第10話 秘密
池の前に降り立ったリュートはポケットに手を突っ込みながら、まじまじと池を眺めている。
僕もズボンについた砂を払って池を見ようとする。池は以前見たときと変わらず濁ってはいたが、しかし比べると今の方が少しだけ濁りが薄くなっていた。
「この池……」
視線は池に向けたままリュートは呟いた。
「この前見たときも濁っていただろ?」
「ああ」
僕が応えるとリュートは靴で地面を少し削って、砂と少し大きめ石を池の中に蹴り入れた。
入れられた石たちはめいめいに波紋を作って水の中に沈んでいったが、池の濁りは全く揺らぐ気配を見せずすぐに見えなくなってしまった。
「変だろ?」
その光景を見たリュートはまた石を池の中に入れては僕に尋ねた。
「……ああ」
普通なら水に入った石たちはその勢いによって水の中にある不純物をかき混ぜるはずなのだが、今入った石もそんな様子は見せない。むしろ池の濁りをただ通過しているだけのようだ。
池の中には泥など溜まっておらず何か、濁らせるようなものが池に覆いかぶさってるように感じる。
「ヒロの想像どおりこの池は泥が溜まって濁って見えているわけではない――ならどうして濁っているのか?」
リュートは石を入れるのをやめて、今度は僕を指差して尋ねた。少し黙ってヒントを待つがヒントをくれる様子がないことを見ると、これは僕が答えられる範疇ということなんだろう。
ならば、今までの会話を遡って考えてみるに答えは一つしかない。
「……魔力。その魔力ってやつがこの池に覆いかぶさっているんじゃないのか?」
僕が答えるとリュートは向けていた指を今度は上に立てた。
「だいたいは正解だ。覆いかぶさってるというより水面に魔力が張っている。ていうのが一番的確な答えなんだがな」
「張っている?」
僕が試しに近くにあった木の棒を使い池の水をかき混ぜてみる。すると水は棒が動くのに合わせて波紋を作っていく。しかし棒を抜き取った数秒後には波はすぐに静かさを取り戻していた。
なるほど、たしかに張っていると言えるかもしれない。だけどそれがリュートの不思議と直結するとは思えない。たしかにリュートは魔力と言う僕が知らないことを知っていたけれど、その魔力とやらは僕自身も可視化できているのだから僕たちは今まで気付かなかったというだけで、リュートはそれに気付いていたという話で片付いてしまう。僕が求めているのはそんなことではなくて、リュートと魔力や先程の巨人との関係なのだ。
そんな僕の思いが顔に出ていたのか、リュートは呟いた。
「そんなんじゃ満足できないって顔だな……」
「…………」
僕の無言を肯定だと受け取ったのか、リュートはわざとらしく咳ばらいをすると「よし」と言って続けた。
「さっきのは単なる前置きだ。やっぱりこういうのは回りくどく言うより結論から言った方がいいな」
「まったくだ。リュートはいつも回りくどいんだよ」
「そうだな――それじゃあ」
そう言ってリュートはまたも咳ばらいをした。いつも冷静なリュートがここまでかしこまっているのだ。きっと今からリュートが話そうとしているのは、リュートにとってそれ程に重要なんだろう。
「ヒロ、俺はこの世界とは違う『異世界』から来たんだ」
「は?」
いせかい、イセカイ、異世界?
