第五章 第二幕

 結局二人は、厩舎に戻った直後、襲って来た睡魔に敗北を喫するに至った。睡魔の強烈な魔力に屈し、夢の世界へと縛り付けられた二人を起こしに来た華瑠に対し、ルティカが寝ぼけて、

「ん~、もうちょっと寝かせてよ。一晩中飛んでて寝てないんだから」

 などと言ってしまったものだから、それが巡り巡ってジラザの耳にも入ってしまったのだ。

 当然の如く二人はジラザから、とてつもなく大きな目玉を頂戴する事となる。

「夜間飛行は禁止だって知ってんだろうが! 何やってんだてめぇら!」

 ジラザの怒鳴り声に対し、裸足で逃げ出した睡魔達を尻目に、ルティカは赤い目のままお説教を受けていた。隣には殊勝な態度のバラクアが、同じように神妙に座り込んでいる。

「だって、バラクアが……」

「だってもクソもあるか! お前ら二人は契約交わしてんだろうが! 連帯責任だ!」

 そう言うと、ジラザはルティカの頭に拳骨を、バラクアの腹部にボディーブローを食らわせた。

「すいません、オーナー……」

 身悶えするバラクアは、ネイバー越しにそう呟いた。

 ルティカはと言えば、悶絶して転げ回りながら、零れ落ちそうな涙と叫び声を必死で堪えている。きっとこれから3日程の間は、身長が3ミリ程度高くなっている事うけあいだろう。

「ったくよぅ。いいかお前ら、この事は絶対誰にも言うんじゃねぇぞ! 外部に漏れたら大変な事になりやがるからな。分かったな!」

 二人は悶絶をしながら、首肯を繰り返す。徐々に回復して来たのか、二人とも悶絶しながら、ゆっくりと身体を起こし始めた。

「そんで、二人っきりの夜間飛行で、何か掴んだのか?」

 ジラザはテーブルの上の葉巻を一本咥え、火をつける前に尋ねた。

 一転して、ルティカは瞳を輝かせながらジラザに、ずいと詰め寄る。

「おっちゃんおっちゃん! 私決めたの! ベートを絶対ぶっつぶすって! だからお願いします! レースに出さしてくだむぎゅ!」

 意気揚揚と迫るルティカの頭をぐりぐりと押さえつけ、ジラザは空いた方の手で悠々と葉巻に火をつけた。

「いだだだだだだ! おっちゃん、そこ駄目! 痛いったら! そこぐりぐりしないで!」

 ルティカは泣きそうな声を上げながら、身長が僅かに伸びている部分にダメージを与え続けるジラザへ懇願する。

 ジラザはゆっくりと吸い込んだ煙を、一つたっぷりと吐いた後に、ルティカの頭から手を放して呟いた。

「なぁルティカ、ぶっつぶすだのどうだのはいいんだよ。分かってんだろ? 問題は、どうやって、ぶっつぶすかなんだよ」

 核心を突いたジラザの言葉に、ルティカは思わず黙ってしまう。

 意気込みだけでは何も変わらない。

 気持ちを新たにしたとしても、結局は何も策が見つかってないのが現状だ。

 奥歯を噛み締めるルティカの表情を眺め、一つ鼻息を鳴らしたジラザは、何処にいるか分からない華瑠に向けて、大声で呼び掛けた

「おーい華瑠、昨日言ってたあれー、届いてるかー?」

 遠くの方から、華瑠の声が微かにこちらに届く。

「ハイシショー! ちゃんと届いてるヨー!」

「悪ぃけどよー、ちょっと持ってきてくれやー!」

「ハイヨー! ちょっと待っててネ!」

 ドタドタと走る足音が遠くから聞こえる。その足音がどんどん近づいて来たかと思うと、少し息を荒くした華瑠がジラザの部屋に顔を出した。その手には一冊のファイルが抱かれている。

「シショー、お待たせネ」

「おぅ悪ぃな、ご苦労さん」

 ファイルを受け取ったジラザは、親指に唾を付けてからそれを捲る。

 ルティカとバラクアは近づき、横からファイルを覗き込んだ。

「おっちゃん、何これ?」

 ルティカは疑問の声をかけたが、ジラザはページを捲る手を止めない。

「お前らのライバルをよぉ、ちょっと調べてみようと思ってな。今年の新人鴻鵠士が載ってる最新版の名鑑を取り寄せたんだよ。感謝しろよ、高かったんだぞ?」

 次々にページを捲っていたジラザの手が不意に『ベルキウツ=ベート』の欄で止まった。あの小憎たらしい顔が貼られており、ルティカとしてはムカッ腹が立ちそうになったが、そんな事言っている場合では無い。

「あの坊っちゃん、確かにいけ好かねぇかもしれねぇが、レースの腕はかなりのもんだな。お前らと違って、この一年で4勝、合計で38ポイントも稼いでやがる。一年目の新人にしてみりゃあ、紛れの多いルーゼンでこのポイント数は異常だな。それに、あのレベって鴻鵠がまたくせもんだ。あれは、ガイゼルが契約してたアルバスの血を受け継いでやがる。アルバスの実力はおめぇも分かってるだろ? あの鴻鵠、相当なサラブレッドだ」

「アルバスの?」

 ルティカの声に、驚きと共に、微かに喜びが混じる。あのアルバスの血を継いでいるのなら、あの強さや優しさも納得が行く。

 先日、レベに感じたデジャヴの理由も分かった。

 ルティカは、たった一度だがアルバスに乗った事があるし、父親と共にレースに出る彼を何度も観て来たからだ。父と共に行方不明になったままのアルバス。その血が繋がっていると言う事実が、損得抜きに、ルティカには嬉しい事だった。

 だけれども、その喜びも一瞬の内に過ぎ去り、途端にその表情は曇っていった。

 そう、アルバスの血筋に当たるレベは、ベートの乗る鴻鵠。つまりは、ルティカ達にとっては、超えなければならない壁なのだ。シャン=ルーゼンの世界戦で、ウイニングコールを誇らしく鳴らしたアルバスの姿が途端にフラッシュバックする。相当に厚い壁である事を理解したルティカの心中は、当然穏やかでは無かった。

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