第八章 第七幕
「なぁんだとぉ!!」
突如放たれたジラザの大声に、周囲の人々が思わず一斉にこちらを振り向いた。
「おい華瑠、そりゃあ本当か!!」
「ちょっとシショー、声大き過ぎヨ、皆こっち見てるヨ」
華瑠は恥ずかしさに顔から火が出そうだったが、勿論ジラザはそんな視線などお構い無しである。
「あんの野郎、本当にこのレースで負けたら鴻鵠士辞めるなんて言ったのか!!」
あまりの騒音に耳を塞ぐ華瑠の肩をむんずと掴み、ジラザは彼女の身体をぐわんぐわんと揺らした。まるで強く揺すれば、別の真実が零れ落ちるであろう事を信じて止まないかの様に。
「ヨ~、シショー、ちょっと落ち着いてヨ~! 首が、首がもげちゃうヨ~!」
身体を前後に思いっ切り揺さぶられながらも、華瑠は何とかジラザを宥めにかかるが、その勢いは一向に収まる気配を見せない。
「これが落ち着いてられるかってんだ!! あいつ、とんでもねぇこと言い出しやがって……」
そこでジラザは漸く華瑠の肩を離し、苦々しげな顔で、上空を駆けるルティカを睨みつけた。
――あんの、馬鹿姪っ子が!
華瑠もまた、この事をジラザに言うべきかどうかは迷っていたのだ。だが聞いてしまった以上、そして口止めをされていない以上、ジラザに報告をしない事は、義に反するとの考えに行き着いたのだった。
そう、厳密に言えば、華瑠はルティカから直接話を聞いた訳では無い。
『お前、本当に今日のレース負けたら、鴻鵠士辞めるのか?』
ルティカの言葉に相槌を打ったのであろうバラクアのその声が、たまたま華瑠のネイバーに飛び込んできたのだ。
「シショー? ルーちゃん、今日勝てるかナ? 勝てるよネ?」
そう不安気に呟く華瑠に対し、ジラザは唸りながら首を振った。
「……分からん」
困惑した頭にふと、ルティカの母であるテレアの笑顔が浮かんだ。それは、長く病に伏せっていた妹が、珍しく元気に笑っていた日の光景だった。
『ねぇ、聞いてよ兄さん。ルティカったらね、やっぱり大きくなったら鴻鵠士になりたいんですって。まだ誰にも内緒だよーって、教えてくれたの。ふふ、やっぱり、あの人の子ね……。危ないお仕事なのよって説明しても、絶対なるんだって聞かないの。やっぱり、あの人の子ね……。私も調教士の端くれだもの、空に憧れるあの子の気持ちも痛い程分かるわ。だから、出来るだけ長く応援したいとは思ってるんだけど、あの子が自分の鴻鵠に乗って空を飛ぶ姿は、多分見れないんだろうなぁって、薄々分かってるの……。だからね、兄さん。もしも、もしもね、私に何かあったその時は、調教師として、あの子の事、どうかよろしくお願いします……』
それは、ジラザが絶対に断れない願い事だと分かっていたからこその、微笑みだったのかもしれない。
じわりと零れ落ちそうになる涙を無理矢理止める為、ジラザは自身の頬を両手で思いっきり叩いた。バシンッ、と言う激しい音が周囲に響き、悲しみの涙は見事に引っ込んだ。ところが今度は、ヤケクソの馬鹿力で叩いた痛みのせいでじわりと涙が零れそうになる。これを、奥歯を噛み締める事で何とか堪える。
「シショー! 今度はどうしたヨ!」
一人で暴れるジラザの姿に動揺した華瑠が、心配のあまり泣きそうになっている。
じわり涙の連鎖が止まらない。
「何でもねぇよ!! くそったれ、俺に相談も無しに勝手な約束しやがって! 言ってやりてぇ事は山程あるが、とりあえず、ルティカはレースが終わったら、げん骨だ!」
拳を硬く握り、遥か上空のルティカ達を睨みつけ、吠え狂った。
「くぉっらぁあ、お前らぁ! 負けたら承知しねぇからなぁ!! 死ぬ気で勝てぇえええええ!!」
響き渡った大音声は、華瑠だけに止まらず、周囲の人々にも、思わず耳を塞がせる程の勢いだった。
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