第5話 徐々に光が差し込むように

 今度はドアに向かって耳をあててみたが、それでも何かカサカサと小動物が移動するような音がするだけで、大した音は聞き取れない。

 もう少し強く耳をドアにあてて聞き取ろうとした。


 その時、ガギャと何か金属製のものが外れたような音がした。その音に驚いて咄嗟にドアから離れると、錆びて風化していたのであろうドアの最後の蝶番が地面に落ち、それが合図だったかのようにドアは前方に倒れていった。

 倒れたドアはバタンと大きな音を今度こそ廃ビル中に響かせてその音に反応したのであろう中にいたリュートは倒れたドアを、そしてその奥にいる僕の方をじっと見つめていた。


「よ、ようリュート。こんなところで会うなんて奇遇だな、幽霊退治にでも来て――」

 そう言ってふざけた言葉を放とうと思ったが、リュートを、いやリュートの奥にいる物体を見て言葉に詰まった。


 真剣な眼差しで僕を見つめるリュートの後ろには、大型犬のような狼のような虎のような、とにかく四足歩行の生き物が数頭、この暗い部屋の中を照らすような強い光を目に輝かせて僕を、いやリュートを千切れんばかりに鋭く睨みつけていた。


 リュートを睨む黒い四足歩行の影は突然入室してきた僕を警戒するように、視線を僕に向けて荒い息を吐いて「グルル」と唸っている。

 扉が壊れたことで部屋に光がさしこみ生き物の全貌が見えてきた。形はどうも狼のようで全長は人の半分くらいあるだろうか、結構大きい。

 何よりも目を引いたのは大きくとがった歯で、遠目からでもよくわかるくらいに大きく発達していて特に牙は口内に収まりきらず外に出ている。


 得も言われぬ恐怖を感じ咄嗟に後ずさろうと思うが、どうしてか体が動かない。

 僕が心の底からこの狼に恐怖を抱いているのだろうか。


 そうして動くこともできずただ茫然とこの状況を見ていると、僕を見つめる影の一匹が一つ吠えて、それを合図にこちらに向かって飛び掛かってきた。


「!」

 驚きと、あまりにも一瞬のことだったので反応が完全に遅れてしまった。


 やばい僕死ぬかも。

 尻もちをついて反射的に両腕で顔を防ごうとする。しかし、いつまで経っても僕のところに黒い影が飛びついてくることはなく、恐るおそる両の腕を解いて様子を窺った。


「ひっ――」

 眼前には飛びかかってきた狼がぐったりと口を開いたまま横たわっていた。見ると首には鉄パイプが横から突き刺さっている、きっと僕に向かって飛んだ瞬間を横から刺されたんだろう。

 そしてその傍らでは右手に鉄パイプをもう一本もったリュートが無表情で狼を見ていた。


「り、リュート?」

 恐怖と驚きで足がガタガタと震えている、きっと僕が発した声も震えていただろう。

 そんな僕の問いを聞くと、リュートは冷たい眼差しでこちらを見て俯いた。


「ヒロ……知られたくはなかったな」

 俯きながら左手で頭を抱えていたリュートだったが、また僕を一瞥するとため息とともに呟いた。


「でも、巡り合うべくして合ったのかも……」

 そう言って俯いていた顔を挙げると、リュートはこちらに手を差し伸べた。


「立てるか?」

「あ、ありがとう」

 伸ばされた手を掴んで立ち上がったが未だ手を放そうとは思えない。まだ体が、心が恐怖で凍えてしまっている。冷えた風が割れた窓から流れ込んできているというのに、リュートのこの手を掴んでいるだけで陽だまりにいるような気分になれた。


「――おいヒロそろそろ放せ」

「ご、ごめん」

 掴んでいたリュートの手を放しまじまじとリュートを見つめる。どこか冷え切ったような立ち姿や制服に鉄パイプを持った似合わないファッションも、僕が知っているリュートとは程遠くかけ離れていた。

 そして何よりこの状況、こんな非日常をリュートは何の変哲もないようにしている態度に僕は少なからずリュートに、そしてこの状況に恐怖を抱いていた。


 奥の部屋にはまだあの狼たちがのさばっているのだろう。

 恐る恐るリュート越しに奥の部屋をのぞいてみると、一頭の狼がこちらに鋭い眼光を向けているのが見えた。

 そして僕と目が合うと、その狼は小さく唸り、こちらに向かって走ってきた。リュートは僕の方を向いていてそれには気付いていないようだ。


「リュート前! あ、いや後ろ」

 狼の方へ指をさして危険を知らせると、リュートはそちらを一瞥し振り返りながら左手で僕を後ろに押して、右手に持った鉄パイプを狼の方へ向けていた。

 リュートの数メートル手前でジャンプした狼の、開いた口目掛けてリュートは鉄パイプを突き出した。よく見てみるとリュートの持った鉄パイプの先は切られたように折れていて、鋭くとがっている。


