第30話 キス

 学校の授業が終わり教室に残る生徒も少なくなった放課後、僕はいつも通りゆっくりと帰り支度を整え、ハルの元へと向かう。

 ハルも既に準備はできているようで、少しの会話をした後教室を出た。


 別館四階の教室から連絡通路を渡り、本館へと向かう。そして階段を使って一階まで下りる。この工程は何ヶ月経っても面倒だと思う。

 いつぞやの日、リュートに教室から飛び降り、学校の離れに存在する池まで飛び降りた日を思い出す。あんな風に飛び降りれば地上まではどれくらいの速さでいけるのだろうか、疑問を抱きだすと、僕の好奇心は止まることなく進み続ける。

 いつか、リュートに頼んで飛び降りてもらおう。もちろんタイムも測って。


 しかし、こうして思い出してみると、あの日も随分と前のことだと痛感してしまう。リュートが転校してきたのは九月の中旬、二学期に初め頃だった。

 それから時は過ぎ今は十二月。もう既に三か月が過ぎたと言うのに体感時間は随分と短く感じてしまう。


 いつか、どこかの偉人が言っていた、劇的な人生程早く過ぎていくというのは、やはり正解なのかもしれない。

 この三か月間、リュートに出会ってからリュートの秘密を知り、魔物と遭遇して魔物に腕を切り落とされて、神サマに助けてもらって、今では関西弁美少女に守ってもらっているのだから人生何が起こるか分からない。


 このままイレギュラーな展開で進めば、死者の世界にだって行けてしまうかもしれないと、思ってしまう自分は果たして夢の見すぎだろうか。

 だがしかし、異世界にだって行けてしまう世の中なのだ、死者の世界だってあってもおかしくはないと考えるのは普通だろう。


 そうこう考えているうちに、階段を下りきって昇降口で靴を履き替える。部活動に励む生徒の声を聞き流しつつグラウンドを抜けていく。

 校門をくぐり抜けようかというところ、僕は一人の少女に呼び止められた。


「おい、ヒロ」


 その声に僕とハルの二人同時に顔を向けた。


「ハク、お待たせ。ずっとここで待っていたのか?」

「そんなわけないやん。うちにもしなあかんことは沢山あんねん」

「へえ、それもジンに言われているのか?」


 僕の質問にハクは思案顔になりながら足早に歩きだした。

 僕らもその後ろをついていき隣に並んで歩いた。


「……そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるな」

「曖昧な返事だな」

「せやな……実際そんな感じやし。うちの目的はジンの目的でもあるし、そのためなら互いが互いを使い合う。まあ主従関係で言ったら、うちのが上やけど」

「主従関係って……お前とジンはそんな関係だったのか?」

「まあ、主従って言う程やないけど、うちがいたからジンが生きてるってゆうか……でもジンがいたから今のうちがいるって言っても変じゃないしな……」

「なんか複雑なんだな」

「うん、ジンはともかくうちは存在自体がイレギュラーみたいな感じやから」


 信号に捕まったハクが足を止めた。


 落ちるのが早くなった夕日がハクの髪を照らしている。今朝に頭を撫でた時にも思ったが、綺麗な淡黄色をした髪だ。オレンジの夕日に当たれば髪のツヤと相まって、髪色は鮮やかに彩られている。

