第3話 謎

 誰もいない教室の中で涼しげながらもどこか窺うような顔でリュートは僕に言った。


「最近何か変わったことはないか?」


 何か変わったこと。一番変わっているのはお前だ、と言いたいところなのだがここは少し自分を抑えよう。


 しかし、唐突に変化したものなんて聞かれても答えに詰まってしまうのは確かだ。僕の理論というか自論で言わせてみれば、自分の近辺なんて常に変化しているものでそれに気が付かないことが人間の最もらしい部分であるのだから、目に見えるような変化など求める方が傲慢極まりないと思ってしまう。リュートの言いたいことはそういう謎かけ的なものなのだろうか。


 普段回りくどかったり分かりにくい表現をするリュートの、あまりにも直球な言葉についついその真意を確かめてしまう。


「いや、大して何もかわりないな」


 僕が思い出すように宙を見上げながら言うと、リュートはいぶかしげにつぶやいた。


「……そうか」

「そうだないつも通りだ」


 僕がそういうと今度は少し笑みを含めた顔でリュートは言った。

「ヒロって、もしかして暇なのか?」

「うん、暇だな」

 即答する。


 まあ当たり前だ。たいして何かすることもないし、スポーツだって勉強だってほどほどに頑張るくらいが一番僕にあってる。


「それに、クラブにも入ってないからな。学校が終わればすぐに帰るし、帰っても何もしないから暇一辺倒だな」


 笑いながら応えた。一辺倒の使い方が間違っている気がするが、気にしないでおこう。

「……一辺倒の使い方間違ってないか?」

 リュートから思わぬ指摘を受けた。どうしてこんな難しい日本語知ってるんだよ。


「そ、そんなことないだろ」

「ふーん、それでクラブって言うのはなんだ?」

「クラブねえ――」


 何と説明すればよいものか、顎に手を当てて考えてみる。


「――一緒の目的をもって同じ行動とか運動をする集団かな?」

 半疑問形になってしまったがリュートは案外腑に落ちたらしく、首を縦に振って頷いている。


「なるほど、ギルドみたいな感じか……」

 ギルドってなんだろ。

 海外ではそんなかっこいい言い方するのだろうか、むしろそっちの方が分かりづらい。


「まあ、そんな感じだ」

 とりあえず口を合わせておく。きっとリュートも僕が考えているクラブが連想されてるであろうし。しかしギルドとは中々におしゃれな言い方だ。


「ヒロは入らないのか?」

「僕は遠慮しとくよ」

「どうして?」

「興味はどのクラブにもあるんだけど、興味がありすぎて体一つじゃ足りないんだ僕の場合は。どんなことでも経験してみたいけど、入部して退部して繰り返すのは申し訳ないから」

「ふーん」


 なんか、随分と返しが冷めきっているように聞こえる。自分から聞いといてなんなんだその返答は。


「逆にリュートは入らないのか?」


 僕が尋ねると、リュートは僕とは逆方向の窓の外を眺めた。グラウンドではサッカー部と野球部が熱心に取り組んでいる。


「俺は結構忙しいんだ。している余裕はないよ」

「そっか…………なあ、帰るか?」


 なんだかクラブをしていない自分たちが随分と惨めに思えてきた。


「そうだな」

 青春を思わせるかのように情熱的だが少し寒気を感じさせる風が、青く染まっていない僕たちをあざ笑うかのように、二人の間を通り抜けた。


 僕とリュートは二人してグラウンドを眺めながら学校を出て家へと向かった。実は僕とリュートの家は結構近いのだ。

 リュートの転校初日から一緒に帰宅していた僕だが、その時は返る方面が同じだということに驚いたものだ。


 交差点を抜けてアーケード街に出る。昼下がりだと言うのに、田舎だからなのかここはどこも静かでまるで活気を失っているように見えた。なにより、商店街を示す看板からわずかに覗かれる廃ビルは、その象徴のように思えてどうも気分がそがれた。


「……リュート」


 隣を歩くリュートに声をかけるが返事はない。不思議に思ってリュートの方を見てみると、リュートも僕と同じように廃ビルを鋭い眼つきで凝視していた。


 きっとリュートも僕と同じことを思っているのだろうな。それにしても何故か最近あの廃ビルは妙に目がついてしまう。そのたびにちょっとずつ感傷的になってしまっている気がして少し体に悪い気がする。


