終 章 遠く聞こえるは鴻鵠の声音

終 章 前幕

 ――終章 遠く聞こえるは鴻鵠の声音


 急速回転が徐々に解けていったバラクアは、そのまま狂い続ける三半規管を何とか押さえつけ、よろよろとふらつきながらも、何とか地面へと降り立った。

『この結末を誰が想像したでしょう! 最後の最後で、まさかまさかの大逆転!!』

 アナウンサーの放った、驚愕のお手本の様な言葉が、頭上から響き渡る。

『本日のC級フレイク杯、優勝は、鴻鵠バラクアと、鴻鵠士エレリド=ルティカ!!』

 そして、アナウンスに導かれるように、会場中から拍手と歓声が二人に降り注いだ。

「おいルティカ! さっきのは何だ!」

 何が起こったのかまるで理解が出来ていないバラクアが、ふらつきながらも強い口調で問い掛けてくる。

 パストで乱された気流に真正面から突っ込むなど、前代未聞だ。訳も分からぬまま指示に従った自分が言えた義理では無いが、あの乱れた気流の中で、翼を一度動かした位でどうして体勢を崩さずにいられたのか。

 次から次へと頭に疑問が浮かんでくるバラクアに対し、どこか呆けた様子のルティカの口から零れた答えは、驚く程素っ気の無いものだった。

「ん~、私にも、よく分かんないわ」

 その返答に、バラクアの声は更に荒らいだ。

「よく分かんないって何だ! お前の指示通りに翼を動かしたらああなったんだぞ! パストの気流に突っ込んで、たった一度羽ばたいただけで、どうしてあんな風に回転しながら真っ直ぐ飛べるんだ!」

「だ~か~ら~、私にもよく分かんないんだったら!」

 ルティカは、バラクアの首元から地面へと降り立つと、

「バラクアだってそうでしょ?」

 その巨体の真正面に立って言い放った。

「だってよ。あの時、まさかレベさんがパスト打ってくるなんて思わなかったのよ。でもね、何かその時に、何か世界がすご~くゆっくりになったのね。そんで、なんかレベさんのパストの気流が分かって、ああ、こう来るなら、こう動けば、きっとって思って……」

 そこでルティカは、ハッと何かに気付いたような顔をしてから、ちょっと待ってね、とバラクアを制し、何かを思い出すように頭を抱えた。

 ルティカの脳裏に、先程目の前で繰り広げられた、レベの華麗なる翼の動きが浮かぶ。そして、そこから飛び出してくる気流の流れも……。

 ルティカはふと空を見上げると、まるで楽しかった夢の続きでも語るように呟いた。

「そうか、私、あの時、風が見えたんだ……」

 ルティカの頭に、父、ガイゼルの穏やかな微笑みが浮かぶ。

 ふと気が付くと、バラクアの後ろに、レベとベートが立っていた。グッとこちらを睨みつけながら、ベートが鼻息荒く近づいてくる。

「おい、ルティカ!」

「何よ?」

「さっきのは何だ?」

「さっきのって?」

「さっきのはさっきのだ! 何だあの滅茶苦茶な動き!」

「坊っちゃま」

 興奮するベートを、レベがやんわりと諌める。

「……ふん、分かってる」

 ベートは一つ息を吐くと、再びルティカに向き直った。すっかりいつもの不遜な表情に戻り、悪びれる様子も無く言い放った。

「認めてやるよ。エレリド=ガイゼルは、確かに偉大な鴻鵠士だったって……」

 そんなベートに対し、ルティカは柔らかく口角を上げ、穏やかな笑みを浮かべてみせた。

「うん、ありがとう、分かってくれて」

 その微笑みに面を食らい、ベートは思わず言葉を詰まらせる。奥歯を強く噛み、不意に湧き上がって来た悔しさを押し殺そうとしながら、虚勢を張った。

「だけどな、勘違いするなよ! 僕があの時、レベにパストを使わせなかったら、僕達の勝ちだったんだからな!」

「それってさ、結局あんたの判断ミスでしょ?」

 ルティカの真っ当な指摘に、ベートの顔は益々紅潮していく。

「うるさいうるさい! とにかく、お前達が今日勝ったのは、まぐれなんだって事を覚えておけ!」

 捨て台詞を吐き散らかし、ベートは一人でさっさと会場を後にしてしまった。

「ルティカさん、バラクアさん」

 ベートの後姿を目線で追いかけていたルティカは、不意に頭上から降ってきた優しい声の方を見上げた。

「今日は、本当にありがとうございました」

「レベさん……、いや、本当、あいつの言った通りよ。今日は、たまたま、運が良かったの。まぐれで勝てたようなもんよ」

「いえいえ、今日のところは、完敗です。でも、次は負けません」

「こちらこそよ! ね、バラクア」

「ああ、また、よろしくお願いします」

 そう言うとレベは、軽く会釈をした後に、ベートの後を追うようにして会場を出て行った。

「ねぇ、バラクア……」

「何だ?」

「……次は負けないって」

「ああ、そうだな」

「……次、だってさ」

「ああ」

 バラクアは、そう短く返事をすると、自身の翼を一度大きく広げた。そうしてルティカの身体を引き寄せ、翼の内側へと包み込む様にして、観客の視線から彼女を覆い隠した。

 闇色の羽に包まれ、辺りが暗くなった時に、バラクアの声が優しく響いてきた。

「……いいぞ」

 その声を聞いた途端、レースを終えてからずっと堪えていたものが、ルティカの内側から溢れ出してきた。気付けばルティカは、バラクアの羽に顔を埋めて、幼子のように大声で泣き出した。

「う、ぁぁあ……、バラクア……、勝てたよ……、勝った、勝ったよ……」

 バラクアの翼の内側で、大観衆の歓声にかき消される中、ルティカは誰にも知られずに泣きじゃくった。

 会場中の歓声よりも、勝利の余韻よりも、バラクアにとっては、再びルティカと空を飛べると言う事実が、何よりも嬉しかった。

「それでは、優勝しました鴻鵠のバラクアさん。勝利の証、ウイニングコールをお願いします」

 アナウンサーの声に頷きを返し、バラクアは一つ思い切り息を吸うと、声高らかに、ヒュロロロロロ、と鳴いた。

 アレツの腕からルティカの胸の中へと飛び込んで来たあの時よりも、随分と立派に、随分と逞しくなったバラクアの声音。

 闇色の翼に包まれながらルティカは、バラクアの声音が、遠く遠く、海の向こうのその向こう響いていく様を想像する。

 未だ鳴り止まない歓声と、バラクアのウイニングコールを耳に溶かしながら、ルティカはもう一度、相棒の身体を強く抱きしめた。

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