第六章 第六幕

 華やかなフィオーナのビル街を通り抜け、ジラザのトラックは無事に競技場へと到着した。

 いざ戦場に降り立ってみると、競技場やその周辺から、何だかいつもよりも強い熱気が漂っているように感じられた。勿論、先日の世界戦の盛り上がりとは比べ物にならないが、それでも心なしか、普段のC級レースよりも観客の数も多い気がするし、言葉には表せない、空気中に漂う圧の様なものを、ルティカは肌で感じていた。

 トラックは競技場内を進み、地下にある関係者専用駐車場で止まった。

 荷台から飛び降りたルティカは、バラクアが降りられるように、荷台の後ろから簡易式のタラップを降ろした。そこから、運転席のジラザに尋ねる。

「おっちゃん、何か今日、いつもより人多くない?」

「そりゃあ、C級フレイク杯っていやぁ、年度終わりの、昇格を賭けた最後のレースだからなぁ。ここで勝って上にいけるような粘り強い鴻鵠は、ランクが上がってからも強ぇって話だ。だから、まぁ他のC級レースよりも人気があるんだろうよ」

 口髭に手をやりながら、事も無げな態度のジラザの言葉が、ルティカの中に重たく入ってくる。

 いつもよりも強い存在感を放つ、空気に潜む重圧。

 その重圧の正体は、ルティカも良く理解していた。

 今日は、ただレースをしに来たのでは無い。レースで、勝ちに来たのだ。

 勝たなければいけない理由があると言う事は、負けられない理由があると言う事なのだ。それは即ち、普段のレースにおいて、自分がどれだけ甘えた態度でレースに挑んで来たのかを突きつける物でもあった。いつも傍らにありながらその存在に頓着して来なかった、緊張感と焦燥感。それらが今更ながらにルティカの肺腑を駆け巡り、呼吸を浅くさせ、身体と思考を縛りつけてくる。

 そんなルティカの頭を、車から降りて来たジラザは、無遠慮にグリグリと押しつけた。

「いだだだだ! おっちゃん! 痛い痛い痛い痛い!」

 先日の夜間飛行を咎められた際の、お仕置き拳骨で発生した治りかけの瘤が、ジラザの豪腕に撫で付けられる。頭の天辺から起こる激痛にルティカは身悶えした。

 ルティカが充分痛がったのを確認したジラザは、ゆっくりと頭から手を離した。そしてその手を肩に回し、グイっとルティカの身体を手前に引き寄せると、耳打ちをするような距離で囁いた。

「なぁルティカ、深~く息を吸って聞くんだ。今更どうこう考えたってどうにもなんねぇんだよ。お前にはな、立派な父ちゃんがいて、心強い相棒もいて、俺や華瑠みてぇな信頼出来る調教師達もいるじゃねぇか。もうここまで来ちまったんだから、何も考えねぇで、がむしゃらにぶつかって来い。分かったな?」

 低く、真剣なジラザの表情に、ルティカは思わず頷いた。

「うっし。じゃ華瑠。後は頼んだぞ」

「ハイ! シショー、任されたヨ!」

「え? おっちゃん、どっか行っちゃうの?」

「あぁ、ちょっと野暮用があってな。心配すんな、お前らのレースはちゃんと見ててやるからよ」

 そう笑うと、ジラザは後ろ手に手を振りながら競技場の奥へと消えて行った。

「ルティカ、俺達も移動しよう」

 名残惜しそうにジラザの背中を眺めるルティカの頭上から、バラクアの声が降ってくる。バラクアに続き、華瑠が手元の案内表を見ながら明るい声を出した。

「私達の控え室はこっちヨ! 私に付いて来るネ」

 華瑠を先頭にして、三人は控え室へと向かった。トンネルのような駐車場を抜け、エレベーターで更に地下へと降りる。そのまま華瑠の案内に従った先に、『鴻鵠バラクア・鴻鵠士エレリド=ルティカ 控え室』と書かれたドアがあった。

「ここヨ!」

 華瑠が控え室に入ろうとする前に、ルティカが声をかけた。

「ねぇ、華瑠。その案内表、他の選手の控え室も書いてあったりするの?」

「そうヨ、全部書いてあるヨ」

「お願い、それ、ちょっと見せてくんない?」

 ルティカは華瑠から案内表を受け取ると、手早く一つの名前を見つけ、その位置を確認した。

「二人ともごめん、控え室で待ってて。私、ちょっと行ってくるわ」

 華瑠とバラクアに一方的に告げ、ルティカは脱兎の如く地下の廊下を走り出した。

 蛍光灯の明かりの為か、入り組んだ地下の通路が無機質な迷路のように感じられる。時折地図を広げ、現在位置と照らし合わせながら、ルティカは走り続け、やがて一つのドアの前で立ち止まった。

『鴻鵠レベ・鴻鵠士ベルキウツ=ベート 控え室』

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