番外編 Our memories of that day. [3]
日が沈みきった夜の公園は静かで、ベンチに座る俺とその隣に座っているハク以外に人影は見えない。
街灯の光もここまで届くことはなく、園内にある電灯は薄く俺たちを照らしているのみ。
しかし、だからと言って真っ暗で何も見えないというものでもない。こんな夜でも月からの光は闇を明るく染めていくのだ。
通り過ぎていく夜風は心地よく、頭を冴えさせる。考え事をするにはやはり、静かで自然に囲まれた場所が最適だと感じる。
「――っくしゅん!」
「大丈夫か、ハク?」
まだ夜も更けてきたとは言えないが、しかし子供にとってはこの程度の夜風でも寒いものなのだろうか。
ハクと俺は持ちつ持たれつの関係であるとは言え、ハクが一人で生きていけない以上は、やはり俺が面倒を見るしかない。風邪など引かれてしまっては、あいつらにも何を言われるかわかったもんじゃない。
幼女を夜に連れ回すというのも世間一般的にはよろしくはないことだろう。
「そろそろ帰るか」
「だあ……」
「おーい、ジン!」
ハクの手を取りベンチから立ち上がろうとすると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ってその声の主を確認する。
「……なんだよアキラ、て言うかどうして俺のいる場所がわかったんだよ」
「いやー、今日みたいな日はジンが公園にいそうだなって思ってさ――それに、ジンがハクちゃん連れて公園にいたら、ジンが逮捕される未来が見えたからさ」
「余計なお世話だ」
すぐに帰ろうとしていたが、こうして安寧の破壊者が来たからには話は長くなりそうだ。
そう思って俺はもう一度ベンチへと深く腰掛けた。
「まあ、ジンと僕だけでも通報されかねないけどね……」
「そう言えば、スミレはいないのか?」
ベンチに腰掛けたまま振り返る。アキラのことだからスミレと一緒にいると思っていたのだが。
そう思っていると、アキラの後ろから人影が近づいてくるのが見えた。
「おるよー、ちょっと飲み物買いに行ってだけや」
手に持ったペットボトルをちらつかせてスミレはアキラの隣で微笑んだ
「まあ、そうだろうな。さしずめ、デートの帰りってとこか……」
首だけそちらに向けると、アキラとスミレは互いに顔を見合わせて微笑んでいる。
予想通りデート帰りに俺に会いにきたのだろう。
「それで、何の用だ?」
アキラに向かってそう問いただすと、アキラは思い出したかのように、趣味の悪いピンクのパーカーから何かを取り出して、ハクの正面まで回り込むとそれを見せびらかした。
「ほらこれ、ハクちゃんにあげる」
そう言って見せたのは一つの饅頭だった。
「どうしてそんなもの……」
「ジンの世話じゃあ、ハクちゃんもお腹空いてるかなって思ってさ」
「ちゃんと三食あげているし、栄養だって偏ってねえよ。そもそも子供に夜食なんて与えるなよ」
アキラに向かって叱責するも、アキラは聞く耳も持たず、饅頭の包装紙を開けにかかっている。
「まあまあそう言わず。ほら……」
眼前に饅頭を置かれたハクは、それが何か分かってはいない様子だが、何かを与えられているということは察知したのか、嬉しそうに足をバタつかせている。
「わあ……!」
その反応に満足してアキラはハクに饅頭を手渡した。
するとハクは、受け取った饅頭を見て口をパクパクと動かすと。拙い発音で言った。
「あ、あ……あんがと?」
それを聞いたアキラは驚きの表情をオーバーな程に浮かべると、ハクの頭をしきりに撫で始めた。
「うおー、偉い、偉いよハクちゃん!」
突然のリアクションにさすがのハクも引いてしまったのか、饅頭を口に咥えたまま座る位置を少しだけこちらに寄せてきた。
「ったく……まるで孫の成長に喜ぶ爺さんだな」
「構わない。ハクちゃんの成長を見守れるのなら僕は爺さんでも構わない。むしろ爺さんになりたい!」
突然の大声で、さすがに引いたのかハクは俺の服を少しつまんできた。
「ジン、ジン……」
俺を見るハクの眼はどことなく恐怖を感じているようにも見える。