「はあ……」


 どういう訳か自然にため息が出た。リュートを見てもどこか疲れているように窺える。

 少しするとアーケード街を抜けてT字路に出る。ここで僕たちはお別れだ。僕は左にそしてリュートはここを右に曲がっていく。


「じゃあまたな」

 そう言って、いつもなら別れるはずなのだが、どうしてかリュートは左に曲がって僕に着いて来たのだった。


「どういうつもりなんだ?」

 後ろについてくるリュートに向かって振り返らずに尋ねる。

「いや、興味本位?」

「なんだよそれ。まあ構わねえけど」


 歩調をリュートに合わせてまた二人で歩き出す。アーケード街を抜けて三分ほどで僕の家に着いた。なんの変哲もないよくある一軒家だ。少し特別な部分を挙げるとするなら隣には同級生の幼馴染がいて、今も同じ高校に通っているくらいだが、その話はまた今度にしよう。


「ここが僕の家だ。お気に召したか?」


 リュートに向けて言ったはずが、隣にいたと思っていたリュートはいつの間にか僕の家の前に立ち、僕の家ではなくその周りを見渡し始めた。


「何やってんだよ」

「いや……」

「また興味本位か?」


 ちょっと皮肉っぽくリュートに言うと、リュートはそんなこと気にしない様子で、興味なさげに踵を返して行った。


「なんだったんだ?」

 頭をかしげて考えるも、大してこれと言った理由があるようには思えなかった。もしかしたら本当にただの興味本位だったのかもしれない。


「まいっか――じゃあなリュート、また明日!」


 歩いて行くリュートに向かって手を振った。リュートも見ているわけでもないのに、振り返らず右手を少し上げて一度だけ僕に手を振り返した。


 ドアに手をあてて玄関をくぐる。靴をスリッパと履き替えて廊下を歩いてリビングへ向かった。いつものようにカバンを開けて弁当箱を取り出す。

 その時、折れないよう御丁寧にファイルとノートによって挟まれた、一冊のノートが僕の視界に入り込んだ。僕のカバンに入っているというのに、このノート僕のではない。


「…………あっ」


 そう言えば、リュートにノートを借りていたのを忘れていた。


「今ならまだ間に合うか」


 ノートを片手に玄関を飛び出してT字路へと駆けていくがそこにはもうリュートの姿はない。あわよくばここで追いつければと思っていたのだが仕方がない。ここはリュートの家へ向かうしかないようだ。

 T字路――いま僕の視点から見れば左に倒したようなT字路をずっと真っすぐ進んでいくと、ほどなくして古びたハイツが遠くに見えてきた。このハイツがリュートの家らしい。


 僕も小さいときからここに住んでいるけれど、ここにこんなハイツがあったことは、リュートに言われてから初めて知った場所だ。そのハイツに向かって歩を進めていく。


 清秋の涼しげな風が僕の頬を通り抜けた。その風の出所を探るよう、誘われたかのように僕は風の吹く方を眺めた。


 すると、僕の視界にはあの銀色の発光が、純銀の輝きが、どこか違う世界に住んでいるかのように思わせる神々しさが、そこにはあった。

 というかリュートがいた。そして何か建物の中に入って行くのが見えた。


「おーいリュー……」

 声をかけようとするが、思わずとどまってしまった。


 僕が見つけたリュートはリュートの家の前、ないし家へと続く道の道中でもなかったことに多大なる疑問を感じたのだ。

 そしてなにより今リュートが入って行った建物が、ここの商店街の静けさの根源ともいえそうなほどに古び、汚れ、忘れ去られた廃ビルだったということに、僕の中に眠る欲張りの動物、あくなき探求心は刺激されずにはいられなかった。


 しかし、改めて近くによって廃ビルを見上げてみると、何と言うか足がすくむ勢いだった。

 僕に超常的なものを可視化できる能力があるわけじゃないから、上手く伝えられるかはわからないけれど、その廃ビルからはどことなく不吉さを感じさせるオーラのような物が出ている気がした。


「どうしてリュートはこんなところに……」


 呆けるように廃ビルをいまだ見上げている。

 その時ビル越しに見えた空は、先程までは爽快な風を吹かせていたのにも関わらず、今はどんよりと沈む気分のような曇天と共にカラスも数羽掲げていた。

 哀愁を放つ秋風が僕の髪を押し流すように強くなびかせた。

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