第八章 第三幕

「あいつ、またやりやがったわ……」

 前方を飛ぶベート達を常に視界の端に捉えながら飛翔していたルティカの目に、6番選手の起こしたパストの気流にレベが巻き込まれ、バランスを崩してしまう姿が映った。幸い大事には至っていない様でホッとしたが、目の前で起こった出来事が何故だかとても不快に移り、殆ど反射で6番選手を睨みつけ、毒づいていた。

「また? ってことは、もしやスタートの時に俺達に仕掛けてきたのも?」

「そう、あの6番選手よ」

「お前、あいつらの仕業だって気づいてたのか?」

「まぁね。一瞬だったけど、あの黒い尾羽が見えてたからね。」

「そうだったのか」

「それで結局最下位なんだから、ざまぁ無いわよ。そもそも、弱いから小細工に頼るしか無いって発想が、そもそも気に食わないのよね。最下位の起こしたヤケで、トップの足が引っ張られるレースなんて、見てて気分が悪いじゃない」

「そう言ってやるな。6番の奴も、周回遅れの失格を避ける為に必死だったんだろ。気にするな」

「バラクア、あんな奴の事庇うの?」

「俺は、レースに集中しろと言っているだけだ。あんなパスト如きで、お前が心配しなきゃならん程、レベさん達は弱いのか?」

 芯を突いたバラクアの言葉が、6番に釘付けになっていたルティカの目線を、前方へと引き剥がした。

「それもそうね。むしろその程度の相手だったら助かるんでしょうけど、そう甘くは無いわよね」

 バラクアの後頭部を、ポンポンと軽く叩き、ルティカは力強い笑みを浮かべた。

「ありがとねバラクア。そうよね、私達は、私達のレースを思いっきり全力でやりゃあいいのよね!」

 見事に再び気合いの入った相棒が自分の首元で吼えるのを聞き、バラクアは密かにほくそ笑んだ。

 ――単純でありがたい。これはまさしく、こいつの長所なんだろうな。

 風に乗りながら下降したバラクアは、勢い良くレベル1の7番リングを潜り抜けると、U字を描くようにすぐさま上昇し、レベル2の8番リングを目指す。

「バラクア! 丁度8番リングを潜ったところで、設置してある人口風と同じ方向から強風が吹くと思う。乗って旋回出来たりする?」

「おう、任せろ!」

 バラクアは威勢のいい掛け声と共に、8番リングを潜り抜けた。

 ルティカの予想通り、バラクアが8番リングを潜り抜けた瞬間、右側から強烈な自然風が吹き荒れた。予測が立っていれば対処も造作無いものなのか、バラクアは吹き荒れる強風をいとも簡単に乗りこなした。そのまま猛スピードで低空を旋回し、彼自身が一陣の風にでもなったかの様に、鮮やかに9番リングから11番リングを潜り抜けていく。

 そんなバラクアに対してルティカは、先程から不思議な思いを抱いていた。

 ルティカは確かに自然風の来るタイミングを一足早く感じる事が出来る。だけどそれは、例えば今の強風でもそうだが、何秒後にどの程度の風がどう言う風に吹く、と言うような正確な情報では無い。

 あくまで、この感じならこの位の風がこっち側から吹く、様な気がする、と言う感覚レベルの話なのだ。

 それなのにバラクアは、ルティカが教えた僅かな情報を受け、まさにぴったりのタイミングで、吹き起こる風に対応出来ている。

 それはまるで、自分の心がバラクアと繋がっているような感覚。

 自分自身が、バラクアの身体に溶け込んでいるような感覚。

 人馬一体、ならぬ、人鳥一体とでも言うのだろうか。

 ――まるで、バラクアと一つになったみたい……。

 その不可思議な感覚が、ルティカの身体の中を熱いうねりとなって駆け抜けていく。その熱さの正体は、今までのレースとは比べ物にならない程に湧き上がる、自信に他ならなかった。

 ――勝てる、今の私達なら負けようが無いわ。

 そんな自信に満ちたルティカの頭の中に、一つ、不安要素として燻ったままの蟠りがあった。

 他でも無い、先程から姿の見えないベート達の事である。彼らがパストを食らったのが12番リング付近。随分と差は開いていたので、知らずに抜いてしまっている、と言う事は無いだろう。だがもしこのままのレース展開ならば、いつしか知らぬ間にベート達を抜き去る事になるかもしれない。心配しなきゃならない程、あいつらは弱いのか、と言ったバラクアの言葉は、確かにその通りだと納得するし、油断は禁物だと言う事も分かる。

 ふと前方を見据えたルティカの視線の先には、14番リングへ向けて下降する1番選手の姿しか見えない。予定外の自然風に煽られてあたふたしてしまっているあの選手を抜くのは、今の彼女達ならば容易な事だろう。

 だが、

 ――贅沢言える立場じゃ無いけど、このまんまじゃ何かスッキリしないのよねぇ……。

 ライバル不在のままでの勝利を想像してみるが、それは何処か釈然としない代物の様に思えてしまう。

 レースに使う頭はこれ以上冴えていながら、心はグダグダと煮え切らないままだった。

 だが、その刹那。

 煮え切らない心に構っている余裕が無くなる程の強烈な風の気配を、ルティカの冴えた頭と五感は敏感に感じ取った。

 どの方向かも分からない。

 強さの度合いも分からない。

 しかし、ルティカの胸の内にある警報機はカンカンと喧しく鳴り響き続けている。

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