 しかし、狼もその鉄パイプが口内に入る直前に顔を逸らし、リュートの突きは狼の口端を引き裂くだけの結果に終わった。

 だがリュートの反撃はそれだけでは終わらない。突き出した鉄パイプを瞬時に引き、まるで野球のバッティングフォームかの用に構えた。

 そして狼の脳天に腰の入った豪快な振りを打ち込み、部屋の奥まで吹き飛ばした。

 ドサッと狼が地面に落ちた音が聞こえると、リュートは残りの狼を追って部屋に向かった。部屋に入る直前にこちらを一度みると、また前を向いて部屋の中に入った。


 どうやら動くなとのことらしい。

 そんなこと言われなくたって体は既に恐怖で委縮してしまっている。むしろ今すぐここから逃げ出したい程だ。


「…………」

 いや違う、そうじゃない。


 恐怖で体が動かないんじゃないのかもしれない。もしかしたら僕は、心の根底で叫び続けている興味という化け物が、逃げだしたいという本能を殺しているのかもしれない。


 そう、僕はこの状況に興奮しているのだ。

 もう僕は止まらないし、僕を止めることは僕ですら不可能だ。

 非日常的であっても、自分の命に危険を感じていても、リュートの――謎の転校生の秘密に一歩近づき、目の当たりにしている瞬間が僕の奥底に住まう欲張りさんを目覚めさせてしまったのだ。


 いま震えているのは武者震いだ。それは僕の人生が変わる瞬間の始発点に立っているから、いま動けないのは想像だ。それは今から始まる第二の人生を直感し連想しているから。

 芥川龍之介の羅生門で下人は老婆の存在に「六分の恐怖と四分の好奇心」を抱いていたが果たしてどうだろう、僕はいま下人が体感していた状況より何倍も衝撃的な状況に立たされているが、僕の心には恐怖というものはない。あるのは十割の好奇心だけだ。


 そんな風に考えると、さっきまでの体の震えはまるで嘘だったかのようにほどけていき、体は自然に前へと進みだした。


 扉の前に立ち、軽く息を吐いたあと姿勢を低くして中を覗き見る。

 光源となるのが丁度僕が立っている扉一つしかないため、部屋の中はこちらからでは上手く確認しづらいが、右手の方向で人影とそれに駆けていく物体がぼんやりと見えた。きっとリュートに例の狼が向かっているのだろう。


「よく見えないな……」

 目を細めながら四つん這いになって少し近寄ってみる。

 すると二つの影が交わったかと思うと、突然その一方がこちらに向かって飛んできた。


 物凄い速さで飛来してきたそれは、まったく空中で体勢を立て直す素振りは見せず、ただ運動の法則にしたがうように、何かに引っ張られているかのように、真っすぐ飛んでいた。


「うわっ」

 咄嗟に後ろへ転げるように下がる。しかし意外にも飛来してきた物体は僕より前に飛んできていたようで少し安堵するが安心したのもつかの間、次なる衝撃が僕をあざ笑うかのように襲ってくる。


 勢いよく壁に激突したかと思った物体は、壁をぶち破り、というかぶち壊して僕の目の前を通り過ぎていった。

 崩壊した壁がさらに連鎖を巻き起こして次々にひび割れと崩落を繰り返している。その度に眼前に砂塵が舞って僕の視界を何度も塞いだ。


 広がる砂ぼこりを手で数回払うと段々ぼやけていた視界が鮮明になってきた。壁が崩壊したことで外からの光がよく入るようになったこともあり、先程よりずっと部屋を見渡すことができる。

 見渡すとそこにはリュートただ一人が悠然と立っていた。ならば先程飛ばされたのは狼だったようだ。


「リュート……何だか知らないけど終わったのか?」

 そう尋ねると、リュートは少しだけ目を細めて、突き抜けていった狼の方をじっと見つめ怪訝な顔をすると手に持った鉄パイプを引き、まるで斎藤一が扱う牙突のような姿勢をとった。


