第24話 引き際

 教室を出た僕らは何をするわけでもなく、校門を出て家路へと向かう。

 しかし、僕にはリュートに会うという目的がある。いや実際にはリュートに会えるかどうかはわからないが、可能性がある限りリュートに会いに行こうと思っている。


 だからこそ僕はハルに見つからないように早く帰ろうと思ったのだが、どうも今日はばつが悪いようだ。

 それに、ハルが言っていた話というのも気になる。いっそのことハルに事情を説明して一人で帰ってもらうことも考えに入れておかなくてはいけない。


 校門を出てすぐの信号を渡り、ずっとまっすぐ歩いていく。大体の生徒はここを右に曲がり、駅の方へと目指す。しかし僕らは徒歩通学のためまっすぐ進むのだ。

 この時点で同じ通学路の人間は少なく、もう既に道を行く人は僕とハルの二人だけになった。そして少し歩いた先にある信号で僕は止まった。しかし前にある信号は青を示している。


「どうかしたの」


 僕が突然に停止したことを不思議に思ったのか、少し前を歩いていたハルが振り返った。僕はそのハルの目を見て、少し深めの息を吸う。


「……なあハル」

「なに?」

「さっきしようとしてた話さ、聞くのは今度でもいいか?」

「どうして?」


 少し怪訝な顔をするハルに若干の緊張感を覚えるが、こちらも少しだけ語気を強くして答えた。


「ちょっと寄らなくちゃいけない場所があるんだよ。だからここで……」


 ハルから顔を逸らすように右を向き、右折するためのもう一つの信号を見た。

 僕の視線に釣られるようにハルもそちらの方に目を向けると、今度は僕に一歩近づいて俯きながら小さくため息をついた。


「そっちに行くってことは、そういうことなんだ……」

「ああ……」


 薄々とハルも気付いているのだろうと感じていた僕だったが、今のハルとのやり取りで僕の考えは確信に変わった。いやそもそも、ここでなら僕ですらその気配を強く感じることができるのだ。

 ならばハルだって、最低でもそこにいるくらいの感覚は感じているはずだ。

 この横断歩道を渡った先、少ししたところに僕らは魔物の気配を感じたのだ。


「……そっか」

「それじゃあ――」


 信号が青になったのを確認して僕はハルを置き右折しようとする。しかし、そんな僕をハルが後ろから僕の背中を引っ張って止めた。


「ねえ、さっきの話……」


 顔だけで振り返った僕に、ハルはしっかりと僕の瞳を直視して語りかける。


「うん」

「実はそのことを言いたかったんだ」

「…………」


 僕の背中を引っ張るハルの力が強くなった。


「ねえヒロ、もう止めにしようよ……リュートも言ってたように、ここが引き際なんじゃないの?」


 ハルの言葉が僕の脳内に染み渡っていく。それは前にもリュートが言っていた言葉だった。

 たしか、僕が両腕を失くしたあの日の帰り道のこと。


 コインランドリーを出た僕とハルとリュート、僕らはそれぞれ帰路へと向かう。

 とは言っても、コインランドリーへの道は僕とハルの家の前を通っていかなければいけないので、結局は僕の家までは全員で向かうことになるのだ。

 僕とハルは自転車を押し、歩いて帰るリュートに並んだ。


 このコインランドリーへは僕の家からでも自転車で五分ほどはかかる位置にある。それくらいの距離をリュートは、自転車等の交通手段を使わず自分の足でここまで来たらしい。ならばもし、もしもリュートが自転車でも使ってここに向かっていたのなら。


「お前が自転車で来ていたら、僕が腕を落とされることなんてなかったんじゃないのか?」


 隣を歩くリュートを睨みつけるように見た。そんな僕の視線にリュートは全く罪悪感を伴わない表情で、むしろ冷めたような、人を小馬鹿にするように眉を上げた。


「自転車じゃあ俺よりも遅い。そんなものを使っていればヒロは今頃死んでいただろうな」

「なっ、死ん……」


 僕の反応に満足したのか、リュートはふっと笑みを浮かべ顔を正面に向けて歩き出した。

 リュートが自転車よりも早く移動できるのかどうかは分からないが、しかし少しでもリュートが遅ければ自分が死んでいたという事実には若干の恐怖を感じた。


 こうして腕を切断されたのにも関わらず、生きているどころか切られた腕も元に戻っているというこの状況は、本当に運が良かったと言えるのかもしれない。

 そう思えば、今ハンドルを押している自分の手が愛おしく感じてたまらない。

 一度腕を失くしたからこそ分かる感覚だが、人間腕をなくせば本当に無力な存在になってしまう。あたりまえだが、腕という部位がどれほど生活に必要不可欠なのか改めて痛感させられてしまう。


