第34話 愚かでも正しい道を

「ああ、ようやく来たか……歓迎するよ」


 僕らの来訪に気付いたジンは顔だけこちらに向け、きりりと口の端を吊り上げた。


 ジンはハクとは違ってどこか近寄りがたい雰囲気がある。物静かで寡黙な、どこまでも見透かしているような表情は、どこか恐ろしくもある。

 しかしハクが言うには、ジンはただの朴念仁というわけではないようで、心さえ開けばむしろ鬱陶しい程に親しんでくるらしい。


「あの――」


 僕の言葉を遮ってジンは卓から降りると、今度はその卓の上に座った。


「君たちも楽に腰かけてくれ」


 そう言われて周りを見渡すも腰掛ける物など一つも見当たらない。もしや地面に座れとでも言うのだろうか。

 僕らが戸惑っていることに気付いたのか、ジンは「そっか」と呟くと、座っている卓を手で叩いた。


「……ハク、ここの机を運んでくれないか?」


 指示されたハクは明らかに不満を顔に出すと、口先を尖らせた。


「なんでうちが……」

「そこをなんとか、俺には出来ないけれどハクなら簡単だろ?」

「…………」


 ジンがもう一度「頼む」と懇願すると、ハクはため息をついて腕を前に伸ばした。

 すると、ジンの座っている卓から三つデスクが引き抜かれて宙を舞う。浮かんだデスクは僕らの前に感覚を空けて置かれた。ついでに卓の奥にあった一人掛け用のソファが卓の横にデスクと同じように宙に浮いて移動した。


 あまりに超常的すぎる現象に絶句していると、隣でジンが耳打ちした。


「本当にこんな奴らに俺は助けてもらったのか?」


 囁くようなその声に、僕も小さく頷いた。

 一人用ソファを置き終えると、ハクはそれに座りに向かった。僕らもジンに倣って眼前に置かれたデスクに腰掛ける。


 ソファへと向かったハクは、眠りの浅い状況で起こされたからなのか、ソファに沈みこむとそのまま目を閉じて眠ってしまった。

 僕らが座ったことを確認すると、ジンは「さて」と切り出した。


 僕らの間に緊張が走る。


「話す準備は整ったな。まずは俺のことだけど……リュートは覚えていないか?」


 視線を向けられたリュートはゆっくりと首を横に振った。


「ああ、正直に言うと記憶は曖昧だ」

「そうか、じゃあまずは自己紹介が必要か――俺はジンと言う、そしてこっちの少女がハク。君は俺たち二人に助けられた。ここまではいいか?」

「助けられたのは何となく覚えている……」

「なら大丈夫だ、さっそく本題に入ろう。君も当然分かっているとは思うけれど、俺たちは――」


 言いかけていた言葉をリュートが引き取るように遮った。


「異世界から来た」

「せいかい。そして俺たちが君に接触したことには理由がある。何かわかるか?」

「…………いや」


 答えられずに黙っているリュートを催促するでもなく、ジンは淡々とまた話し始めた。


「俺たちはね、君のこの状況を打破する方法を教えてあげようと思っている」

「状況を打破……」

「解決と言ってもいい」


 そのあまりに甘美な響きにリュートはすぐさま食いついた。


「一体どうやって……?」


 リュートの反応に満足したジンは顔にまたにやけ面を浮かべて、こちらに見えるよう指を二本立てた。


「方法は二つある。まず一つ目……」


 ジンは顔の前に立てた指を一つ折った。


「……これはとてもシンプルだ」

「何をするんだ?」

「何をする、か……そうだな、強いて言うなら何もしない」

「何もしない?」

「そう、俺たちのようにこの世界に永住すること。それが一つ目の解決策だ」


 落ち着いて発せられたその声に対しリュートは逆に語気を強めた。


「それのどこが解決策になる」

「いいや、これが結構真面目な解決策なんだ。君が戻ろうとしないということは、無理にあちら側にアプローチを掛けないということになる。それはつまり相互不干渉ということになって次第に状況は収まっていく。これは同時に君の友達が傷つくことが最も少なくなる選択でもあるんだ」


