第二章 第四幕

 レース後の控え室は、いつにも増して大荒れだった。

「だーかーらー! 凄い風が来るから、すぐに翼畳んでって言ったんじゃない! 何で出来ないかなぁ!」

「ふざけるな! そんな事言ってなかっただろ! こっちはこっちで、トップになれるかどうかのタイミングで大変だったんだ! そんな時に、回避して、凄い奴だから、で分かる訳無いだろ!」

「回避って言ったら風でしょうが! そこで凄い奴って言ったら、凄い風に決まってるじゃない! 察しなさいよ!」

「そんな屁理屈が通ってたまるか!」

「大体何よ! リングにぶつかった位で、あんなにふらふらしちゃってさぁ、情けないわね~」

「何だと! じゃあお前もあの速度でぶつかってみろ! 」

「ひっどーい! か弱い女の子にそんな事言うなんて、最っ低~」

「お前のどこがか弱い女だ! お前がか弱いんだったら、世界中の女性は全員病人だ!」

「なぁんですってぇ! それどう言う意味よ!」

「いいかげんにしねぇか!!」

 あまりの様子に見かねたジラザが、たまらず怒鳴り散らした。

「まったく、どうでもいい事ぐちぐちぐちぐち言いやがって……。負けちまったもんはしょうがねぇ。だがな、責任のなすり付け合いなんてみっともねぇことしてんじゃねぇ! 挙句にレースとは関係ねぇ事まで持ち込みやがって、うるさくってしょうがねぇ。気持ちは分からねぇでもねぇが、ちょっとは落ち着け!」

「だっておっちゃん……」

「ですがオーナー……」

「うるっせぇって言ってんだろうが!!」

 ルティカとバラクアの抗議を一喝して、ジラザは大きく鼻息を鳴らした。

 しんと静まり返った控室に、一呼吸置いて、コンコン、と静寂を打ち消すようにノックの音が転がった。

「あ、ハイ、どうゾ」

 ピリピリした空気の中、一瞬反応の遅れてしまった華瑠が、おずおずと扉を開ける。するとそこに、エラリアル杯の優勝カップを持った少年と、緋色の羽を纏った一頭の鴻鵠が立っていた。

「アノ、どちら様ですカ?」

「そういうお前は誰だ?」

「坊っちゃま、そう言う言い方はいけませんよ」

 不躾なその言葉を、後ろの鴻鵠が諌める。

「突然すいません。こちら、エレリド=ルティカ様と、バラクア様の控え室とお伺いしたのですが、お二人は御在室でしょうか?」

 慇懃な声に反応し、華瑠の後ろからルティカが顔を覗かせる。

「ゲッ、ベートじゃないのよ!」

 ルティカが心の底から嫌そうな声を出した。

「おいルティカ、呼び捨てはやめろと何度も言ってるだろ。僕の事はベートさんと呼ぶんだ」

「はぁ? あんたまだそんなこと言ってんの?」

「当たり前だ! 僕のパパはとっても偉いんだぞ! 敬意を払うのは当然だろ?」

「あんたのパパが偉いかどうかは知らないけど、私はあんたを『さん』呼びする程、出来た人間じゃ無いわけよ」

 ルティカを押しのけるようにして、ジラザがのそりとベートの前へと顔を出す。

「ベート? そんじゃ、おめえさんがベルキウツ=ベートか?」

「いかにも」

「そうかそうか、俺はこいつらの厩舎のオーナーやってるジラザってもんだ。今日はお疲れさん」

「いや、疲れるにも値しない、楽な試合だった」

 ベートはジラザ相手にも不遜な態度を崩さぬまま、二人は握手を交わす。

「ちょっとおっちゃん、なんでベートの事知ってるの?」

「なんで知ってるもなにも、今日のレースの優勝者だろうが」

 ジラザの言葉に目を丸くしたルティカは、改めてベートの隣にいるレベの羽の色に、見覚えがある事に気付いた。先程ルティカ達の鼻先を華麗に飛び去って行ったのだから、見覚えが無い訳がない。

