アレクサンドル・ドゥーギン、ザハール・プリレーピンに関する中間報告
※この記事は筆者の独自研究の要素が強く含まれるため、異論がある人物は論文なりのテキストで文句を言って欲しい※
※というか教えてくれ。私も必死に調べている最中なんだ……※
:はじめに
タイトルそのまま。――非常に嘆かわしいことではあるのだが、我が国は外国の思想や文学について非常に偏向した輸入を行う国で、政治的にアヤしいとか難癖がつけられるとすぐに供給が絞られてしまう状態にあり、凡そこの点においては『1984年』を笑い飛ばすことができない国になっているのだが、この点について自覚的な人物というのは政治的立場の左右を問わず、そう多くない。
ドイツ保守革命は近年注目度が増しつつあるのに対し、一大ジャンルを築き、またメローニ政権が明確な”文化防衛”の立場を打ち出しつつあるイタリアと、その政治思潮の根幹にあるイタリア現代思想について、我が国のインテリは驚くほど無知である。それも当然のお話で、我が国は英米仏のいわゆる西側戦勝国と呼ばれる国々の思想を輸入するのに積極的なのに対し、それ以外については「存在しないかのような」扱いがなされている。いや、正確には一部は輸入されているのだ……エスポジトやアガンベンなどはイタリア現代思想の論者の一部であるし、ジャンニ・ヴァッティモやマッシモ・カッチャーリなども部分的に輸入されている。しかし、その前提となるファシズムの理論家で知られるジョヴァンニ・ジェンティーレや、そのジョヴァンニ・ジェンティーレと対立しつつも同じくファシズム政権に関与したベネデット・クローチェのような、イタリア現代思想に関与する・前提となる理論家のテキストを我が国はロクに摂取してこなかった。先のエスポジトやアガンベン等が輸入されているのは他でもない、フランス現代思想のポストモダニストと呼称される思想家の一群が引用する機会があるために輸入がなされている。無論、イタリア思想の輸入を至上命題としている出版企業『月曜社』の努力等は認めつつも、全体の傾向としていわゆるポストモダン、殆ど日本特有のガラパゴスな概念となりつつある総称としての”現代思想”(その実態は英仏思想と言うのが正しかろう)に論壇上の全ての力が注ぎ込まれているという現状があるということについては、残念ながら・大変遺憾ながら・悲しくも肯定せざるを得ないであろう。
そしてこれは実のところロシア思想にも似た側面があり、ニコライ・ベルジャーエフなどはまあまあ過去に流行っていたためにそれなりにテキストに触れることができ、ロシア思想開闢に関与した偉大なるロシアの哲学者ウラジーミル・ソロヴィヨフの邦訳もあることにはあるのだが、どちらも絶版図書は数多く、ソロヴィヨフ選集なんて揃えようとしても毎度毎度苦労する。私も欲しいのだが……。
そんな状態の我が国であるから、現代ロシアの思想や文学についても非常に偏向した輸入を行っており、これまたやはりポストモダニストが引用するからとミハイル・バフチンは読めるわけだが、ドゥーギンは『ゲンロン』で引用された部分しか読めなかったし、ザハール・プリレーピンも群像で過去に一度邦訳された短編小説しか我が国では読むことが出来ない。――とくにドゥーギンについては、非常に(×10)嘆かわしいことであるが、私がTwitterで半ば喧嘩を売るように
「世界に思想を発信すると言うのに日本語訳もないのか」
と引用RTをつけたところ、彼自身の手配によって邦訳が出るようになったという有様で、我が国は世間的に有名なロシア研究家が多数いるのにも関わらず、私以外の誰もドゥーギンに話しかけるような勇気を持っていなかったという事実を本気で嘆かなければなるまい。
そういう風に物事やっていると、どうもドゥーギンやプリレーピンに興味を持ちながら何も分からんと言う人が私の下に来るのだが、実際邦訳も解説もないのでこれは全く致し方ないことだと感じる。私自身、彼らに強い興味を抱いており、何とかして(とくにプリレーピンの)邦訳を増やせないものか……と悩み続けているのだが、それはともかく、ある程度彼ら(アレクサンドル・ドゥーギン及びザハール・プリレーピン)について纏まった情報が閲覧可能な記事を一つ作っておこうと思い、ここに筆を持った次第である。
