第三章 第四幕

 まだルティカが幼かった時、テレアの腕の中で見た、ガイゼルのシャン=ルーゼン世界戦。

 あの時のガイゼルも、圧倒的なプレッシャーの中、二頭の鴻鵠が同時に起こした気流の方向を一瞬で読み切り、勝利を勝ち取ったのだ。

 レース終了後、ルティカはガイゼルに尋ねた。どうして、あの乱れた気流の中で風に乗る事が出来たのか、と。

 父から帰って来た答えは、信じられない程簡単なものだった。


『父さんはな、あの時、風が見えたんだよ』


 突如舞い降りて来たフラッシュバック。

 だけどあの時の、ガイゼルがシャン=ルーゼンで世界一になった時の姿が、突如ルティカの目に映ったのには、何か意味があるはずだ。

 ルティカはそう信じ、そしてその朧気な自信はすぐに確信へと変わった。レースが四周目へと差し掛かる直前、9番リングの手前でアレツが前方の6番選手を抜き去り、二位へと浮上した時、あの時のガイゼルとアルバスの姿が、不意にアレツとミリビネに重なって見えたのだ。

 ――今日、アレツさん、勝つ……。

 根拠も何も無い、唯の願い事。だが、ルティカは自分の予想に確かな自信があった。

 四周目。

 ミリビネの瞳の先には、先頭の14番選手の尻尾があった。

 その差は約10メートル。鴻鵠3頭分程の距離は、徐々に詰まっていく。

 もう抜き去るのは時間の問題だろう。

 会場中の誰もがそう思った。

 刹那の静寂。

 観客が固唾を飲んで見守る中、それでも14番選手は必死で先頭を守り続けた。

 問題の6番リング後は、他の選手の様にパストを放つ事も無く、一寸の躊躇も無く人口風に乗り加速した。

 先程までのレース展開から、小手先の技術は通用しないと判断したのだろう。真っ向勝負を選択した14番選手に、ルティカは心の奥底で拍手を打ち鳴らした。

 ――うん、そうだよ、やっぱりそうこなくっちゃ。それでこそ、鴻鵠レースだもんね。

 だが、アレツも負けてはいない。

 14番選手がどれだけ最短距離でリングを潜っても、その真後ろにピッタリとくっついて全く離れない。そうこうしている間に、二頭は連なりながら10番リングを通り抜けた。

 ラスト一周。

 二頭が最後の1番リングを潜ったところで、最後尾についていた9番選手を、抜き去った。

 世界戦で、まさかの周回遅れだ。

 周回遅れの選手は、その時点で失格となる為、追い抜かれた9番選手は悔しそうに一つ声音をあげると、他の鴻鵠の邪魔にならぬように、場外へと降下していった。。

 圧倒的だった。

 今目の前で行われているのは、今年度のシャン=ナーゼルの、世界一を決めるレースだ。

 だが、今年に至っては、十四頭も要らなかったのだ。

 1番と14番。

 この二頭の実力が、圧倒的なまでに抜きん出ていた。

 悔しそうな9番選手の声音を聞いた瞬間、ルティカには、不思議と理解出来たような気がした。他の十二頭があの作戦を取らざるを得なかった心情が、今では良く分かる。

 彼らは必死の思いで、抵抗を試みたのだ。

 一頭ずつでは勝負にならない、だが、みんなで力を合わせれば、自分達の誰かが、奇跡的にも奴らに勝てるかもしれない。

 そんな儚い願いを込めて、卑怯と呼ばれてもおかしくない作戦を、ライバルと徒党を組んでまで行ったのだ。世界戦に挑むだけの実力があるにも関わらず、自分達のプライドを自らの手でズタズタに切り裂いてまで、彼らは貪欲に勝利を欲したのだ。

 だけど、それでも、あの二頭には全く歯が立たなかったのだ……。

 次々に抜かれて行く他の鴻鵠達も、二頭に抜かれる度に悔しさを露わにする。

 嘶き、喚き、吼え、叫ぶ……。

 そんな彼らの姿を見ながら、ルティカは先程までの自分の浅慮を恥じた。

 誰が責められよう。誰が嘲笑えよう。彼らもまた、必死に戦った、誇りあるな戦士なのだ。

 気づけば、一滴の涙がルティカの頬を伝った。

 自分ならば、あそこまでがむしゃらに勝利に向かって挑む事が出来るだろうか? 下らないプライドが邪魔をして、結局中途半端な結果しか残せないのでは無いか。

 答えの出ない自問を打ち破ったのは、再び会場中から響いた、一際大きな歓声だった。

 目線を先頭集団に移すと、8番リングを超えた所で、アレツ達が14番選手に並んだ。

 恐らく、自力ではアレツ達が僅かだが勝っている。他の鴻鵠達の必死の抵抗が、皮肉にも14番選手に、千載一遇のチャンスを与えた形となったの。だがそれも、最早ここまでか……。

 9番リングを同時に潜り抜けた二頭は、そのまま横並びのまま10番リングへと向かう。

 接触するのでは無いかと思える程密着した二頭は、そのままの体勢で、ほぼ同時に10番リングを潜り抜け、フィニッシュとなった。

 すぐに会場のモニターに、決定的瞬間の写真が映し出される。

 観客が皆固唾を飲み、モニターに視線を送る。会場中の視線が集中した先に映し出された映像は、ほんの僅か、突き出た嘴の差で、一足先に10番リングに到達していた、ミリビネの姿だった。

 チャンピオンの二連覇に、会場中が歓喜に沸く。

「決定いたしました! 今年度のシャン=ナーゼル世界チャンピオンは、鴻鵠ミリビネと、鴻鵠士レインケル=アレツです。前年度に続き、二連覇となりました! おめでとうございます!」

 会場中の歓声を一所に集めたかのように、声高に響くアナウンス。

 チャンピオンの貫禄を背負っているかの様に、緩やかに地面に降り立ったアレツとミリビネは、降り注ぐ歓喜のシャワーを存分に浴び、満足そうな顔で観客達に手を振った。

 その時、14番選手がアレツ達の隣に降りて来て、鴻鵠士がアレツに握手を求めた。

 お互いの健闘を称えるように、力強く握手を交わすその行為に、再び拍手の雨が降り注ぐ。

「それでは、勝利しました鴻鵠、ミリビネさん、ウイニングコールをお願いします」

 アナウンスの声に、ミリビネは首肯する

 レースに勝利をした鴻鵠は、勝者の証として、ウイニングコールと称した、鳴き声を一つ、朗々と上げるのがお決まりと成っていた。これこそが全ての鴻鵠の憧れであり、何処までも響いていくこの声音こそが、レースの勝者だけが響かせる事の出来る、まさに栄光の勝鬨である。

 アレツが再びミリビネの首元に跨り、ミリビネはその力強く光る黒と茶色の翼を大きく広げた。砂塵を巻き上げながら徐々に浮かび上がり、ゆっくりとした仕草で少しずつ、再び観客達と同じ目線に浮かぶ。

 そして、大きく嘴を開いたかと思うと、どこまでも響いていくような、強く、甲高く、そして勇ましい声音で、ヒュルルルルルルと鳴いたのだった。

 遠く山の向こうにさえ届くと言われるその声は、レース場外のビル街にも谺し、何処までも鳴り響いていった。

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