第35話 ライトノベル

 吐息が白く染まるような昼下がり。走ってここまで来た所為で少し前に食べた昼食が胃の中で浮ついている。


 呼吸を整えて僕は呼び鈴を押した。

 少しすると中から物音が聞こえ、やがて扉が開きリュートが顔を出した。


「なんだヒロ。今日は休日だぞ」

「リュート、いたのなら返事してくれよ。何度も連絡送ったんだぞ」

「今の今まで寝ていたからな……それで何の用だ」

「魔物の気配を感じたから言いに来たんだよ」


 僕の言葉にリュートは顔を俯けて思案顔になった。きっと魔物の気配を探っているのだろう。


「……たしかに。けどかなり離れた場所だ。ヒロ、よくわかったな」

「日課のランニングをしていたら感じたんだ。リュートも気付くと思って放っておいたんだけど、昼になってもまだ残ってる感じがしたから……」

「なるほどな……それじゃあ俺はすぐに行く」


 よく見るとリュートはサンダルを履いており、たった今スニーカーに履き替えている。

 靴を履き替えると、家に鍵もかけずにリュートは僕を押しのけて走り去ろうとした。その後姿に声をかける。


「ちょっと待てよ」


 走り出そうとしたリュートが止まってこちらを振り向いた。


「なんだ?」

「僕も連れて行ってくれよ。情報提供してやったんだしさ」


 そうやって懇願するも、リュートは考える素振りも見せずに一蹴した。


「いやだ。教えてくれたことは感謝する。けれどヒロじゃあ来たって意味なんてない。俺の邪魔になるだけだ」

「いや、でも……」

「いいからついて来るな」

「な…………」


 あまりにはっきりと断られたため、言葉を失ってしまった。


「それじゃあ……」


 僕が放心状態になっているうちにリュートは走り、そして飛び去ってしまった。


「あ……」


 リュートの家の玄関先、自慢のロードバイクを傍らに僕は一人取り残されてしまった。


「あんなにはっきり言うことないだろ。そもそも、教えてやったんだから、もっと感謝してくれよな。それに意味がないってなんだよ、意味がないって……」


 ほんの少しのやり取りだったが、それは僕の頭を興奮させるには十分だった。

 そして僕は、その鬱憤を晴らすように支えていたロードバイクに足をかけ、魔物の気配がするその方向へとペダルを強く踏み込んだ。


 あまりに強く反発されたので無断でついて行ってやることにした。

 そもそも、向かうことの自由は僕にあるからリュートに言われてやめる物でもないのだ。こっそりついて行って驚かしてやろう。


 勢いづけてペダルを回した。

 リュートのことだし、早く行かなければ既に魔物を倒して帰ってしまうかもしれない。


 長年にわたり培った土地勘を利用して、抜け道近道を通っていく。それでも距離は大分と離れているので、五分ほど自転車を漕いでやっと目的地にたどり着いた。


 人の気配が少ない通りの路地裏。昼間だと言うのに悪い陽あたりのせいで随分と薄暗く、いかにもそれらしい場所と言える。


 息を殺してひそかに路地裏を覗き込む。

 するとそこにいたのは、いつかハクが廃ビルで串刺しにした虎の魔物だった。その巨大な体躯は狭い路地裏ではあまりに窮屈で、ほとんど前にしか進めないと言ってもいい程だ。

 しかしそれはリュートとて同じこと。虎ほどではないがリュートも横への移動は無いに等しい。まさに互いが互いへと向かって行くしかないのだ。


 初めに動き出したのは虎の方だった。勢いをつけて地面を蹴ると一直線にリュートへと突進を始める。


 加速しながら近づいて来る虎をリュートは高く跳躍して躱した。そして空中で体を捻り方向転換すると、着地と同時に虎の背中に剣を振った。

 しかし虎はそれを視認できていないにも関わらず、太い尾を動かして向かってくる剣に強く衝突させた。


 金属同士がぶつかったような鋭い音が鳴り響く。


 剣とぶつかった虎の尾は傷ついた様子もなく、むしろ悠々と左右に振りながら、はじき返した剣の次なる攻撃に備えている。

 見事に攻撃を防がれたリュートは、それでも怯むことなくもう一度虎の背後に剣を向かわせる。しかし、何度やっても虎は尾を巧みに使ってそれをいなして見せた。


 何度目かの攻防の後、遂に業を煮やしたのかリュートは跳躍すると剣を両手で持ち、虎の首元目掛けて差し込むように突き立てた。それには尾の長さが足りず虎も防御できない。

 勝負あったかと思われたその時、虎はまるで猫が跳躍を見せるときのように四肢を折りたたんだ。

 剣が首元を掠める寸前、虎は高らかにリュートの後方へと宙返りをした。


 リュートの剣は虚しく地面に突き刺さる。その間にリュートの背後を取った虎は先ほどまでのお返しと言わんばかりに勢いよく右前足に生えた爪を振り下ろす。


 急いで地面に刺さった剣を抜いたリュートは、反転しかろうじて飛んでくる爪を剣で受け止める。火花が散りリュートが少しのけ反った。虎はリュートが体勢を立て直す前に今度は左の前足を振り下ろした。


