第17話 それっぽい言葉でそれっぽく
「私のヒロに近づかないでくれる?」
言い澱むことなど一切なく、硬い決意を持っているかのように、目の前の彼女――ハルは言った。
「…………」
よくヒロから反応が薄いだの、冷めているだの言われるが、俺自身は別にそういった人間ではない。
しっかり反応はしているし、関心だって持つ。ただ少しだけ前面に出ないだけなのだ。
ただ、この瞬間だけはどうだろうか。もしかしたら俺はいま驚きのあまりに呆けているのかも知れないし、やっぱりいつも通りかもしれない。
自分の顔は自分では見れないのだ。
しかし、この時ばかりはやはり、反応できなかったと説明する方が的確だろう。
「私さ――」
俺が反応しないためか、ハルがまた呟き出した。
「三歳の時からヒロを知ってるの、ヒロが私の足に石を当てたのがきっかけ。その日から私はずっとヒロと一緒にいた。ヒロと一緒に幼稚園に行って、ヒロと一緒に遊んで、ヒロと一緒にお風呂に入って、ヒロと一緒にご飯も食べて、ヒロと一緒にお泊まりもした」
次々にハルが捲し立てている。その口調は段々と早くなってきているように思えた。
「それが、どうかしたのか」
「別に、どうもしないけど。ただ知って欲しかっただけ。私がヒロとずっと一緒にいたってこと」
ハルは相変わらず笑顔を消したままこちらを見据えている。その表情には緊張しているのか、はたまた真剣になっている証なのか、汗が額に浮かんでいた。
「揚げ足取るようだが。たしかヒロとは中学校の何年間かブランクがあったはずなんじゃないのか?」
俺の言葉に意外にもハルは無反応だった。むしろ落ち着きを感じているような気もする。
「それがなに。それで私とヒロの仲に隙間なんてできない。ましてや、突然やってきたあなたが這入る隙間なんてないの。あなたは突然やってきたくせにヒロと仲良くして、ヒロと一緒に帰って、それだけじゃない。あなたと関わってからヒロは変になった。昨日も夜遅くに出歩いていたし、ヒロがあなたと私の知らない事をしているのは知っているから」
またハルの口調は早くなった。どうやらかなり興奮しているようだ。
「それが、どうかしたのか?」
「だから、どうもしないって言ってるじゃん。ただ私は今までみたいにヒロと一緒にいたいだけ。ヒロが変わらず私の隣にいて欲しいの。そのためにはリュート、あなたは邪魔なの」
「…………」
早口になった口調を戻すためか、ハルは呼吸を整え、またもう一度息を吸い込んだ。
「だからリュート、私たちが普通の日常に――日常編に戻るために、私のヒロに近づかないで」
俺を指差す人差し指は真っ直ぐに、まるで関節がなく芯が通ったように伸びていた。
「…………」
「…………」
俺とハルの間に僅かな沈黙が訪れた。
ハルは今なにを考えているのだろう。先程放ったハルの言葉は本心なのだろうか。
そして、以前ヒロが危惧していたように、ハルも化け物が見えていて俺が異世界から来た、と勘づいているのだろうか。
「おい――」
「なあんて!」
沈黙を破ろうかと思い吐き出した俺の言葉は、ハルによって遮られた。
そうした時のハルの顔はいつも通りの笑顔で、屈託もなければ裏もない、ただ本心からの笑みのように思えた。
「いま時じゃあ、こんなヤンデレ系は好かれないよね!」
どういう意味だろう。そもそもヤンデレとはなんだろうか。
「どういうことだ、さっきの言葉は」
「さっきのは全部冗談だよ。私、ヒロが好きなタイプを探ってはその練習してるから」
「つまり、そのヤンデレとかいうのが、ヒロが好きなタイプなのか?」
俺がそう尋ねると、ハルは俺の顔をまじまじと見つめると、お腹を抱えてケラケラと笑い出した。
「ヒロが!? ないない!」
「……そこまで笑うことなのか?」
「だってヒロは王道系な優しいヒロインか、ツンデレ系が好きなんだもん!」
随分と知ったような言い方なのが少し気にかかったが、たしかに頷ける。
今朝ヒロに貸してもらった本も、ヒロインはツンデレ(定義は分からないがヒロがそう言っていた)だった。
「じゃあ、ハルはヒロの好きなタイプになろうとはしないのか?」
「私が?」
小さく頷いて返答を待った。
「それはないかなあ」
「どうして、ヒロが好きなんじゃないのか?」
単純な疑問をぶつけたつもりだったが、しかしハルは驚いたかと思うと、頬を赤く染めた。
「あれ、私ってそんなに顔に出てたっけ?」
ヒロへの感情を俺に知られていたことがよほど恥ずかしかったのか、ハルは顔を隠すように俯いている。
「さあ、他の奴らの前では知らないが、ヒロの前だとわかりやすいぞ」
「強気でいくのは二人きりの時だけって思ってたのに……」
なるほど、そうだったのか。
どおりで学校の奴らは望みもないのにハルのことを好きになっていたのか、俺はハルとヒロが相思相愛だというのは周知の事実だと思っていた。
「だったら、どうして告白しないんだ?」
先程ヒロにも言ったセリフをハルにも言った。