「いや、まだ終わってない」


 リュートがそう呟くのとほぼ同時に、ぶち壊された壁の向こう側から狼が、吹き飛ばされた時と同じかそれ以上の速度でリュートへと向かっていった。

 しかしリュートはそれをまさに牙突を連想させる突きを、狼が飛びかかろうと跳躍した瞬間にその口目掛けて差し込んだ。


 突き刺された鉄パイプは狼の喉を通って胴体を貫き、その先端を見せたのは狼の背から背骨と一緒に現れた。

 実にグロテスクな光景だ。まだ鉄パイプで脳天を割っている方が幾分かましに思える。


「これで終わりだ」

 ふっと短く息を吐きながら涼しい顔でこちらを見てくるリュートだが、こちらはそんなに涼しく対応はできやしない。さすがにさっきの光景はショッキングすぎた。


「ちょっと待ってくれ…………」

 胸元から込み上げてくる若干の吐き気を何とか寸前でとどめて何とか気を静まらせる。リュートはと言うと僕とは反してとても平然そうに冷静にこちらを見ている。

 僕の気分がよくなってきたのを見計らってリュートが僕に近づいてきた。


「ヒロ……まさかお前に知られるなんてな」

「な、なあリュートさっきのはなんだったんだ。それにお前も……」


 リュートはいったい何者なんだ。そう言おうとしたが寸前でリュートが僕の顔に手をかざしてきたのを見て言いとどまった。


「何やってんだ?」

「いや……」

「そうじゃなくて、お前はいったい何者なんだよ」


 かざされた手を払いのけて先程し損ねた質問を繰り返す。

 確実にリュートの核心を突いた質問だと思い、返ってくる答えを期待してまっていると、しかしリュートは何を隠そうともしない、むしろいつもより冷静な顔をした。


「なあヒロ、今後はそのことについて話さないでくれ」

「え……」

「できればこのことは忘れて欲しい所なんだが」


 そんなこと言われたって。

「そんなのできるわけないだろ」


 焚きたてられた興味の灯はすでに僕の中で燃え続けている。この灯にともるのは炎だ。

 激しい炎に人は近づけないように、僕の興味心は何人にも近づいて消すことはできない。その炎は育ち続けている。最初は見つけるのがやっとのように思えたものが、次第に形がはっきりとしていき最後は広大な暗闇を照らすまでに成長する。僕のこの炎がむき出しになっていたならば、きっとこの部屋なんてたちまち光で溢れるだろう。

 そうだ、僕の興味はこの部屋だ。最初は存在すら知らなかったのに今では差し込んだ光が部屋中をくまなく照らしている。徐々に光が差し込むように、僕の心は次第に興味と関心とそれから好奇心で埋め尽くされていった。

 それもこれも、全てはリュートをきっかけに始まったのだ。もはや僕自身の力でもこの炎は消すことはできない。


「まあ、そうだよな――それじゃあ今回起こったことは、ヒロがちょっと不思議な体験をしたっていう風に考えてくれよな?」

「どうして半疑問形なんだよ」


 僕がそう呟くとリュートは「そりゃあまあ」と曖昧な返事をしたかと思うと、また僕の額の前に手をかざしてきた。

「だから何やって――」

 視界がぼんやりと霞んできた、思考もなんだかはっきりとしないし大事な何かを忘れている気がする。なんだっけあれ、凄く大事なことだったような、何も関係なかったような。

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「……まあ成功かな、やはり少しは回復しているのか」


 何か聞こえる。誰だ、リュートか。

 視界ははっきりしているのに意識がなんだかおかしい、起きているのに朦朧としている。

「おいヒロ!」

 その声でふと意識が戻ってきたような感覚になった。


「どうしたんだよリュート、っていうかお前――」

「お前?」

「あれ、なんだっけ?」


 何かすごく大事なことだったような気がするんだけど。

「……やっぱ完全にはやっぱり無理か」

「どうした?」

「いやなんでもない。それよりさっさと帰ろうぜ」


 そう言ってリュートは僕の横を通りエスカレーターの方へと向かっていった。


「ちょっと待てよ……」


 あれ、そう言えばどうしてこんなことろ来たんだっけ。

 そうだ、リュートを見つけてそれから…………。

「なんだっけ?」

「ヒロ置いてくぞ!」


 エスカレーターの方からリュートの声が聞こえた。


「いま行く!」

 そう答えてエスカレーターへと駆けていく。廊下を曲がる直前にふと、不意に後ろを振り返ってみた。


 別に何か意味があるわけじゃないけれど振り返ってしまった。すると何故かそこを――壁の壊れた部屋が懐かしく思えたが、なにどうってこともない。


 ここから見た部屋は壁が壊れて光が入っているとはいえ、ぼんやりとしか中はみえなかった。まるで僕の心みたいだ。

「…………ん? 何言ってんだ?」

 なんか本当に意味の分からないことを考えてしまった。僕の心ってなんだ?

「ヒロ!」


 今度はエスカレーターからではなく階下からリュートの声が聞こえた。きっとこれがラストコールだろうと思い、僕は急いでエスカレーターを下った。

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