第9話 魔力

 掲げられた拳を眺めながら、僕は「まずい」とか「危ない」とかそんな風に考えはした。考えたのだが僕の体は全く避けようとも逃げようともしなかった。

 恐怖なのか、見入ってしまったのか或いはその両方かもしれない。僕は何をすることもなくそこに立ち尽くしていた。


 拳が振り下ろされそうになった時、ようやく僕の体は反射的に動き出した。

 後ろに下がろうとするが、足が絡まって上手く下がれない。しまいには勢いを御しきれないまま尻もちをついてしまう。


「やばい……死ぬかも」


 せめてもの抵抗として顔の前で両手を交差させる。


「…………」

 しかし、いつまでたっても巨人の拳は僕に振り下ろされることはなかった。だがその代わりに僕の腕には妙に生温かな雫が垂れてきた。


 まさかと思い交差させた腕をゆっくりと解いてみると、巨人はたしかに腕を振り下ろしていた。けれどその腕は肘辺りから下は見事な切断面を残して切り落とされていた。


 僅かな気配を背中に感じてほのかな期待を乗せ振り返ってみる。

 するとそこにはリュートが剣を片手に立っていた。


「リュート!」


 その姿を見たとたんに体の底から力が沸いてきた。今まで動かなかった足が動くようになり、ゆっくりだった足取りは力強くリュートの方へと向かって行った。

 僕が近づいていくと、リュートはため息交じりに呟く。


「……嫌な予感がして来てみれば、やっぱりこうなったか」

「どういうことだ。それにその剣みたいのも」


 尋ねるけれどリュートは答えずに剣を握りなおし、またため息をついた。


「とりあえず、ここは俺に任せてヒロは下がっとけ」

 物語の主人公みたいなリュートの台詞に笑ってしまいそうだったけれど、ここはリュートの言葉に体が勝手に従った。


 僕はおとなしくリュートの後ろ側へと逃げるように回った。巨人は切り落とされた痛みが相当大きかったのか左手で腕を掴んでいる。しかし闘争心は依然として、むしろ痛みによって焚きたてられたかのように思える。


