第六章 第五幕

 太陽が白々と草原を照らし始めた頃、ジラザは厩舎の前へトラックを回した。後ろの荷台には備品と共に、ルティカとバラクアが乗り込んでいる。忘れ物が無い事を確認し終えた華瑠が、助手席へと身体を滑らせる。

「シショー、準備OKヨ」

「うっし。おーいお前ら! 出発するぞ!」

 運転席から飛んでくるジラザの声に対し、ルティカは了解のサインの代わりに、サイドミラーに映るようにひらひらと手を振った。

 それを見届けたジラザは、トラックに差し込んだキーを回す。ブルルルン、と勇ましいエンジン音を辺りに響かせ、トラックは緩やかに走り出した。

 セオクク厩舎は、ルーテジドの郊外に位置する、『ユンツ』と言う片田舎の町にその居を構えている。まずはそこから約20分程の距離に存在する、ルーテジドの首都『リュッツ』を目指す。

 ルーテジドには、大陸上に位置する四つの国の首都を一本の道路で繋いだ国道が存在する。その為国道に乗りさえすれば、後は一本道である。リュッツから約二時間程トラックに揺られれば、あっという間に今回の目的地である、フィロルの首都、『フィオーナ』へと到着する。

 トラックの荷台の上で、バラクアに身体を凭れ掛けながら、ルティカは自動的に流れ去っていく空と雲をぼんやりと眺めていた。

 雲の流れは緩く、風は戦いでいる程度にしか吹いていない。

 このままの状態が続くようなら、今日のレースは無風とまではいかないだろうが、自然風の影響は少ないかもしれない。風を読む事に長けているルティカにとっては、あまり好ましいコンディションでは無かった。

 ルティカは荷台の上で立ち上がり、自分の人差し指を軽く口に含み、改めて風向きと風量を確認してみた。無論そんな事をせずとも、風の強さも風向きもほぼ感覚的に理解はしているのだが、どうしても確認せずにはいられないと言う気持ちの方が強かった。

「ん~、やっぱ風が弱いな~。レースの時間までにもっと強くなってくれればいいんだけど……」

「今日のレースは、上手く人口風に乗れるかどうかの勝負になるかもしれんな」

 独り言にも近いルティカのぼやきを、バラクアが拾った。

「ん~、やっぱそうなっちゃうかもしんないわよね~」

 難しい顔のまま、ルティカは再度荷台の上に腰を落ち着けた。すぐ横にあるバラクアの巨体に、再び身体を凭れ掛ける。

 足を畳み身体を丸めている為、普段よりも幾分かは小さくなってはいるが、それでもバラクアの身体は、トラックの荷台の上を大きく占拠していた。

 鴻鵠はレースや競技以外での飛行が制限されている。その為車での移動はよく見かけるのだが、大抵が鴻鵠専用のトレーラーを使用するのが一般的になって来ており、ジラザのように、普通のトラックの荷台に鴻鵠を乗せて運ぶ昔ながらのスタイルは、現在ではかなり珍しい。

 金銭的な問題もあるのかもしれない。だがバラクアもルティカも、レース前に自然風をふんだんに感じられるこの移動方法が、嫌いでは無かった。

「装置の場所やリングの場所は、いつも以上にデータを頭に放り込んでるから心配ないわ。ただ……」

「ただ、なんだ?」

「やっぱりさぁ、共通情報じゃない、レースの瞬間になってみないとどうなるか分からない自然風を読めるって言うのが、私の強みなわけじゃない。そのアドバンテージが無いかもしれないってのは、やっぱりちょっと厳しいかもな~って思ったのよ……」

 眉間に皺を寄せながらそう呟くルティカに、バラクアは関心したような声を出した。

「なぁ、ルティカ」

「何よ?」

「お前、随分成長したな」

「……は?」

 その言葉の意図が理解出来ずに、ルティカは口を開いたまま固まった。眉間の皺が更に濃く刻まれる。

「何それ、馬鹿にしてるの?」

「いや、馬鹿になどしていない。本当にそう思ったんだ。以前までのお前なら、風が吹こうが吹くまいが私達の勝ちは揺るがないわ、なんて根拠の無い大口を叩いて笑っていただけだったのに、冷静に状況を見られるようになったんだな」

 バラクアからの慣れない褒め言葉に、ルティカは思わずたじろいだ。困惑した顔が、徐々に紅潮していく。

「ちょっと……、何よ、それ……。今日は、絶対に勝たなきゃいけない試合なんだから、そりゃ、私だって慎重にもなるわよ! 何よ、やっぱり馬鹿にしてるんじゃないの?」

 珍しく慌てふためくルティカの態度に、今度はバラクアの方が僅かに面食らった。

「お前もしかして、照れてるのか?」

「て、照れてなんかないわよ!」

 ルティカは荷台の上でやにわに立ち上がり、バラクアに向けて叫んだ。そして暫くしてから、その行動自体が冷静を欠いている事に気が付いたのか、おもむろに座り込むと、意識的にバラクアから目線を外し、流れ去っていく景色を眺め始めた。

 そうしてそっぽを向いて黙ってしまった相棒の後姿を注視していると、耳まですっかり赤くなっているのに気が付いた。

 ――こいつもしかして、あんだけ根拠の無い自信を振りかざしておいて、いざ褒められると弱いのか?

 相棒の意外な弱点を知り、バラクアは心の奥底で密かにほくそ笑んだ。それと同時に、何だかとても小気味良い心持になった。

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