 言い終えたジンは、手に顎を乗せてリュートを見た。


「だが、帰らないってことは。つまり……」

「この解決策は、俺が最もお勧めする解決方法であり、俺たちが唯一手伝ってやる解決策でもある。俺たちの力を貸すことの重大さは君ならよくわかるんじゃないか?」


 暗に決断を催促させているジンに対して、リュートは冷静だった。

 少しだけ思案顔になるとリュートは言った。


「二つ目の解決策を言ってみてくれ。それを聞いてから決める」

「君がどのようにしてこの世界に飛んできたのかは、ハクが調べてくれてなんとなくわかった。君がやろうとしていたことも、だ」

「それが、どうしたんだ」

「だから、それだよ。二つ目の解決策は君の今やっていることの継続さ。だが、こちらの場合なら俺たちは手を貸さない」


 顔色一つ変えずに淡々と言葉を吐くジンに、これまで黙って話を聞いていたハルが、突然立ち上がって言った。


「どうしてですか……?」

「ん?」

「どうして、力を貸してくれないんですか。リュートが困っていることを知っているのに、どうして力を貸してくれないんですか?」


 口調は実に穏やかだが、その裏にハルが静かに怒りを持っていることが傍からでもわかった。しかし、それを咎めようとは思えない。

 なぜなら、明らかに前者を選ばせようというジンの問いかけには、少なからず僕も腹が立っているのだ。


「俺だってリスクは負いたくない。怪我をする危険を冒してまでリュートを助けてやる義理なんてない。そういうことだ」


 その言葉に、僕も居ても立ってもいられず思わず立ち上がっていた。


「どうして、そんな理由をつけてまで助けようとしてくれないんだ」

「言っただろ、そこまでする義理はない」

「義理はなくたって、困っているやつは助けるもんじゃないのか?」


 そうやって反論してやると、ジンはわざとらしく驚いてみせた。


「君はそれができるのか、その感性は大事にした方がいい」

「ジン、お前はどうしてそう……」

「別に嫌味を言っているわけじゃない、リュートがここに居残ることは君たちの安全でもあるんだぜ。君たちはまだ危機感がないみたいだから、わからないかも――」

「そんなことは知っている!」


 ジンの言葉を遮って僕は続ける。


「リュートに関われば僕らが危ないってことは知っている。けど、それでも危なくならないようにして、リュートの力になりたいって思っているんだ!」

「力になりたいけれど、危ないリスクは背負いたくない、か……やっぱり、なんの危機感もないじゃないか」


 ジンは嗤うような、けれどどこか冷めたような表情をしてこちらを見ている。


「な……」

「俺はむやみに誰かを巻き込んで、怪我をさせたり死なせたりしたくない。一番リスクが少ない道があるのならそれを選ぶべきだ。君たちはこの状況の危険性を何もわかっていない」

「わかっている。どれだけ危険かってことは体で知ってわかっている」


 僕の反抗する勢いは段々と強くなっていく。

 しかしジンはそんな僕を見て、むしろ冷めていくような眼差しを向けた。

「だからわかっていないんだ。誰かが死んでからじゃ遅い、誰かがいなくなってからじゃもう失敗なんだよ……人なんて、とても簡単に死んでしまうんだから。自分の所為で誰かが死んでしまったことなんて、一度もないんだろ?」