「大丈夫なのかよリュート」

 リュートの背中に向かって放つと、リュートは振り向きもせずいつも通りの冷静さで応えた。


「今なら魔力も戻っているし、これくらいは一瞬だ」

 魔力とか何を言っているのか全く分からないが、いつも冷静なリュートがやけに自信満々なことは容易に想像できたし、その自信を僕は全身全霊をもって信じることができた。


「それじゃあ――」


 僕が言おうとしたその時、リュートは既に巨人の方へと駆け抜けていった。

 巨人とあった距離を一瞬で走破しリュートは片手に持った剣を両手で強く握りこむ。


 リュートが来たのを察知した巨人は今まで切断された腕を痛がっていたが、本能的に危険を感じたのか迎え撃とうと、残っている腕を振り上げている。

 しかし、リュートはそんな拳など気にする様子もなく巨人の足元に向かうと、走った勢いのまま両手で握った剣を巨人の右足目掛けて横凪よこなぎした。


 すると巨人の右足は左腕と同様綺麗に切り落とされ、バランスを崩した巨人は倒れこみ残った右手と左足だけで四つん這いになっている。


 それをリュートは無残にも巨人の首元に近付いていき、今度は剣を片手で上げるとその首目掛けて振り下ろした。


 こちらからはあまり力を入れているようには見えなかったのだが、先に切った腕や足といいあの剣はよほど切れ味がいいのか、首の方も真っすぐな断面を残して落とされた。


「終わりだな」

 リュートがこちらを振り返る。宣言通りリュートは一瞬にして巨人を倒してしまった。


 顔に付着した巨人の血を指で擦りながらリュートが近づいて来る。その姿に僕は一瞬恐怖を感じてしまった。


 だが同時に思い出した。

 僕に恐怖と興味を与えてくれる謎の生物も、それに立ち向かうリュートの後ろ姿もそしてその後に感じるこの僅かな恐怖さえも、僕は一度感じていた。

 そうあの廃ビルで。


「リュートお前、あの廃ビルの時にも」

「やっぱ思い出しちまったか……若干記憶も残っていたし仕方ないか」

 リュートは頭を掻きながらまたため息を吐いている。


「リュートは何者なんだ。今の巨人も前の狼もリュートが持ってる剣も、普通じゃないぜ」

「……そうだな、それを説明するなら一旦場所を移動するか」


 そう言ってリュートは窓の方へ向かうとカーテンを開いて窓を開けた。


「移動ってこの巨人はどうするんだよ。床も血だらけだ」


 僕が訊くがリュートは依然として冷めた様子で部屋を見渡すと僕を指さした。


「ヒロも見ただろ、あいつらは瘴気が集まって具現化しているだけなんだ。それにこの世界じゃ魔力が薄すぎて死んじまった時点で原型は留められない」


 魔力、魔力ってなんだ。あの瘴気のことを魔力と言うのだろうか。

 僕が首をかしげているとリュートは「たとえば」と言って手に持った剣を指さした。


「これも魔力で作っていて実際に物があるわけじゃない。俺が魔力で支えているから形が留まっていられる。だけど――」


 リュートは突然持っていた剣を僕の方に投げてきた。剣は空中でくるくると回りながら僕へと近づいて来る。

 慌てて後ろへ下がるが、剣は僕の元へ来る前に空中で蒸発したかのように消えてしまった。


「俺が魔力で剣をコーティングしなくなると剣は消えてしまう」

「この地球は魔力が薄いから?」


 ついさっきリュートが言っていたことを思い出して尋ねる。


「そう、こうやって話してるあいだにも」


 話しながらリュートが倒れている巨人の方を見た。それに釣られて僕もそちらを見る。すると巨人は既に切り落とされた右腕と左足そして首が消えてしまっている。


「また瘴気が集まったりはしないのか?」

「それはない、とは言い切れないな。瘴気も魔力もいつでもどこでも勝手に溜まるってわけじゃないから……まあその話は場所を変えてからだな。そっちの方が説明しやすい」


 そう言うと、リュートは開いた窓の格子に足を乗せて僕に向かって手を伸ばした。


「何をするつもりなんだ?」

「いいから来いって、こんな体験は普通に生きてちゃ二度とできないぜ」


 少し不信感を覚えたがリュートの言葉の響きが僕の耳にはあまりにも心地よく、僕はリュートの方へと駆けよっていく。


 伸ばされたリュートの手を取ろうとしたが、リュートは僕が手を取る寸前で手を引っ込めて僕の首根っこを掴んだ。そしてそのままリュートは僕を脇に抱えると窓からさらに身を乗り出した。


「おいリュート一体何を――」

 僕が言いきるより早く、リュートは窓から飛び降りた。


 いや、正確には飛んだ。跳躍して屋上まで行ったかと思うと、リュートはさらに跳躍し屋上にある貯水タンクの上へと着地。そしてさらに大きく飛び跳ねると、今度は校舎と校舎の間がすれすれの空を急降下した。


「…………!」


 今まで体験したことのない恐怖で全身に鳥肌が立つ。一度これを体感してしまうと世界中にあるどんなジェットコースターだって一度も瞬きせずに乗れてしまいそうだ。

 急降下する僕たちの体は徐々に速度を上げていく。それと同時に地面との距離も近づいてきた。

 だんだんと近づく地面に慌ててリュートを見るが、リュートは全く怖がった様子を見せない。むしろこのスリルを楽しんでいるかのように思える。


 そしてあと少しで地面に着くというところで、リュートは僕を抱えたまま空中で一回転をすると見事地面に着地した。


 着地したと同時にリュートが僕から手を放して、僕の体は地面に落とされる。着地した時の砂ぼこりで辺りはよく見えないが、この場所は急降下している時から何となく見覚えがあった。あの空から見た校舎と校舎の狭さ。今じゃもう忘れられてしまった小さな池が脳裏に浮かんだ。


 段々と砂ぼこりが消えていき視界がクリアになっていく。そして完全に晴れた視界には僕が予想した通りあの小さな池があり、リュートが一人池を眺めて立っていた。

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