「ああ……大丈夫だ安心しろ。こいつはリアクションがいちいちオーバーなだけだよ」
優しく頭を撫でながらそう言ってやると、ハクは次第に笑顔を取り戻し始めた。
そんなやりとりをしていると、それを見守っていたスミレが後ろでふと呟いた。
「……なんか、親子みたいやな二人とも」
「親子!?」
驚いてスミレの顔を見ると、スミレは至極当然のように頷いた。
「うん。さっきも夜食がどうとかゆってたし、ジンはハクのお父さんみたいやな」
「お父さんって……」
「よう似合ってんで、お父さん!」
スミレがそう言って僕の肩を叩いた。するとハクの前でしゃがみ込んでいたアキラがクスクスと笑い声をあげた。
「ジンが、ジンがお父さんって……考えただけで……」
「おい、そんなに笑うことないだろ!」
「いやだって、ジンがお父さんになったら、絶対に奥さんの尻に敷かれるタイプだよ!」
「アキラ、そんなこと言ったんなよ。かわい……そうやん……」
スミレが俺を援護しようとしているが、笑っていることが顔を見なくてもわかった。
「それに、子供に嫌われたら絶対、本気で落ち込んでるよ!」
「やめろ、アキラ……それ以上は……想像しただけで……」
先程まで静かだったはずの公園がものの数分にして、二人の笑い声で包まれた。
ハクも驚いたのか俺の服をまたも弱く引っ張っている。
「ジン…………ジン」
「ハク」
心配してハクの顔を見ると、ハクは俺の予想とは裏腹に、顔に満面の笑みを浮かべていた。
「ジン……あははは!」
「おい、お前まで」
「あははは、ジン、おとさん。あはははっ!」
二人につられて笑い出したハクは止まらない。
何が面白いのかはわかっていないだろうに、その場の雰囲気だけで笑い続けている。
そんなハクを見て、お腹を抱えて笑っていたスミレはハクの肩を叩くと、言い聞かせるように言った。
「ハクちゃん。こういう時は『おもろい』って言うんやで」
「おいやめろ、変なことを教えるな。覚えちまったらどうすんだよ」
「ええやんええやん、きっと愛嬌のある人懐っこい子になるって」
俺の静止に耳を貸すこともなく、スミレはハクに教え込んでいる。
そして、発音を覚えたハクは笑みを顔に残したまま俺を見た。
「ジン、おもろい……おもろい!」
「おいスミレ!」
「うまいでハクちゃん。ほらもう一回言ってみ?」
「おもろい、ジンおもろい。あはははっ!」
「おい、やめろハク!」
「おもろい、おもろい!」
俺が止めようとするもハクは「おもろい」と連呼して永遠と笑い続けている。
月や電灯の光ではあまりに拙い光源にしかならないような闇世の中。
その笑い声だけが、この世界を照らすように明るく響き渡っていた。
その笑い声が徐々にフェイドアウトしていくのを感じて、思わず目を開けた。
「なんだ……」
どうやら夢を見ていたようだ。遠いあの日の懐かしい思い出だ。
そんな思い出に浸っていると、目の前を歩いたハクが俺の顔を見て言った。
「あ、起きたんや。変な顔して寝てて、おもろかったのに……」
「ほんとに愛嬌のある人懐っこい子に育ったのか……スミレ?」
「なんて?」
「いや、なんでもない…………そう言えば、ハクって普通に話すことはできないのか?」
「普通……?」
「あー、俺が話すような喋りかただ」
ハクは少し思案顔になって考えるも、やがて、首を横に振った。
「知らん」
「もう少し考えろよ……」
そうやって言うと、ハクはそっぽを向いてしまった。
愛嬌のある人懐っこい子とは一体なんなんだ、スミレ。
「けど……」
「ん?」
「話せるかも知れんけど……話そうとは思わへんな。ジンがそんなパーカー着てるみたいにな」
俺の着ているパーカーを指さしてハクは、またそっぽを向いた。
「いいだろ、このパーカー?」
「ええと思う。ちょっと派手やけど……」
「それがいいんだよ…………ああ、関西弁も悪くないな……」
それを聞くとハクは、いまだこちらに目を向けないまま、
「あたりまえやん」
と、短くそう呟いた。
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