第八章 第二幕

 観客席へと移動した直後、ジラザがまず一番に感じたのは、昼までは吹いていなかった風が吹いている事だった。

 遠方の空に見える雲の動きは、なかなかの速度だ。

 その事実にジラザは、

「こりゃ願ったりだな」

 と会場の喧騒に紛れて一人言ちた。

 少し辺りを見回すと、すぐに華瑠の姿を発見した。人ごみを掻き分け近づき、声をかける。

「よぅ」

「アーッ、シショー、遅いヨー!」

 振り向いた華瑠の声は、応援のし過ぎでガラガラになっていた。

「お前、酷い声してるな……」

「ヘヘヘ、一杯一杯応援してるからネ!」

「そいつぁご苦労さん。んで、どんな感じだ?」

「ルーちゃん達は、さっきから吹き出した自然風のおかげデ、ちょっと前に三位になりましたヨ」

「三位か……」

 口ひげを一撫ですると、ジラザは目の前を流れて行く鴻鵠の群れに目を移した。

 コバルトブルーの羽は、太陽の下ではよく目立つ。

 5番リング直後の人口風に乗っているバラクアは、そのまま6番リングへと下降していくが、直進では無く、まるで空気の柱の周りを回るように、くるくると蛇行しながら落ちていく。そのスピードは、恐らく先程まで三位を守っていたであろう8番選手をぐんぐん引き離し、前を行く1番選手に迫りつつあった。

 人口風の勢いを利用したまま、上空から吹きつける自然風に、丁寧に乗り続けているのだ。目には見えない自然の風を、手に取るように正確に理解していなければ、土台無理な荒業である。

 ――何だかんだ言っても、ガイゼルの血は、伊達じゃねぇってか……。

 ジラザはそう思い至ったが、すぐに、

 ――いや、親父は関係ねぇか。あいつはあいだ……。

 と思い直し、僅かに唇を歪めた。

 このペースのままレースが進むのならば、現在二位の1番選手にも容易に追いつくだろう。1番選手も自然風を上手く利用してはいるが、ルティカ達と比べると、スピードは然程伸びていない。

 だが、その更に前にいる7番選手もまた、突然の自然風を味方につけていた。二位の1番選手をグングン引き離し、独走態勢に入っている。

「華瑠、あの7番付けてんのが、こないだの坊っちゃんだよな?」

「ウン、そうヨ! 今日のレースもとっても強いネ!」

「そうか……」

 口髭をいじりながら、ジラザは先頭をひた走るレベの飛行を見つめていた。雄々しく飛ぶその姿に、瞬間、ガイゼルの相棒であるアルバスの姿が重なった。それはまるで、優秀な父親の血を受け継いでいるのは、ルティカだけでは無いと主張している様であった。

 ――へっ、俺もヤキが回ったかな……。

 次々にリングを通過していくレベのスピードは凄まじく、このペースで行くならば、恐らく優勝は確実であろう。

 ジラザは、ルティカ達には悪いと思ったが、このレースはレベ達の勝利だと確信した。

 そんな折、レベがもたついていた周回遅れの選手を、12番リングの手前で抜き去ろうとした、まさにその時だった。最下位の6番選手が、今正に抜かれてしまいそうになる刹那、レベ達に対しパストを繰り出したのだ。

 予期せぬ攻撃にレベはバランスを崩し、そのまま地面へと降下していく。幸いにもリングへの激突は免れたものの、かなりのタイムロスとなるのは必至だ。

「アノ6番の黒い鴻鵠、スタートしてスグ、ルーちゃん達にもパスト使ってったのヨ! 性格悪いネ!」

 華瑠がプリプリと怒りながら、両の拳を強く握り締めている。

 独走していたトップが最下位にパストを食らうと言う予期せぬ展開に対し、レース的には面白くなったと言う歓声と、6番選手へのブーイングとで、会場は大音声に包まれる。

「まぁ、スタート直後の嫌がらせはともかく、今のは抜かれたら即座に失格になっちまうからな。向こうさんも必死なんだろうよ」

 何にしても、これでルティカ達にも勝ちの目が見えてきた。だが……、

 ――こんなクソみてぇなハプニング紛いの展開で勝ったとしてだ。これで、あいつらが納得する様なタマか?

 ジラザの胸の内に、ふと、そんな疑念がよぎった。

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