「はぁあ? 7番選手ってあんただったの? 最悪だわ」

「おい、なんでおめえが知らねぇんだよ……」

「いやぁ、今日はレース場の研究に集中し過ぎてて、他の選手が何処の誰かまでは、覚えて無かったのよねぇ」

「ったく、試合運びも大事だが、ライバル選手の研究が適当になってて、勝てる訳ねぇだろうが」

「ジラザさん、大事なお話の所申し訳ありません。ルティカさんに、少々お時間よろしいですか?」

 ジラザの説教を遮るようにして、ベートの後ろの鴻鵠が声を出した。

「初めまして、ルティカさん。ベート坊ちゃまと契約をさせて頂いております。レベと申します。今日のレース、ありがとうございました。横に並ばれた時は、大変焦りました。バラクア様も、お疲れ様でした」

 レベはその巨体をしなやかに折り曲げ、手弱かに頭を下げた。その優しげな声にルティカも、奥に居たバラクアも、思わず頭を下げ返す。

「レベ、そんな挨拶なんかいらない。おい、ルティカ」

 つっけんどんに呼ばれたルティカは、不服そうにベートに向き直る。

「何よ」

「僕は今日は、お前に一言言いたくてわざわざ来てやったんだ、ありがたく思え」

「一言?」

「僕は今日優勝。今期4勝目だ。お前は周回遅れの失格者。おまけにまだ0ポイント。もうちょっと頑張ってくれないと、僕まで低レベルに見られるじゃないか。もっとしっかりしてくれ」

 ベートが得意気にふふんと鼻を鳴らした事をスイッチに、ルティカの瞬間湯沸かし器が火を噴いた。

「なぁんですって!!」

「じゃあ、それだけだ、精々頑張れよ」

 鼻息を荒くするルティカを尻目に、ベートは言う事だけ言うと、さっさと帰って行った。

「ちょっと、待ちなさいよ! ベート! こら! 待てっつってんのよ!」

 追いかけようとするルティカの前に、レベの巨体が立ちはだかる。

 その時に不意にルティカは感じた。今日では無い、もっと以前に、この鴻鵠と会った事がある様な、不思議な既視感を覚えたのだ。

「すいませんルティカさん。坊ちゃまは本当は素直な方なのですが、ほんの少しだけ伝え方が悪いのです。許してあげて頂けませんでしょうか。坊ちゃまなりに、ルティカさんを心配しておられるのです」

「レベさんだったわよね? あいつが私の心配ですって? 違うわよ! 絶対違うわ! あいつはただ私に皮肉が言いたくて、本当にただそれだけの為に態々来たのよ! そうに決まってるわ! あー腹立つ! 本当に性格の悪い嫌なやむぎゅ……!」

 いきり立つルティカの頭を、無理矢理にジラザが押さえつける。

「ちょっと落ち着いて、静かにしてろ」

 ジラザの腕の中で言葉を封じられても、野獣のような声を洩らし、鬼神の如く怒りを顕にする今のルティカには、美しい金髪も整った顔立ちも、正に豚に真珠、犬に論語である。

「それから、バラクアさん。リングへ衝突されてましたが、お怪我はありませんでしたか?」

 突然そう問われたバラクアは驚きのあまり、

「いや、はい、大丈夫でした、はい、お気遣って貰って、有難うございます」

 と、慣れない為か、若干不思議な敬語で返した。

「それは何よりです。お身体にはお気をつけ下さいませ。ではまた、お会いできるのを楽しみにしております。失礼いたします」

 そう言って去って行くレベの後姿を、バラクアは暫し複雑な思いで見つめていた。自分が必死に追いかけていた相手に、身体の心配をされてしまった。だが、屈辱的な感情は微塵も浮かんでは来なかった。

