第六章 第四幕

「ああ、起きてるぞ」

「な~んかさ、明日がいよいよレースだって思うとさ、変に緊張しちゃうわね。本当のこと言うとさ、レース前に、緊張して眠れなくなるなんて、初めてなのよ……」

 その言葉に、バラクアは心持ちがふと軽くなるのを感じた。自分だけでは無く、相棒も同じように、不安を抱えている事を知った……。

 だが、だからと言ってそれを素直に表に出すわけにはいかない。

 片方が沈んだ時は、もう片方が奮起させる。

 それが、相棒ってものだ。

「へぇ、意外だな。お前にもそんな繊細な心があったとは、驚きだ」

「あー、ひっどい。ルティカちゃんはこう見えても、か弱いか弱い、ガラスのような繊細な心を持った、可愛い乙女ちゃんなんだからね」

「……お前それ、自分で言ってて恥ずかしく無いのか?」

「べっつに~。私は父さんに、女の子らしい鴻鵠士になるって約束したのよ。だからこういう、女の子女の子した気持ちも、忘れちゃいけないのよ」

「それなら、普段からそう言う心がけでいて欲しいもんだな。お前はレースの事となると、一瞬にして目が獣のようになるからな」

「それはバラクアが変な事を言うからでしょ!」

「俺は別に変な事を言っているつもりは無い。お前の悪い所を冷静に分析し、指摘してやってるだけだ」

「はいはい、優等生さんは、自分が何でも正しいと思ってるからうっざいのよね~」

 そう呟いたルティカの頭に、瞬間、ベートの顔がちらりと浮かんだ。

「……ねぇ、バラクア」

「何だ?」

「明日、勝てるかな?」

 一瞬言葉に詰まったバラクアだったが、自分が不安に思うのと、相棒が不安がっているのは、話が別だ。

「勝てるに決まってるだろ!」

 そう、声高に宣言するバラクアの虚勢に呼応するように、

「……うん、そうよね。あの腐れボンボンを、ぶっつぶしてやるんだもんね!」

 ルティカもそう宣言した。

 一呼吸置いてから、ルティカは静かに続ける。

「それにしてもさ、バラクア聞いた? フレイク杯、エントリーがギリギリだったけど出られる事になってよかった~とか言ってたけど、本当は、フレイク杯へのエントリー、アレツさんの世界戦の前には、おっちゃんの奴、もうとっくに終わらせてたんだってね……」

「そうなのか?」

「うん、さっき、華瑠からこっそり聞いたのよ。確かによく考えたら、年度末の最後、ランクが上がるかどうかの瀬戸際のレースが、そんなギリギリまで募集かけてるなんて、ある訳無いわよね。だからおっちゃんは、私達がエラリアル杯で負けた時から、もしかしたら、こういう事になるって分かってたのかな?」

「ありえる話だな。本当に、オーナーの先見の明には、いつも驚かされてばかりだ」

「まったくよね。見た目はただのガタイのいい髭面のおっちゃんなのに、参っちゃうわよね……」

 そうして二人で、ジラザの話を肴に暫し笑い合った。

 一頻り笑った所で、

「ふ、わぁぁぁあぁぁ……」

 ルティカが一つ、大あくびをした。

「よし、明日の為に、そろそろ休むか」

「そうね……。おやすみ、バラクア。明日はよろしくね」

「ああ」

「信じてるわよ」

「ああ」

「寧ろ愛してるわ」

「それは御免こうむる」

「御免こうむらないの! ……じゃあ、おやすみなさい」

 そう言うや否や、ルティカは途端に火を消したように静かになった。

 バラクアは、先程までの不安だった心が嘘のように、自身が穏やかな心持ちをしている事に気が付いた。

 ルティカの方へと徐に首を回すと、話し疲れたのか、早々に寝息を立てている。

 ずり落ちた毛布を嘴で引き上げて、ルティカの肩を覆ってやる。そして耳元に付いているネイバーをそっと咥えて外し、彼女の膝元に放り投げた。

 穏やかな寝顔を暫し見つめた後、ちらりと窓の外に目線を移す。夜空の星に向かって明日の勝利を願った後、ゆっくりと、目蓋を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る