第三章 第三幕

 ゲートが開いた瞬間、一斉にスタートした鴻鵠達は、団子状となり一つ目のリングへと向かっていく。皆がほぼ一直線となり、まるで編隊でも組んでいるかのように1番リングを次々と潜って行く鴻鵠達。その列の先頭から4番目に、アレツ達は位置していた。

 シャン=ナーゼル世界戦は、10キロのコースにリングは10個。五周決着のとてもシンプルなレースだ。

 今年の出走鴻鵠は14頭。

 世界チャンピオンへと挑戦する鴻鵠達だけあって皆早い。レースは高レベルなものとなるのは必至だろう。

 まるで雲でも引きそうな程のスピードの最中、先頭から3番目、アレツ達の一つ前にいた4番選手が、6番リングを潜った直後に羽ばたき方を変えた。

「一周目でいきなりパスト!」

 ルティカの驚きの声が聞こえた訳では無いだろうが、アレツはまるでそれを予想していたかの様に、気流を避けるように即座にミリビネを滑空させた。

 気流の変化と言っても、勿論目に見える物では無い。それを即座に避ける事が出来るのは、アレツの技と経験に拠る所が大きいだろう。

 アレツが影となり反応が遅れたのだろうか。アレツ達のすぐ後ろに居た13番選手は、4番選手の起こしたパストの気流をまともに食らい、失速して列から外れてしまった。アレツ達はと言えば、パストを行った4番選手が減速した隙に、さらりとその横を通り抜けて順位を一つ上げた。

 チャンピオンの華麗なレース展開に魅了されたのか、、会場から微かに感嘆に近いどよめきのうねりが起こる。

 ――さすがアレツさん。でも、一周目でパストか……。

 本来パストと言う技は、ここぞと言う時の決め技で使用するのがベターとされている。四周目、早くても三周目以降に使うものだ。一周目に使い上手く決まったとしても、残りの距離が長ければ、再び追い上げられてしまう恐れがある。更に言えば、本来パストが上手く決まる確立は、高くても3割とされている。例え乱発したとしてもそれ程効果のあるものでは無く、自分の順位を悪戯に下げるばかりか、関係無い選手を気流に巻き込み、レースを無茶苦茶にしてしまう恐れがあるからだ。

 そんな展開は選手も、無論観客も望んではいない。

 よって一週目からパストを使う事自体、ご法度の様に聞こえるかもしれない。

 だが、勿論例外がある。

 確立としては低いが、例えば、そのレースに挑んでいる鴻鵠全員が、対象の選手一頭をマークしている場合等が考えられる。

 そう、例えば、その相手が去年のチャンピオンだった場合などだ。

 ――アレツさんはディフェンディングチャンピオンだし、当然みんながアレツさんに注目してる。だからこそ、他の鴻鵠達は、自分が多少不利になったとしても、まずは結託してアレツさんを潰しにかかる。結果的に、その方が勝率が上がる。それは、ある意味賢い作戦なんだろうけど……。

「そんなレース、面白くないじゃん。そんなん卑怯じゃん。ちゃんと勝負しろよ……」

 レースの行く末を眺めながら、ルティカは苦虫を噛み潰した後にそう毒づいた。

 レースはあっと言う間に二周目に突入する。

 皆が鈴なりに連なってのレース展開は、ナーゼルではよくある事だ。それに、まだ二周目、焦る場面では無い。

 4番リング。

 5番リング。

 レースは変わらぬ展開を見せるが、6番リングに差し掛かった時、アレツの前方の7番選手がパストを使った。

 ――また6番リングの所で?

 アレツは一週目と同じように、急滑空で下方向にすり抜け気流を回避した。だがその様子に、ルティカは妙な引っ掛かりを覚えた。

 アレツは下方向へと抜けた事によって、パストを起こし減速した7番選手は抜いたものの、後ろから迫って来ていた10番選手と4番選手に抜かれ、順位を二つ落としてしまう。

 現在五位。

 その時ルティカは、6番リングの後にだけある特徴に気づいた。

 ――あ、あそこにだけ、6番リングの後ろにだけ、人口風力装置があるんだ。

 その時に、ルティカは彼らの作戦を理解するに至る。

 そう、彼ら、全員の作戦を……。

 6番リングの直後には、このレース中唯一の人口風力装置が備え付けてある。6番リングを潜った後、この風に乗り加速を付けるのは、今回のレースにおけるセオリーと言ってもいいだろう。だけど、アレツ達がここを通る時、その一つ前に居る鴻鵠が、装置に被さるようにパストを掛ける。するとアレツは、下方向にある7番リングに近づくように軌道修正をして、その気流をかわさざるを得ない。そうすると、後ろから来た鴻鵠は、アレツ達の横をすり抜け、悠々と人口風に乗り、アレツ達を抜き去る事が出来るのだ。例えパストを行った鴻鵠が抜かれたとしても、二頭以上で抜き返したのならアレツの順位を落とす事が出来る。