 しかし、リュートは剣で受けることなく後ろにステップを踏むことでそれを回避する。そして小さく飛翔すると壁を蹴りながら宙を舞い、無防備な首元狙って今度こそ剣を突き立てる――が、


 その剣はまたしても直前で止められてしまった。

 リュートの剣を防ぐほどの強度を誇る虎の尾が、突き刺さる寸前の剣先にとぐろを巻いて掴んでいた。


 リュートの動きを制止していた虎の尾は、直後激しく前後に振り回される。


 その遠心力によってさしものリュートも耐えられず虎の後方へと飛ばされ、器用に尾で掴んだ剣はリュートとは反対方向へと投げ捨てられた。

 投げ飛ばされたリュートは肺を強く打ち付けたのか、しきりに咳き込んでは動けずにいる。


 己に向かってくる危機がなくなった虎は悠然と身震いをすると、先ほどリュートが行ったように壁を蹴りながら体を反転させ、獲物へと狙いを定めた。

 そして、捕食者たる威厳を保つように地面をしっかり踏みしめながらリュートへと近づいていく。


 それに気付いたリュートも必死に逃れようとするが、遂には虎に腕を踏まれ体を拘束された。


「……待ってろ、リュート!」


 リュートの危機に思わず体が飛び出した。この状況をどう打開しようという考えがあるわけではないが、幸いにも武器はあった。


 虎が投げ捨てた剣は丁度僕の方へと飛んでいたのだ。


「うおおおおおっ!」


 僕らしくもないが、雄叫びを上げながら虎へと近づいていく。


 僕の声が聞こえたのか虎はのっそりと振り返り交戦の意思を向ける。しかし、その時には既に僕は首筋より少し下あたり、

 リュートがしきりに狙っていた――いつの日かハクがとどめをさした――脊髄を狙って剣を投げつけていた。


 僕が投げた剣の行方は、運良くも振り返った虎の喉を貫いた。


「――――――!」


 声にもならない鈍い声で虎が唸り、その場で身悶える。


「リュート!」


 虎の拘束が解かれたリュートに向かって剣を指さす。


「……!」


 突如として登場した僕に驚いているリュートだが、僕が指示することを察したのか、頷くと虎の首元に刺さる剣に手を掛けた。

 そしてそれを引き抜き、今度こそ虎の真上から今度は脳天を目掛けて突き刺した。


「――!」


 刺された瞬間、一度体を一直線に張ったかと思うと今度は糸が切れたように、虎の体は重たく地面に倒れこんだ。


「…………はは」


 高揚によってか恐怖によってか、剣を投げた手が未だ震えている。

 それとは相反して緊張が途切れた身体は弛緩してぐったりとその場にへたり込んでしまう。


「ヒロ、ついてきていたのか……」


 虎に突き刺した剣を抜いて、リュートは僕に手を差しだした。


「ちょっと腹が立ったから……でも、結果的に来てよかったかもな」


 伸ばされたリュートの手を掴んで立ち上がる。


「そうだな……ありがとう」


 柄にもなくリュートがしおらしい。無表情なのはいつものことなのだが、声に張りがない。


「それにしてもさ……」

「どうした?」

「この虎って案外強かったんだな。ハクは随分楽に倒していたのに……」


 リュートが苦戦するほどの魔物を、ほんの数秒で倒してしまうハクは一体何者なのだろうか。

 ハクをただの子供だと視認するのは、もしかしたら間違いなのかもしれない。


「いや……」

「ん?」

「こんな魔物、ハクならたしかに一瞬だ。ジンでも数秒とかからない」

「そうなのか。じゃあやっぱりハクって――」

「ヒロ……」


 言い終えるより前にリュートが僕の言葉を遮った。


「どうしたんだよ」

「……この前に、ライトノベルの話、したよな?」

「え、あ……うん」

 ハルと三人で帰っていた時だろう。たしかにライトノベルの話をしていた。

 しかし何故このタイミングなのだろうか。


「あの時、ハルが俺に小説の内容はどうだ、って聞いて来ただろ?」

「あ……たしか、そんなこと言っていたな」

「あれな……正確だよ、あの小説の設定は正確だったよ、本当に……」

「それってどういう……?」


 リュートに言及してみるがそれ以上何かを語ることはなく、ただいつもの冷めた表情で、

「それだけだ」

 と言うばかりだ。


 本当にそれだけ言いたかっただけなのかもしれないが、何故か僕にはリュートの言葉に真意があるとしか思えない。


 しかしそうやって僕が考えているうちに、リュートは既に路地裏の入り口に立ってこちらを見ている。


「ヒロ、先に帰るぞ!」


 リュートの声が路地裏に響き渡り、消えて行く頃にはリュートの姿はもうなかった。

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