第20話 Lonely Laundry―脱水

 ここは私の家から自転車を使って五分ほどで着くコインランドリー。私が小さかった頃にヒロと探検をしている時に見つけた所だ。

 そんな時から残っているのだから、かなり繁盛しているのかと思いきや外装は結構ボロいし、今も私の他に客は一人もいなければ洗濯機は一台も稼働していない。昔から知っている私もどんな人がこのコインランドリーを経営しているのか知らない。


 そんなコインランドリーに私は今いる。洗濯物を洗濯機に放り込み、これまた年季の入ったベンチに腰掛けた。


 どうも疲れがたまっているのか先程から体が重たい。やはりヒロの前で無理して笑いかけるのは止めておいた方が良かったのかもしれない。


 私は笑顔が取り柄だ。周りからもよく言われるし自分でもそんな気がする。だからこそ、哀し気な顔は私には似合わない。

 しかし、それが本当に良いことなのか時々分からなくなる。先程したヒロとのやり取りだって、心では本当に気にしていなかったり、ヒロの言葉が嬉しいと思っているけれど、ヒロに向けたあの笑顔は、もしかしたらヒロには無理をしているように見えたのかもしれない。


 それでも私は笑ってしまう。誰かに自分を悟られないためじゃない。誰かに心配されたくない訳でもない。

 ただ、私が笑っていないせいで誰かを嫌な気持ちにはさせたくないのだ。


 喜びは人に伝わると言うのなら、悲しみだってそうなのだろう。

 私の寂しさが、悲しさが、虚しさが、憂鬱が、不安が、喪失感が、誰かに伝わってやしないだろうかと、私はいつでも怯えている。


「…………」


 何故だか分からないが涙が零れてきた。袖で拭いてもそれはとめどなく流れてくる。


 涙も私には似合わないから、あの日からずっと隠して生きてきた。どんなに悲しくても淋しくても辛くても、楽しい毎日を想像してなんとか涙をせき止めてきていた。

 水を貯めたダムが決壊したかのように、一度零れた雫はボロボロと流れ続けて止まらない。


「お父さんお母さん…………会いたいよ」


 こんなところで独りになった所為か、私の頭の中が負の感情で埋め尽くされる。

 悲しい、淋しい、辛い、そんな感情が体に纏わりついて、私を地中深くまで引きずり込もうとしているようだ。

 こんな時にヒロがいればどうだっただろう。私はヒロに今の自分をそのままぶつけて、ヒロとこの感情を分かち合っていただろうか。


 いや、無理だろう。

 ヒロには、ヒロにだけはこんな私を見せるわけにはいかないのだ。

 二年前のあの時、ヒロに慰めてもらったあの日から決意したのだから。みんなが好きな笑顔が似合うさくら遥希はるきでいることを。

 それでも、こうして独りでいるとやはり思い出してしまうのだ。二年前のそして四年前に起こったあのことを。


 いまから四年前、私のお母さんは事故で亡くなった。

 いまから二年前、私のお父さんも事故で亡くなった。どちらも冬の日の出来事だ。


 車やバイクが好きだったお母さんは、その昔に本場ドイツのBMW博物館でドイツ人のお父さんと出会った。そのまま車のことで意気投合して結婚までした。しかし私が生まれてもお父さんは仕事でドイツに単身赴任。私は日本でお母さんと二人で暮らしていた。


 当然、お父さんからの仕送りだけで生活できるわけもなく、お母さんも仕事に出ていた。


 私が小学四年生の時にお母さんの仕事先の転勤が決まった。距離はそれなりに離れてはいるが、車を使えば行けなくはない距離だったので、お母さんは「仕事にバイクで行けてラッキー」と言って喜んでいた。


 しかし小学六年生の冬のこと、お母さんは事故にあった。バイクで出勤中凍結した道で、スリップした車とぶつかったらしい。


 そうして一人になった私は間もなくお父さんとドイツで暮らすことになり、小学校を卒業後はドイツの学校に通うことになった。

 しかし、もともとお母さんと住んでいた一軒家のこともあり、日本で暮らすことを決めた私とお父さんは、高校受験のために私は中学二年の秋に単身日本に帰国した。お父さんとはその年の仕事納めと同時に日本で一緒に暮らすはずだった。


 だけど、お父さんが日本に帰ってくることはなかった。


 原因不明の未解決事故と呼ばれ、航空業者の中でも特別視されている事故だったらしい。エンジントラブルなのか、AIのバグなのか、もはや事故なのか犯罪なのかもはっきりとはしていないようで、お父さんはたまたまそんな飛行機に乗り合わせていたのだ。

 それが二年前の冬の出来事。


 こうして私は両親を失った。ヒロの両親の伝手で身元引受人は叔父と叔母が引き受けてくれたが、私は今住んでいる家から離れようとはしなかった。

 ここを離れればお父さんとお母さんを身近に感じることができないと思ったのもあるが、何よりもヒロの存在が大きかった。


 私のお父さんまでもいなくなってしまったと知った時、ヒロは私が部屋に入れることを拒んでも、ベランダから窓ガラスを割ってまで私の部屋に入ってきた。そしてお母さんと違って面識も多くないお父さんのために一緒に泣いてくれたのだ。

 その時私は気付いた。ヒロはどんな時も私の隣にいてくれると。


 そんなヒロと離ればなれになるなんて考えられなかった。ヒロまでも離れてしまっては、私は私でいられなかっただろう。

 だからこそ、使命感はあるのだろうけれど今でも私と一緒にいてくれるヒロには感謝してもしきれない程なのだ。ヒロが、ヒロだけが私の心の支えなのだ。


 ならば、私はこのままでいいのだろうか。


 本当はまだあの日のことを忘れられないのに忘れたように振舞って、ヒロが私のことで気を揉まないようにしている。それがヒロに対して失礼なことだと言うのは分かっている。


 だけど怖いのだ。

 しかし怖いのだ。自分のもっともっと深い闇の部分をヒロに見せることが。


 私の体は纏わりついた感情に引きずられてどんどんと地中深くに沈んでいく。これが私の心の闇なのだ。暗くて黒い、どこまでも果てがないような空間に私の体は沈み込み、この世界とは隔離されていく。

 それを自覚していながらも、私はどうしようもなく願ってしまう。

 卑しい程にいやらしい程に。

 こんな状況でもヒロなら、ヒロであればいつか私を救ってくれると祈ってしまう。


「――ハル! ハル!」


 こちらに向かって手を伸ばしているヒロが見える。もちろん幻覚なのだろうが今はそれでも、そこに映るヒロを愛おしいとしか思えなかった。


 そうだ。

 こんな風に、底の見えない真っ暗な水の中にもなりふり構わず飛び込んで、私を掬い上げて救い出してくれることを、私はずっと願っていたのだ。


「ハル! こっちだ手を掴め!」


 幻覚の中でヒロの声が大きくなり、伸ばされた手はだんだんとこちらに近付いた。幻覚だろうと考えるその手を、なぜか私は本物のようにしか見えなくなっていた。

 いや、これも私のとてつもなく途方もない願いが、私の感覚をおかしくしているのだろう、そんなことは頭の中では分かり切っている。しかし私は、地中深く沈んでいく私に差し出された手を拒むことはできなかった。


「……!」


 私が伸ばされた手を掴むと、ヒロもまた私の手を強く握り返してきた。そして手が離れないことを確認すると、ヒロは歯を食いしばって暗い水の中をぐんぐんと水面に向かって浮上しはじめた。


 そうして私は、深い地中の中からヒロに地面へと引き上げられたのだった。

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