 そんなハクの髪を眺めていると、隣でハルが思い出したように言った。


「そう言えばハクちゃんはどこで関西弁覚えたの?」


 何気ない質問に想えたのだが、意外にもハクはあからさまに嫌そうな顔をした。


「……言いたない」

「なんでよー」

「思い出したくないことやし、思い出しても面白い話じゃないから」

「えー、じゃあジンに訊いたら教えてくれるかな?」


 笑いながら尋ねたハルの言葉に、ハクは随分と食い気味に応えた。


「それはない。ジンも絶対に話さへんな」


 真っ向から否定されたハルが頬を膨らませながらも、羨ましそうにハクを見た。


「……なんか、そうやって言い切っちゃうのってすごいね。二人だけの特別な関係って感じがして」


 何気なく呟いたかのようにも見えるその言葉に、意外にもハクは顔を赤く染めていた。


「特別な関係って……うちとジンはそんな関係じゃないし。ただ二人でいるしかできひんからいるだけで、一人で生きていけるようになれば一人で生きるし」

「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど……て、あれ。もしかしてハクちゃん」


 最初こそ苦笑いで応えていたハルの顔は少しずつ趣味の悪いにやけ顔へと変貌していく。


「ハクちゃんはそんな関係だと思ってたの?」

「違うし、ただジンに世話になってるのは事実やから、ちょっとはありがたいなって思ってるだけや!」


 そう言い切ると、ハクは速足で一人前へと歩いて行ってしまった。


 それを後ろから追いかけてハクの元へと駆けていこうとしていると、僕は一つの気配を感じた。

 ハルも同様の気配を感じたようで、途中で足を止めると僕と顔を見合わせた。


「ヒロ、この感じって……」

「うん。きっとそうだと思う」


 意識し始めると肌に感じる感覚はどんどんと生々しさを増していく。体が少し重たく感じ微弱なダルさも感じるようになった。

 どんどんと前を行くハク目掛けて僕らは駆けていく。


「ハク!」


 追いついた僕はハクの華奢な肩を掴んだ。


「ん、なんや?」

「この感じ、魔物がどこかにいないか?」

「魔物か、うーん?」


 僕に言われたハクは顎の先に人差し指を当て、虚空を眺めた。

 数秒後、ハクもその気配に感じたのか「たしかに」と呟いた。


「倒したほうがいいんじゃないのか?」


 そう言ってみるが、しかしハクは頭を振った。


「いいや、こんなんじゃあまだ弱いから、もうちょっと待った方がええな」

「待つ?」

「魔力を蓄えれば魔物がその分強くなる、ってゆうのは知ってる?」

「それは……たしかリュートが話していたような」

「だから弱いのを何べんも倒すより、ある程度強なったのを倒す方が楽ちんやろ?」


 なるほど、そういう考え方もできるわけだ。リュートはそれと真逆で、弱い魔物をすぐに倒していたのでそういう物だと思っていたが、強くなった魔物を倒せば倒しに行く頻度は減るというわけか。


