれなくなったように大声で笑い出した。

「あっはっはっは」

 バラクアは突然のルティカの爆笑に、恐怖で頭がおかしくなったのかと思ったが、そうでは無かった。

「流石バラクアね、私が飛び込んだら、きっと助けてくれるって思ってたわ。あー、それにしても、怖かったぁ。まだドキドキしてるわ」

 その言葉に、バラクアは心の内側にますます青筋を立てた。

「バカかお前は! なんならこのままもう一度落してやろうか!」

「優しいバラクア君は、女の子にそんな事しないも~ん」

「何が優しいだ! 俺が受け損なってたら、お前今頃地面でぺちゃんこだったんだぞ!」

「分かってるわよ。バラクアの事を信じてたのよ、助けてくれてありがとね」

「礼を言えば済む問題じゃない!」

「とりあえず、もうちょっとゆっくり飛んでくんない? 定位置に戻りたいんだけど」

「お前どんだけわがままなんだ!」

 バラクアの抗議を軽くいなし、ルティカは口では何を言っても徐々にスピードを緩めてくれるバラクアに対し、心の内側だけで感謝の想いを呟いて、もぞもぞとバラクアの身体をを登って首元へ戻っていった。

 定位置に戻ったルティカは、安全ベルトをつけ直し、立ち上がり、思い切り背伸びをして、月を見上げながら叫んだ。

「あー! すっごい怖かったぁ! 本当に死んじゃうかと思ったわ! やっぱり、私にカースは無理だわね」

「お前分かってるのか! 冗談じゃなく本当に死ぬとこだったんだぞ!」

「分かってるわよ。今ので、弱気な私は死んだの。バラクアが気を遣っちゃうような、イジイジしてる弱っちい私は、バラクアに助けられる価値も無く死んだ。だから、今の私は、生まれ変わったニュースーパールティカちゃんなのですよ!」

 一頻り叫んで満足したのか、ルティカは再びバラクアの首元に座り直した。

 バラクアは、呆れ口調を隠そうともしない。

「それで、そのスーパー何とやらは、今までと何が違うんだ?」

「決まってるじゃない。ベートの奴をぼっこぼこに負かしてやんのよ! その為に生まれ変わったの!」

「ほう」

 ルティカの決意表明に、バラクアが満足気な声を出す。

「そもそも、あんの腐れボンボンの理屈で言えば、単に私達が0ポイントなのに、アレツさんの傍にいるのが気に食わなかったってだけの事でしょ? だったら簡単よ、あんの野郎をぐぅの音も出ないように、レースでコテンパンにしてやればいいのよ! 私の事はまだしも、父さんを侮辱した罪は海よりも深いわ。あの腐った性根を叩き直してやるんだから!」

 月明かりに照らされ、金髪を振り乱しながら吠えるように喚き散らすルティカは、まるで神話の中の獣のように勇ましかった。

「お前は、ただ空を飛べれば満足だったんじゃなかったのか?」

 興奮したルティカに冷静な言葉を放つバラクアは、いつもの調子が戻って来た相棒に内心ほくそ笑んだ。

「それはさっきまでの私だって言ってるじゃない。勝つ為の明確な理由が出来たのに、燃えないなんて私の美学に反するわ」

 バラクアの首元で鼻息荒くそう呟くルティカの目は、バラクアには見ることは出来ないが、ギラギラと燃えていた。相棒がそうなれば、今度は冷静になるのはバラクアの番である。

「だけど、一体どうするんだ? 第一俺達は今、レース禁止中の身だろう」

「そこはおっちゃんに相談よ」

「それに、この間のレースの敗因だって、まだ何にも分かってないままだ」

「そこもおっちゃんに相談よ」

「……お前、勢いだけで物言ってるだろ」

「しょうがないじゃない。それに、世界戦も終わっちゃったんだし、C級のレースなんて今年度中に後何回あるかすら分かんないわ。禍根を長いこと引きずるなんて考えられないわよ。早い事おっちゃんに相談して、何とかしてもらいましょ!」

「朝まで待った方がいいんじゃないか? もし夜間飛行がばれたりしたら……」

「誘ったのはバラクアでしょうが!」

「あれはお前の為にだな!」

 バラクアはそう叫び、直後自分の失態に気づいた。

「ふぅ~ん、やっぱりそうだったんだ~。優しいバラクア君は、やっぱり可愛いルティカちゃんの為に、気を遣ってくてれたんですねぇ」

 ルティカのニヤニヤとした表情が丸分かりの声が気に食わなくて、思わずむきになって返した。

「はっ、何が可愛いルティカちゃんだ。獣みたいな声で喚くわ、突然狂ったような行動するわ、ラカントの海で獲れるブデババ鮫の方がよっぽど可愛いわ」

 ブデババ鮫とは、リクスト大陸の周辺の海で獲れる、鴻鵠を丸ごと一匹飲み込むと言われている程、巨大で獰猛な海洋生物の事だ。その卵巣は珍味として、魚肉は鴻鵠達の滋養強壮として人気があり、高級品として取り扱われている。

「なぁんですって! 誰がブデババ鮫よ!」

 そんな海の猛獣に例えられたルティカは、ブデババ鮫も怯える程に吠え狂った。

 そのまま雄たけびを続けるのかと思ったが、ルティカは一度深く息を吸って、大きくゆっくりと吐いた。

 深呼吸を幾度か繰り返し、自分の両頬をパチンと叩いて気を引き締めた。

「こんな問答してる場合じゃないのよ。とりあえず、朝になったら急いでおっちゃんを起こして、相談しましょ」

「いや、どうやら待つ必要は無いみたいだ。すぐに相談に行こう」

 バラクアのそんな言葉に呼応するかのように、東の海の向こうに光が射し始めた。

「あちゃあ、もう朝になっちゃったか、いくらなんでも夜更かしが過ぎたわね。まぁいいわ、爽やかな目覚めよ!」

「お前寝てないだろ!」

「いいじゃない、今夜目が覚めたって意味なんだから、誰かさんのお陰でね」

「ふん、どうだかな」

 徐々に広がっていく光の向こうに、ルティカは新しい世界が見えた気がした。

 気付いた夜。そして、目覚めた朝。

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