 まさに、アレツ達に狙いを絞った完璧な作戦。だが、ルティカはその完璧な鴻鵠達を、腸が煮えくり返る思いで見つめていた。

「ふっざけんなよ……」

 ルティカの口から思わず、口汚い言葉が漏れた。

 そう、この作戦は、アレツ達を勝たせない為の作戦。言い換えれば、自分達の勝利は二の次と考えている鴻鵠が多数いないと成り立たない作戦なのだ。

 ルティカはその両の手を強く強く握った。

 このレースに出走しているのは、世界の強豪レースを勝ち抜いてきたS級の鴻鵠と鴻鵠士達だ。そんな強豪達が、その集大成とも言えるこのレースで、自分の力を出す事よりも、他者を貶める事を優先している事が、ルティカには許せなかった。

「アレツさん、頑張れ……」

 ルティカは強く願った。

「そんな卑怯な奴らに、負けないで……」

 そうこうしてる間に、レースは三周目に突入した。

 2番リングを潜った直後、突如強い自然風がレース場に吹き抜けた。

 若干反応の遅れた前方の10番選手を抜き去り、アレツは四位へと浮上。

 アレツVS全選手の構図を観客も理解したのだろう。屈せずに戦うアレツに向け、客席から歓声が届く。

 3番リング、4番リングの位置する場所は、観戦しているルティカ達の目の前にある。

 アレツ達が4番リングを潜り抜けて行った時、ルティカの目に刹那、アレツがミリビネの耳元で何かを囁いているの姿が見えた気がした。

 そしてその唇の形は、何やら不敵な笑みを浮かべているようだった……。

 彼らが通り過ぎた後の強い風に対しても、ルティカは目を瞑る事無く、アレツの姿を凝視し続けた。

 5番リングを通り抜け、いよいよ6番リング。

 アレツ達がリングを潜り抜けた直後、また先程と同じように、アレツ達の前方を飛んでいた4番選手がパストを彼らに向けて放った。

 その時だった。4番選手のパスと同時に、乱れた気流の中で、ミリビネも後方にパストを放ったのだ。

 二つのパストが重なると言う異例の事態に、アレツ達の後ろの気流は激しく乱れた。6番リングを潜ろうとしていた、アレツ達の後方に居た3頭の鴻鵠達が、皆錐もみ状態となって下降していく。アレツはすぐに体制を立て直し、7番リングとは逆向きである上方へミリビネを操り、4番選手の起こしたパストの気流を読み切ると、そのパストの気流さえも乗りこなし、更には6番リング直後に設置された人口風に急滑空で飛び乗り、斜め下へと猛烈に加速して見せた。

 状況を掴みきれなかった4番選手はあっさりと抜かれ、観客からは一層の歓声が響く。

 会場の雰囲気は既に、単独で頑張り続けるアレツを応援する空気に流れつつあった。

 パストで起きた気流に引っかかり失速してしまうのは、簡単に言えば進行方向とは別方向に乱れた強風が来る為に、船で例える所の舵が効かなくなるのである。つまり、乱れた気流も支離滅裂に流れている訳では無く、その気流の方向さえ分ってしまえば、パストですらも利用し加速する事が可能なのである。が、それはあくまで理論の上での話だ。突然目の前で起こされた気流に対して、一瞬の判断でその気流の方向を理解するなど、通常時では無理だろう。だが、この状況を予め予測し、ライバル選手の起こすパストの気流の癖までも、研究しつくしていたに違い無い。

 ――アレツさん、凄い……。

 ルティカは、アレツの取った行動の凄さに感心しつつも、この状況だからこそなし得た技である事も理解していた。

 すなわち、相手の技の研究が既に済んでいるのであれば、後は確実にパストが起こる場所さえ分かれば、それ程難しい理屈では無い。

 勿論これは、あくまで机上の空論の上での話である。それを実現出来るアレツとミリビネのライバルへの研究と、土壇場でそれを成功させる度胸に、頭が下がる他無い。

 その時に、ルティカはふと思い出した。

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