「それは……」


 口籠る僕に追い打ちをかけるようジンは続ける。


「君が死んでしまったことの罪悪感は、一体誰に向かうと思う?」

「…………」


 リュートのために力になることを決めたはずだった。だけど、僕は今揺らいでいる。

 ハルには危険な目には合わないようにと約束したけれど、だからと言って僕がまた死ぬ危険に襲われないという保証はない。

 一度はリュートが関わることを制止してくれたのに、それを振り切ってまで首を突っ込んで、それで死んでしまったらどうだろう。

 その罪悪感はきっとリュートの心を蝕むことになるのだ。


「――迷わないで、ヒロ」

「……え?」


 隣のデスクにいたはずのハルがいつの間にか僕の隣まできていて、さらに僕の手を握っていた。


「どんなに安全だってわかっていても危険なんて拭えないから、より危険な道を選ぶことは確かに愚かだけど……でもヒロ、あなたの選んだ道は絶対に間違ってない」

「ハル……」

「だから迷わないで、ヒロ」


 そうだ、その通りだ。

 危険で無謀なのかもしれないけれど、僕がすることはきっと間違っていない。元の世界に帰ろうとするリュートの力になることは決して間違いなどではないのだ。


「…………いいね、それ。たしかに友人のために危険を省みないことは間違ってはいない。けれど、根本的な解決にはなっていない」


 ジンは全く変わらない調子で言い続けている。そのジンに反撃したのは意外にもハルだった。


「ジンさん」

「どうした、ハルちゃん」

「大事なのはリュートの意見です。私たちが何を言い合っていても、私はリュートの意見に従うだけです」

「なるほど……じゃあそうしよう。リュート、君の意見を聞かせてくれ」


 全員の視線が一斉にリュートへと注がれる。

 しかしリュートは、迷う素振りを一切見せず強い口調ではっきりと言った。


「俺は、元の世界へ戻る」

「リュート……」


 しっかりと意思を示したリュートの横目にジンを見る。

 しかし、ジンはこれと言って悔しがっている様子もなく、ただこの状況を受け入れたように平然としている。


「そうか、君がそう決めたのならそれでいい。頑張ってくれ」

「本当に助けてはくれないんだな……」

「ああ、そのつもりだ。俺たちにもしなくちゃ駄目なことがあるからな」

「そうか……」


 座っていたデスクから腰を上げてリュートが立ち去ろうとする。

 だがジンが呼び掛けたことで、進んでいくリュートの背中が止まった。


「ちょっと質問していいか?」

「……なんだ?」

「本当に大丈夫なのか?」

「…………」

「ハクから生まれてくる魔物がだんだんと強くなってきていることを聞いた。本当に君で大丈夫なのか?」


 振り返ったリュートは怪訝そうにジンを見据え、ジンは笑顔友とれない微妙な顔つきでリュートを睨んでいる。


「な、なあリュート、リュートなら大丈夫だよな?」

「…………」

「君は、魔物と戦って君の友達を守れるのか?」

「……やれるだけのことはやるつもりだ」


 短くそう応えるとリュートはエスカレーターの方へと向かって行った。

 その背中にジンがまたも投げかける。


「なら頑張れ」


 リュートは何も応えずに真っすぐとエスカレーターへと向かう。

 それを追って僕とハルもその場を後にした。廃ビルを出るとリュートは既に歩き出していて、もう曲がり角に直面している。


「リュート、ちょっと待て……」


 慌てて追いつこうとするも、曲がり角を曲がったところでリュートの姿はどこにもなく、僕らはただ顔を見合わせていた。


 それから僕らはお互いの家へと向かって歩いて行く。その間僕らに会話はなかった。

 数分間歩いて行くといつの間にかT字路を抜けて、僕らの家の前まで差し掛かっている。


「それじゃ、また……」

「うん。また……」


 互いに挨拶を交わし合い隣合わせの家へ入った。


「ただいま……」


 誰が返してくれるわけでもないが小声でつぶやき靴を脱ぐ。カバンを抱えなおして二階へと上り自室へと向かう。

 部屋の扉に手を掛けた瞬間、なんとも言えない違和感が襲った。何か魔物の巣窟へと入ったような閉塞感と緊張感だ。


「…………」


 とは言え入らない訳にもいかないので、嫌な予感を感じながらも僕は扉を開けた。

 扉を開けて部屋に入ったところ、僕の予感は、予想は、思い通り的中していた。


 部屋の中には眠たそうにしたハクが僕のベッドの上で座っていた。


「……なんや、今回はそんな驚いた感じやないな」

「まあ、なんとなく予感がしたからな……」


 警戒心を前面に出している僕だが、ハクはというとなんの緊張感もなく今にもベッドの上で寝てしまいそうだ。


「……それで、今日はなんの用があるんだ。またキスでもしにきたのか?」

「……そんなんとちゃう。今日は忠告しにきてん」

「忠告……?」

「忠告ってゆうか、謝罪かな……」

「謝罪?」


 ますますハクが何を言いたいのかわからない。


「まあ、なんや……どうせジンにはきついこと言われたんやろ?」

「ハクは寝ていたんじゃないのか?」

「寝てたけど、どんな話するかは知っとったし。そうなればジンが何言うんかもわかるしな」

「そっか……それでハクは何を言いに来たんだ?」


 カバンを置いてハクに向き直る。するとハクはベッドから降り僕の目の前まで近づいた。

 そして僕と完全に目が合うと、ハクは腰から体を折って僕の前で頭を下げた。


「ごめんな」

「な……どうしたんだ、突然」


 戸惑う僕を差し置いてハクは未だ頭を下げ続けている。


「ジンも嫌味であんなこと言ったんとちゃうねん」

「……え」

「昔な、ジンは友達を亡くしてんねん。だからやっぱり、誰かが傷ついたりするんは嫌いやし、その可能性がより低いんやったらそっちを選ぶんがジンやねん」

「…………」


 ハクは未だ顔を上げることなく頭を下げている。


「だから……ジンを許してやってとはゆわんけど、それだけは理解してほしい」


 そこでようやく顔を上げたハク。その表情は涙ぐんで訴えかけるというものではなかったが、真剣そのものの表情から伝わる思いは涙ぐんだそれより遥かに僕の心を貫いていた。


「……ハク」

「じゃあ、それだけ言いたかっただけやから……」


 それだけ言い残すと、ハクは窓から飛び降り消えてしまった。

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