「…………」


 そう思って恍惚としながら自分の腕を見ていると、隣を歩くリュートが突然立ち止まり、小さな声でぽつりと呟いた。


「そろそろ、十分に満足したんじゃないか、俺に関わるのは」

「え?」


 リュートの声に僕が止まって、釣られてさらに横を歩いていたハルが止まった。


「もう、ずいぶんと俺の秘密を知ったし、もしかしたら死ぬかもしれないってくらいの怪我だってした。そろそろ引き際なんじゃないのか?」


 小さい声だったがはっきりとしたその言葉に僕は唾を飲み込んだ。しかしまた口を湿らせてリュートに顔を向ける。


「どういうことだよ。この前も言ったけど、リュートが困っているなら僕はリュートを助けるって決めているんだ。途中で投げ出したくない」


 威勢いっぱいに言う僕に対して、リュートはいつもの視線よりもさらに冷めきった冷酷な眼差しで僕の目を覗き込んだ。


「もしヒロが死んだとしても、か?」

「死んでもって……」

「ヒロは、俺のためになら死んでくれるのか?」

「そ、それは……」


 答えを探そうとするが僕は一向に応えられない。答えのないような質問だから、ではない。僕は問いただしているリュートに得も言えぬ恐怖を感じているからだ。

 そんなリュートだったが、少しすると威圧するようなその眼光はなくなり、顔には不敵な笑みが浮かんでいた。しかしそれでも、その顔は決していつも通りとは言えない物だ。


「わるいな、応えられない質問だった……だが、何も突拍子なことってわけじゃない。今回のことを鑑みても、これからお前らが危険な状況になる可能性は少なくないし、全てのことに俺が手を回せるわけでもない」

「つまり何が言いたいんだ」

「さっき言った通りだ。これ以上は俺に関わらないでくれ。いや……関わるな」


 真剣な表情のリュートに僕も睨み返すようにリュートの顔を見つめ返した。


「いやだ。僕はリュートの力になると決めた。そりゃあ腕が切られるかもって考えたら怖いけど、それはリュートだって同じだ。自分が無力だからって見て見ぬ振りをするのは怠慢だし、それを理由に傍観を決めこむのは卑怯だろ」

「そういう自分の気持ちとか良心とかあやふやな物じゃない。今度こそヒロは死ぬかもしれない。そうなったらどうしようもないんだ」

「それでも……それでもよくはないけど、僕は自分が決めたことからは逃げ出さない。結果的に僕が死ぬことになっても、それで後悔はしないはずだ」


 改めてリュートの目を一直線に見つめた。リュートも僕を推し量るようにその眼光を睨ませて僕を見定めている。一度と見たことのない、殺すような眼つきだ。


 しかし僕は目を逸らすことはしなかった。たしかに死んでしまうことは怖いけれど、それでも後悔しない自信は、確信はあったからだ。

 だって僕は今日、ハルのためなら死んでもいいって思えたから。


「……いや、やっぱり駄目だな。ヒロは死んじゃ駄目だ」

「どうしてだ。それはリュートに決められることじゃないだろ?」


 僕の言葉にリュートは小さくため息をつくと、僕のさらに隣にいるハルを指さした。


「お前の命はお前だけのものじゃないだろ。お前と同じことをハルは思っているのか?」

「え……?」

「死んでしまう可能性があってでも、俺にこのまま関り続けてほしいと、ハルもそう思っているのか?」


 振り返ってハルの方を見た。先程から僕とリュートの会話に一切口を挟まなかったハルは、今も僕と目を合わせることなく俯いたまま小さな声で呟いた。


「……私は、ヒロには死んでほしくない。お父さんもお母さんもいなくなって、ヒロまで死んじゃったら……私もう……」


 話している間、ハルは顔を上げることはなかった。しかしその頬を伝う涙は、暗い夜道の中でも街灯の光に反射してよく見ることができた。

 そんなハルを眺めながら、後ろでリュートが話し始める。


「……ほんと、ここが丁度いい引き際なんだ。ここが引き返せるギリギリのところで、ここで引き返せばまた普通の日常が過ごせる」

「普通の日常って言ったって、もう僕らは知ってしまったんだぞ。そう簡単に……」

「いや、とても簡単なことだ」

「え……」

「お前たちが俺をただのクラスメイトだと思えばいい。ただの転校生だと思ってしまえば、俺もお前たちのことは気の良いクラスメイトとして接することができる。そして全てのことが終われば俺は勝手に姿を消す。転校生がまたどこかへ転校したと思えばいいんだ」

「でもそれって、つまりは見て見ぬ振りをしろってことだろ」

「それでも構わない。ただ俺は、誰かを巻き込んでそいつの日常を破壊したくないと、ただ切実にそう思っているだけなんだ」


 いくつも見えていた道の光が突然すべて閉ざされたような感覚だ。むしろ今まで進んできた道が間違いだったかのようにも錯覚する。

 いや、錯覚ではなくて本当にそうだったのかもしれない。僕は自分の考えに忠実に行動してきただけだ。だけどそれは本当に自分の考えにだけ従順だっただけだったのだ。


 誰かのために何かを捨てられる人間がかっこいいと思っていた。さながらライトノベルの主人公のように、自分が死んでも誰かのためになるのなら、それは美しいことだと思っていた。しかしそれは、ただのエゴでしかない。


 誰かのために死ぬことがかっこいいのは物語の世界だけで。

 この世界はライトノベルでも小説でもないのだ。


「なんだよ、それ…………」


 僕の声は暗い闇の中に響き渡った。しかし広すぎる闇の中では反響することなく、そしていつしか消えていった。

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