「……一理あるな」

「ま、これくらい常識やけど――」


 突然ハクの歩みが止まった。


「ん、どうしたんだ?」

「着いたで、ここやろ?」


 ハクが見上げた視線を僕らも追っていく。するといつの間にか、僕らは家の前まで来ていたのだった。


「いつの間にかだね」

「話しながらだとあっという間だな」


 僕とハルが顔を見合わせていると、ハクは僕らの間を抜けて歩いて行こうとする。

 それに気付いたハルがハクの肩を掴んで言った。


「どこ行くのハクちゃん?」

「うちがやることは二人を魔物から守ることと、学校への行き帰りでなんかしいひんか見張るだけやから。仕事が終わればうちは帰るで」

「えー、一緒に遊べると思ったのに」

「遊びって、うちはもうそんな歳ちゃう」

「そうだよね、私たちと遊ぶよりジンと一緒にいる方がいいもんね……」

「なっ……ジンがなんで出てくんのよ。ジンと一緒がいいとかそんなん全然ないし!」


 ハルに反発したハクは怒ってそのまま歩いて行ってしまった。

 それを遠目に眺めながらハクは僕に言った。


「ハクちゃんって、かわいいね」

「そうだな……でも、あんまりからかってあげるなよ?」

「だって、ああやって否定してる姿がかわいいんだもん。素直にジンのことが好きって言ってもかわいいけど。やっぱりずっと一緒にいれば意識しちゃうのかな?」

「どうだろうな。でも、あれだけ信頼しているなら、好きってことくらい恥ずかしがらずに言えばいいのに……」


 あれ、なんだろう。

 この言葉すごく心の刺さってしまう。まるで自分の首を絞めているような。

 もう十年以上一緒にいるのにハルを好きだということすら言えていない僕が、こんな台詞をハクに対して言っていいのだろうか。


 なんだかハクの気持ちがすごく分かるような気がする。ずっと一緒にいれば意識だってするし、時間が経てば経つほどそれを口にすることは難しくなるものだ。

 ハク、ごめん。想いを伝えるって凄く難しいことだよ。


「でも、何も言わなくていい関係って言うのも、なんかいいな……」

「そう……かな?」

「想いなんて伝えなくても、何も言わなくたって互いを信頼し合える関係ってよくない?」


 何も言わなくても信愛できる関係か。


「……うん、そうだ。そういうことにしよう」

「何が?」

「いいや、なんでもない」


 僕たちの関係はとりあえずそうしておこう。言えないのではなく言わないと。言わなくても信頼できるから、わざわざ言う必要はないということに。

 しかしそれでも、いつかは言わなければいけないし、現実は受け入れなくてはいけない。結局は今の状況を先送りしているだけなのだ。

 それは分かっている。分かっているのだが、今はまだそういう言葉からは目を背けるとしよう。


「ま、なんでもいっか。それじゃまた明日!」

「うん、また明日」


 互いに挨拶を交わし合い、僕らは別々に家へと帰っていった。


 玄関をくぐり靴を揃えてスリッパを履く。そのまま階段を上がって自室へと向かった。

 そのまま部屋の扉を開けると、そこには。


「なんや遅かったな。うちが行ってからなんか話してたん?」


 どういうわけかハクが僕の部屋で待ち構えていた。


「ど、どうしてハクが……ていうかどっから」

「まあまあ、そんなんは放っといて……」


 顔の前で手をひらひらと振ったハクは、僕のベッドに座ると今度は手で隣を叩いた。

 どうやら、隣に座れということを示唆しているようだ。


「ったく、いったい何者なんだ……」

「ええから、ええから」


 言われた通りにハクの隣に座ると、ハクは僕の顔を凝視しだした。


「え、なに……すげえ顔近いんだけど?」


 陶器のような白い肌と色素の薄い黄色がかった目が段々と僕に近づいてくる。

 澄み切った淡黄色の髪色と瞳は美しく光を反射させている。


「ヒロ――」

「な……なに?」


 僕が応えるより早くハクは僕の身体を押してベッドに倒れこませると、そんな僕を見て言った。


「――キスすんで」


 その言葉と共にハクの唇が僕へと向かってきたのだった。


「ええっ! ちょっと待て……!」


 僕の顔直前まで迫るハクの肩を両手で抑え、すんでのところでハクを制止する。

 しかし、ハクも押し倒した僕を掴んでは顔を近づけようとしてくる。


「恥ずかしいんか?」

「いや、そういうことでなく」

「ハルとようやってんねんやろ?」

「それは絶対にしてない!」


 心からの叫びだ。子供のころに何度かして以来もうあまりしなくなった。キスと言ってもハルがふざけて、ほっぺにするくらいだ。


「まあ、そうやとしても……うちに従っときいや」

「理由、理由くらい教えてくれ!」

「理由……?」


 僕の質問に思案顔になるハクだが、僕を抑えつけようとする力は衰えることがない。

 華奢な女の子だから筋力的な力こそほぼ無いに等しいのだが、僕はもう既に馬乗り状態にされ、いつの間にか下半身はハクが作り出した、例の鎖のような物で固定されてしまっている。その所為で起き上がろうと力を入れてみるが、微弱なハクの力と釣り合うほどの力しか出せない。


「……うちの目的のためでもあるし、ヒロのためでもあるんやで」

「僕のため?」

「そう、ヒロだっていつまでも無力のままじゃなくて、ハルを守るくらいの力が欲しいとか思わん?」

「思う……思うけど、それとキスで何の関係があるんだよ!」

「とにかく、うちとキスしたらハルを守れるようなるんやって」

「そんな、曖昧な理由でキスなんてされたくない。そもそも……」


 ハクを制止する両腕の力を強くし、ハクを引き離そうと試みる。


「……そもそも、ハクはジンのこと好きなんじゃないのか!」


 叫びを力に変えて渾身の勢いでハクを押し返そうとする。しかし、突然ハクが僕を抑える力がなくなり、今度は正面から至近距離で向かい合う形になった。

 正面から見たハクの顔は何故だか紅潮しており、赤く染まった頬を恥じるようにそっぽ向いていた。


「な、なんであいつの名前が出てくんの!」

「いや、だってハクはジンが好きなんじゃ……」

「好きじゃないし! あんなのきら……いじゃないけど、好きなんか一度も思ったこと……ないわけじゃないけど、そんなんとちゃうから!」


 否定しながらハクの頬の赤みはどんどんと増していく。顔を両手で覆ってもそれが分かる程に紅潮しきると、ハクは僕の足の鎖を消してベッドの上で立ち上がった。


「よし、これで……」


 しかし、立ち上がったハクは恥ずかしさのあまりか、僕の顔面を蹴り飛ばした。


「もう、なんなん! しらけたから帰る!」


 その言葉を捨て台詞にハクは、倒れた僕を置き去りにして窓から外へと飛び出していった。


 ハクに蹴り飛ばされた僕は、ベッドで横になったままそれを目の端で見届けると蹴られた衝撃が脳に響いたのか、死んだように意識が遮断された。

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