つまりリュートは異世界から何らかの方法でこっちの世界に来てしまったということなのだろうか、そうだとすれば先程起きた信じられない光景も、リュートが言う魔力のことも全て納得はいく。
何となく予想はしていたのだが現実味がなさすぎて候補から除外していたのだけれど、そんなことが本当にあるのか。
こんな。
「ヒロからしてみれば可笑しな話で信じられないかもしれないけど――」
「異世界転生ってやつか!」
「どうしたヒロ」
「ちょっと待ってくれ、いま頭の中を整理してる」
僕の脳内にはこれまで読んできた転生モノライトノベルが駆け巡る。そのため込んだ知識がこの状況に身体を順応させようと、今までのリュートとの会話全てが異世界使用に転換されていく。
「……もういいか?」
僕が落ち着いて来たのを見計らってリュートが僕に訊いた。僕はもう準備万端だ、今ならリュートが話すこと全てを飲み込める自信がある。
「ああ大丈夫だ。なんでもこい」
「そのなんだ異世界転生っていうのか、まあそんな感じに近いな俺はこことは違う世界に住んでいた。それが最近こっちの世界に転生してしまったんだ」
「その言い方だと向こうの世界で死んでこっちに来た、とかじゃないのか?」
「死って、そんなわけないだろ。そもそも死んだらもう人生は終わりだよ」
なるほど、つまりリュートはあちらの世界で生活していると何らかの方法でこっちにワープしてきたってことか。
「どうやってこっちに来たんだ、そんな魔法みたいなのがあるのか? というかリュートの世界とこっちの世界はもともと繋がってたりするのか?」
僕がリュートの方に詰め寄りながら問いただすと、僕が近づくにつれてリュートは一歩ずつ下がりながら答えた。
「そんな魔法があるのかどうかは知らん。こっちと繋がっているのかもだ。だけどどうやってこの世界に来たのかだけはわかる」
その言葉で僕はリュートに近付いてく足を止める。
「どうやって来たんだ?」
僕が訊くと、リュートは踵で地面を蹴って砂を池の中に入れた。
「この池だよ」
リュートの言葉に僕の視線は池へと引き寄せられる。たしかにその池は人ひとり位ならば入ることは可能な大きさだ。しかしそれがこちらとあちらを繋ぐのと言われれば、おいそれとは信じがたい。
「本当にこんな池が違う世界を結んでいるのか?」
池から視線を外しリュートの顔を見上げる。リュートは顎に手を当てて少し黙ったあと首を横に振った。
「そうじゃない。ただその役割を果たしただけだと、俺は勝手に思っている」
「役割を果たした?」
「俺の世界では大きな湖だった」
「え?」
「湖に魔力の乱れを感じて近づいてみたら、いつのまにかこの池の前にいたんだ」
湖に近付くとこの池にワープしていた。
「……ぷっ」
「どうした、何を笑っているんだ?」
想像してみると笑いが込み上げてきた。
「だってそうだろ、湖にいて気が付いたらここにワープしてたって、それってつまり湖に落ちたってことじゃないか」
「そ、そんなわけないだろ!」
僕がからかうように笑いかけるとリュートは珍しく焦るようにしている。もしかしたら恥ずかしがっているのかもしれない。
「けどつまりそういうことだろ」
「違う。近づけばワープする仕掛けがあったかも知れないだろ」
「恥ずかしがんなくてもいいって」
「別に恥ずかしいわけじゃない。事実と違うから否定しているだけだ」
湖に落ちてこっちにワープするリュート、水の中から出てくるリュート、一体どんな風に湖に転び落ちたのか非常に興味深い。
いや、でもまてよ。
「だとしたらどうして僕はワープしてないんだ?」
僕の呟きにリュートは少し赤らめた顔をかき消して真剣な顔持ちになって「そう」と言った。
「そこがどうしても引っかかるだろ。その答えがこれだよ」
そうしてリュートが見たものを僕も同じように見つめた。
例の池だ。
「この池が……?」
「魔力が張っているって言っただろう。本来は揺蕩っているはずの魔力がワープした途端に濁り出した。だから――」
リュートの言葉を引き取って僕が代わりに応えた。
「リュートは元の世界に帰れない、のか?」
「まあそんなところだ。これでも結構困っているんだぜ」
いつも冷静なリュートが僕にだけ話すようなことだ。困っているという言葉は本当なんだろう。
そんなことを話してもらえるようになったことには嬉しさを感じるのだが、逆に今まで話すに隠されてきたのだと思うと、悲しくもなる。
よく僕は人の事情に首を突っ込みすぎだ、と言われるけれど本当にそれは駄目なんだろうか。人が悩み困っているんだそれを助けることの何が悪いんだろう。
と、こんな話を一度リュートにもしたことがあるのだが、その時はなんと言っていたんだったか。
リュートは池の前から離れると僕に向かって手を差し出した。
「ヒロにこれを話した上で頼みがある」
「頼み?」
「俺とはこれ以上関わらないでくれ」
「え?」
あまりに唐突な言葉が僕に向かって飛びかかってきた。
どうしてそうなるんだ。大切な事を僕に話してくれたと思ったのに、それではまるで僕を敬遠しているようじゃないか。
リュートは手を差し出したまま一歩僕に近付くとまた話し出した。
「これは、ヒロを信用していないから言っているんじゃない。信頼しているからこそお前に伝えたんだ。そもそも俺の世界のことをこの世界に住むヒロが関わること自体がよくないんだ。何か障害も起こるかもしれない」
「だから……」
気弱になった僕の言葉を今度はリュートが引き取った。
「だからヒロに、この世界にそんなことが起きないように関わってほしくないんだ。別に話し掛けるなとは言わない、いつも通りしてくれていい。ただ俺が帰る方法を探していることには首を突っ込まないでほしいんだ」
とうとうリュートは頭を下げて僕に懇願してきた。
こんなリュートは見たことがない。きっとそれ程に重要で大切なことなんだろう。そう考えてしまうと、僕の好奇心をもってしても食い下がることはできない。
「顔を上げてくれよリュート」
リュートの頭が上がったのを見てその手を掴もうとしたとき、どういう訳か僕の脳内には今朝ハルとの会話がフラッシュバックされた。
――人の顔は正面からじゃないと見えないよ
ふと、リュートの顔を覗き見る。
いつも通りの冷静な顔だと思っていたが、よく見てみると必死で焦っていて困っているようにも見える。
そうだ、リュートは必死なんだ。自分の為でもあるのだろうし僕らの為でもあるんだろう。だからこそ大切なことを僕に話してくれた。僕らのことを考えて僕が関わらずにいることを頼んでいるんだ。
そんな必死に生きている奴が頼んでいるのに僕はやすやすと手を引けるのか?
