第二章 第六幕

 アレツを玄関まで見送った後、ルティカは厩舎の窓からひっそりと、彼の姿を目で追い続けた。視線の先に映るのは、草原に建てられたルティカの母、テレアの墓に花を添えるアレツの影だ。

 アレツはこうして年に数度、セオクク厩舎に顔を出しては、そのついでと称して、テレアの墓に花を手向けていた。

 だけれども、ルティカは気づいていた。

 アレツの本当の目的は、テレアの墓参りだと。寧ろ、墓参りのついでに、ジラザやルティカの顔を見に来ているのだ。

 ルティカは一度だけ、アレツがテレアの墓に祈っている姿を間近で見たことがある。その時、祈りの形で長く固まっているアレツの瞳から、絶え間なく涙が流れ出ている姿を見てしまった。

 ――これは、見ちゃいけない奴だ……。

 幼心にそう直感したルティカは、その場をこっそりと去り、厩舎に戻ってから一人でもらい泣きをした。

 それ程、アレツの祈りには神聖な雰囲気が漂っていたのだ。

「ねぇ、おっちゃん……、アレツさんと、父さんと、母さんって、どんな関係だったの? まさか、父さんと知り合う前に、母さんとアレツさんが、恋人同士だったとか? 私が、本当はアレツさんの子だったりとか? って、んなわけ無いわよね~」

 ガイゼルとアレツは、昔からライバルとして名を馳せていた。だがある地点から、ルーゼンとナーゼルに、二人は道を違えた。それでも、道は分かれてしまったとしても、二人が切磋琢磨出来る良きライバルだった事には変わりは無かったのだろう。どうしてアレツが、ナーゼルの選手へと鞍替えをしたのか、その本当の理由をルティカは知らないし、聞く事も何だか憚られた。

 当時はガイゼルもアレツも、このセオクク厩舎と契約を交わしていた。そして、ルティカの母テレアは、このセオクク厩舎のオーナー、ジラザの妹だ。だからもし、アレツとテレアがそう言う仲になっていたとしても、何ら不思議は無い。

 ――それで、別れて気まずくなって、アレツさんはこの厩舎を離れた。ルーゼンの選手のままだと、父さんと顔を合わせる事も多いから、ナーゼルの選手になった。な~んてね、そんな訳無いか……。

 アレツも、ガイゼルが行方不明になったあのグィンの世界選手権に出場していた。シャンの世界で栄光を重ねた二人が、突然同時にグィンへの参戦。それはもしかしたら、彼がテレアの墓に祈る理由と、関係があるのかもしれない。

 そして、ガイゼルは未だに行方不明のままだ。だから、ガイゼルの墓は未だに存在しない。

 それが、彼の生存を信じる事に繋がるかどうかは、今となってはもう、ルティカにすら良く分からなかった。

 生きていて欲しいと、思う。いや、生きていると、信じている。

 だけど、あの日からもう長い年月が経ってしまった。

 そして、その事だけに囚われていられる程、ルティカも穏やかな生活を送って来た訳では無い。

 父と同じ道を歩もうと、時には艱難辛苦を味わいながら、今年度の頭に、鴻鵠士として漸くスタート地点に立つことが出来た。だけど、これが本当に自分に向いている道かどうかは、正直自信が無かった。

 今日のレースも、過程はどうあれ惨敗だし、どれだけ威勢良く吼えた所で、もうすぐ今年度も終わると言うのに、未だに0ポイントのままだと言う事実は揺るいではくれない……。

 ――今日負けた原因か……。それってつまり、今の私に足りない物、って事よね?

 自身に足りないものがそう簡単に分かれば、こんなに単純な事は無い。だけど、それが分からないから苦労しているし、ジラザもおいそれと答えをくれる訳では無い。

 何より、自分で掴んだ物で無ければ身に付かないだろう。それ位の事は、ルティカもよく分かっているつもりだった。

 窓から入り込む夜風が、彼女の金色の髪を靡かせる。

 アレツは長い長い祈りの時間を終えると、立ち上がり、ミリビネと共に去っていった。

 去り際の二人の姿を眺め、ルティカは気持ちを新たにして、力強く両手を握った。

「よし、おっちゃん! 私、来週のアレツさんの世界戦見に行くわ! 絶対行く! 今の私に足りない物が、何か掴めるかもしれない!」

 力のこもったルティカの言葉に対し、ジラザからは短い返答が返ってきた。

「グガー……」

「……グガー?」

 振り向くと、空のウイスキーボトルを床に転がしたジラザが、椅子で高いびきをかいていた。

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