 その一方、ルティカの腹の虫は治まらない。ジラザの腕を脱出し、地団駄と共に悪態を吐き散らかす。

「あー、ムカつく! なーにが、もっとしっかりしてくれ、よ! あんの腐れボンボむぎゅ!」

 更にヒートアップしそうな所で、ジラザに再び頭を押さえつけられ、先程よりも強めに頭を締め付けられる。

 何度腕をタップしても、ジラザの腕は一向に力を緩める気配が無い。

「ねぇルーちゃん、あの偉そうな人、ルーちゃんんとどんな関係なノ?」

 華瑠からの問いかけのお陰で、漸くルティカはジラザの腕から解放された。

「はぁ……。別に、単に鴻鵠士学校の時の同期よ。その上、ベルキウツ貿易事業会社の一人息子の、いけ好かないボンボンよ。在学時代から成績は常にトップ。まぁ、優秀なのは分かるけど、あの性格だからねぇ。周りに居るのは取り巻きばっかりだし、私とは馬が合わなかったわねぇ」

 幾分か落ち着きを取り戻したルティカが、締め付けられた部分をマッサージしながら返事をする。

「ふぅん、凄い人なのネ。でも、どうしてそんな人ガ、ルーちゃんなんかヲ?」

「なんかって、華瑠ちゃん、もうちょっとディラル語勉強しようか」

「まぁ、確かにあの坊ちゃん、おめぇの事気にかけてるみてぇだったな」

「そりゃそうよ。あいつ、常に成績はトップじゃなきゃ気に食わないみたいなんだけど、風読力だけはいつも私がトップだったからね、あいつは私にライバル心抱いてんのよ、生意気にも、むぎゅ!」

 ルティカの頭が三度押さえつけられる。

「周回遅れに言われちゃ、世話ぁねぇな。なぁバラクアよぅ。おめえは今日のレース、どうして負けたか分かるか?」

 ジラザの問いに、バラクアは暫し逡巡した後に、

「敗因は、二週目の10番リングを潜った直後、ルティカがおかしな指示をしたからです」

「どんな指示だったんだ?」

「回避して、凄い奴だから、です」

 ジラザは、口髭をいじりながら、もう片方の手でルティカの頭をぐりぐりと動かした。ルティカはその手を払うことはせず、されるがままである。三度目の拘束に、脱出を諦めたのだろう。

「それを聞いて、お前はどう思ったよ?」

「咄嗟の事で、訳が分かりませんでした」

「まぁ、そうだろうな。だが、あの時の、ルティカのその指示自体は間違っちゃ居なかった、それは分かってんだろ?」

「指示自体は……、まぁ、はい……」

 バツの悪そうな声を出すバラクアに、ルティカがジラザの手を頭に乗せたまま声を出した。

「まぁ、そうよね。私も慌ててたし、言葉足らずだったかもね。確かにあの状況で、回避って単語だけじゃ、意味が分からないもんね」

 ジラザが、そっとルティカの頭の上から手を離す。その手を、ゆっくりルティカの顔に持っていき、柔らかなその頬を、ジラザなりのそっとの力で、抓った。

「ひだだだだだだ、ほっひゃん! ひだい! ひだい!」

 はなひてはなひてと、ルティカは謎語でジラザに抗議をする。

 ジラザが頬の手を離すと、ルティカは少ししてから漸く、再びちゃんとしたディラル語を話し始めた。

「おっちゃ~ん、女の子の顔~」

 泣き言を呟くルティカに対し、ジラザは真剣な顔で告げた。

「いいかルティカ、今日のレースの事、よ~く考えろよ。今のお前らじゃあ、何回やってもレースでは勝てねぇって事がよく分かった筈だ。今日負けた原因がちゃんと分かるまで、お前らはレース禁止だからな」

「えー! 嘘でしょ!」

「そんな、オーナー!」

「うるっせぇ! それが嫌だったら、しっかり考えろ! 分かったな!」

 渋々承諾の返事をしたルティカとバラクアは、そっとお互いに目を合わせ、二人同時に溜息をついた。

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