僕の中に一つの
「いや……やっぱり駄目だ」
僕は途中まで伸ばしていた手を引っ込める。
それを見たリュートは困惑した顔で僕を見つめた。
「どういうことだ?」
「やっぱおかしい、リュートが言いたいことは理解できる。でも友達が困っているんだ、それを助けようとしないなんて僕はできない」
「だから、ヒロには関係ないことだから関わるなって言ってるんだ」
「……それだよ。関係ないとかそういうのじゃないんだ。いま大事なのは関係あるとか関係ないとかじゃないんだ。僕がリュートを助けたいんだよ」
僕が言い切るとリュートはため息をついて天を見上げたかと思うと、今度は僕に睨みつけるように鋭い眼光を送ってきた。
「ヒロ。はっきり言うと邪魔なんだ、これは本当に大事なことで誰にも邪魔はされたくないんだよ」
その気迫に剣幕に気圧されそうになる。だけど僕は、むしろ一歩近づいて右手をリュートに向かって突き出してやった。
「だったら僕と縁を切ったってかまわない。だけど僕は勝手に君を助け続ける。いくら邪魔だと思われても、リュートが僕を嫌っても、絶対にだ。それが嫌なら僕に言ってくれ」
リュートは助けを望んでいるんだ。これは僕の勝手な想像なんかじゃなくてリュートから伝わる本当の感情だ。待ってろリュート、助けてやる。
君が助けを呼ばなくたって助けを拒んだって行ってやる。僕の方から言ってやる。
「いいから僕を手伝わせてくれ」
僕の手をまじまじと見つめるとリュートは一歩近づいて、差し出している自分の手をさらに主張させてきた。
「いいかこれが最後だぞ、俺とは関わるな。これはお前とは関係のないことでお前が関係しちゃいけないことなんだ」
そう言って手を強く押しだすリュートだけど、僕はそんなリュートにも負けない口調で言い放つ。
「こっちこそこれが最後だ、リュートだってわかっているんだろ。僕はもう知ってしまったんだ、リュートが縁を切ったって僕は止まらない」
きっと僕がここまで人のことで本気になるのは初めてだろう。その気持ちに興味と言う言葉が入らないと言えば嘘にはなる。だけど本当にリュートを助けたい。困っている友人を助けたいという思いは決して偽りではないんだ。
強くリュートを睨みつける。するとリュートは出していた右手を自分の肩の後ろまで引いた。まるでこれから平手打ちをするかのようだ。
そしてリュートの右手が振り下ろされた。
パンッという音を立てて僕の出していた右手はリュートの右手によって弾かれた。
「そうだな、たしかにヒロだったら知った時点で手を引くわけないよな……ヒロの好きにしてくれて構わねえよ」
「リュート!」
近づこうと歩を進めたが、リュートが僕の顔の前に人差し指を立てたせいで、僕の体は途中で静止した。
「ただし、俺が言うことは絶対だ。ただでさえ関係のない人間を巻き込むんだ、絶対に勝手なことはするんじゃないぞ」
「ああ、当たり前だ」
そう言ってリュートと肩を組みに行こうとするが、リュートはさっさと踵を返して行ってしまった。
歩いていくリュートに追いつき横に並んで歩いた。
「まったく素直じゃないな。最初から僕に手伝うように言えばいいのに」
するとリュートは歩きながら足元にある石を蹴って不満そうに言った。
「そうじゃない、ただヒロが一人で勝手に行動するよりは俺の眼が届く範囲にいてくれていた方がいいと思っただけだよ」
そう言って石を蹴るリュートを横目に見ながら、僕は笑って学校を後にした。
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