きっとハルはヒロもハルを想っていることは知っているはずなのに、どうしていつまでも告白しないままでいるのか。
「しないよ。だってヒロは私のこと本当に好きじゃないもん」
「いや、好きだろ。まさかお前まで鈍感みたいなオチじゃないだろうな」
「うん。それは分かってるし、もし私が告白したらヒロは涙を流しながら了承すると思う」
そこまで言うのか、こういう人気者はやはり自分のルックスには自信を持っているんだな。
「でもそれって、ヒロが本当の私を知ってるってことじゃないんだ。ヒロは『周りから評判の良い
「本当のハル、ね」
なんだかよく分からないが、随分と安っぽい言葉のように聞こえる。
「そう」
「例えば、どんなものが本当なんだ?」
そう訊くとハルは顎に手を当てて思案顔になった。
「……さっき、私がヒロに想われているってことを当たり前に感じてるの見て、ちょっと幻滅したでしょ?」
「まあ、少しは……」
そう思われているの知っていて発言していたのか。どれだけ気が強いんだ。
「いま、私のことどんだけ気が強いんだって思ったでしょ」
「どうしてわかったんだ」
「それも本当の私だから。本当の私は極度の自信家で気が強くて負けず嫌いで――そうそう、私って実は嘘ついたりするの得意なんだ」
「嘘をつく?」
確かに、先程の発言は完全に本心からの言葉だと思っていたし、表情や声のトーン、話し方など嘘を言っているようには見えなかったが。
「嘘って言うか、思わせぶりっていうか。それっぽいこと言うのが得意なんだ」
「そうなのか」
俺が言うと、ハルは突然人差し指を俺に向けたかと思うと「そういえば」と自信満々といった表情で話し出した。
「カフェオレとカフェラテの違いって知ってる?」
「いや、知らないけど」
今までの会話と何の脈絡もない内容だったが、突然向けられた質問につい何の考えもなしに答えてしまった。
「あれって、製造過程でコーヒー豆を粗挽きにするか、全部磨り潰すかの違いなんだって」
「へえ、そうなのか」
素直に応えると、俺に指を向けていたハルはその指をプルプルと震わせて笑っていた。
「ね、それっぽく聞こえたでしょ?」
言われて気付いた。なるほど、ハルはそれっぽく言うのが得意と言うのを、実演していたというわけか。
「本当はオレがフランス語でラテがイタリア語で、それぞれミルクって意味なんだよ。だからどっちも同じ意味なんだ」
「それも『それっぽい』だけなのか?」
疑わし気に俺が訊くと、ハルは一度きょとんとしたかと思うと口の端を上げた。
「さあね…………あっ」
「どうした?」
にやけていた顔から一変、ハルは眉を内側に寄せてきょろきょろと周りを見渡し始めた。さっきから表情と言い行動と言い忙しい奴だ。
「ヒロが近づいてきている気がする」
「ヒロ……?」
言われて、昇降口の方を振り返ってみると、こちらに向かって走ってくる人影が一つ見えた。その人影も俺たちのことを視認したのか、見かけた途端に走りながら手を大きく振っていた。
「ごめん、遅くなった」
そう言いながらヒロが俺たちの元に到着した。かなり急いで来ていたようで、制服に汗が滲んでいる。
「いいよ、リュートと話して時間潰してたし」
「そうか、それはよかった。リュートとは仲良くなれたのか?」
「そりゃあもちろん。いつもヒロと一緒にいるもの同士意気投合できたよ」
ヒロの奴、俺は先に帰ると言ったのにハルといたことを不審に思っていない。
おおかた教室から俺たちが話していたのを見ていたのだろうけれど。だとしたら、あえて遅く来たと考えられなくもない。
まったく、余計なことをする奴だ。
「そんなことより早く帰るぞ」
それだけ言って俺は先に歩き始めた。後ろから二人が何か話しながら着いて来るのが何となくわかる。本当に仲の良いことだ、早く付き合えばいいのに。色々と言ってはいるが、結局二人とも勇気がないだけなんだろう。
それをあえて言ってやる義理はないけれども。
とまあそんなことより、俺はいまだにハルへの疑問が消えているわけではない。
ハルもまた化物を見ることが出来るのかどうか、それについての答えはまだ出ていない。もしかしたら見えているけれど、例の「それっぽい言葉」で隠しているのかもしれない。もしくは、見えるがまだ見たことがないのかもしれない。
どちらにしても面倒なことには変わりはないが、どちらにしたって早々に手を打たなければいけないのも変わりないのだろう。
これからのことを思うとかなり気が重くなる。
「はあ……」
ため息をつきながら俺はアーケード街へと入って行った。その時、例の廃ビルから微量な魔力の乱れを感じたが、まだまだ化物になるには時間がかかりそうなので、今日のところは放っておいて俺はさっさと家に帰ることにした。
その日の夜。
俺は、神サマに出会った。
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