:アレクサンドル・ドゥーギンについての中間報告
アレクサンドル・ドゥーギンについて端的に表現するならば
「サブカルチャーから出発した典型的な現代ロシア知識人」
「ロシア連邦の御用学者」
「国際的な右派連立ネットワークの当事者」
の三つに纏められるであろう。
ここから始める記述は凡そ先の三つの要素に分類される話題となってくる。
サブカルチャーとドゥーギンの関係性はかなり強固なもので、これはザハール・プリレーピンにも同様のことが言えるのだが、ロシア連邦成立後の混乱期から現在に到る若者のポップカルチャーとは遅れてきたサブカルチャーとしての側面を強く持つ。
若い頃のドゥーギンは一部で有名な国家ボリシェヴィキ党の結成に関与しており、ザハール・プリレーピンも一時党員であった。
……どうもドゥーギンは二十代の頃に音楽活動をやっていたらしく、その際の名義は『ハンス・ジーファース(Ганса Зиверса)』で、名乗りとしては”吟遊詩人”だったことが分かっている。露語版Wikipedia曰く1981年から1984年の間に『Blood Libel(Кровавый навет)』なるアルバムに収録される楽曲を作成し、これらを2000年に発表したようで、ジャケットには無意味な漢字が使用されている等、大変面白い雰囲気になっている。正直、音楽的には1980年代単位で見ても相当古臭いもので(この年代の時点でプログレッシブ・ロックブームが終焉している事実に目を向けて欲しい)決して高く評価は出来ないのだが、動画サイトで検索すれば出てくるだろうから各自自由に探してみて欲しい。
ドゥーギンが国家ボリシェヴィキ党に関与していたのは1993年から1998年4月までの間らしく、露語版Wikipediaには”イデオローグ”とも呼称されている。どうも、結成時に関与したエドヴァルド・リモノフと衝突したらしく、離脱の理由がまるでバンドの解散理由のように相互錯綜している。
(ドゥーギン曰く『思想の相違』なのだが、リモノフ側はドゥーギンが党資金を横領したことを告発されたからだ、としている)
彼が明確に地位を構築したのは1997年に『地政学の基礎(Основы геополитики)』を発表したためで、後に国ぐるみでこのテキストを検証している上、ロシア国内で地政学ブームを引き起こした……とされている。この書物は邦訳こそされていないが、CiNiiの論文に黒岩幸子氏が書いた同著の書評があり、またロシア連邦における地政学ブームについては幾つかユーラシア主義に関する著作物を持つ浜由樹子氏が『地政学の再流行とロシアのネオ・ユーラシア主義』の題目で論文を書いているため、そちらを参照して頂きたい。……この著書出版以後、アレクサンドル・ドゥーギンはロシアにおける論壇的人物の地位を固めるようになったようで、大学で講義を持ったり、ラジオやテレビ番組のコメンタリーなどをやるようになる。
凡そここまでが「サブカルチャーとしてのアレクサンドル・ドゥーギン」である。
注目すべきは、『地政学の基礎』以後のドゥーギンが明確にロシア連邦の御用学者的な立場になったことで、露語版Wikipediaの表記を信じる限りではロシア連邦参謀本部が『地政学の基礎』を参照しているという……正直、日本人である筆者にとってはクラクラと来てしまうような情報が出てきている。本当に? これ誤訳とかじゃないのか……(その可能性はあるので否定はしない)。
とくに、彼自身の政治ポリシーは非常にロシアの伝統的な保守主義者の文脈が色濃く現れており、彼の反LGBT論はロシアの保守層の見解とロシア思想が長年に渡り抱いてきた欧州思想に対する懐疑主義が合わさったものだと言える。ロシア思想は常に欧州を観察するロシア人の構図を持ち合わせており、人により欧州思想を全面的に受容するか、或いは否定するかという二元論を導き出す。これについてはどちらかと言うとドゥーギン自身というよりロシアの思想的風土の問題になるため、今後私が同人誌で頒布するであろう『ロシア思想入門』(未だ一行も書いていないが……)をお待ち頂ければと思う。
私自身のドゥーギンの思想に対する直感を言えば、彼の思想は基本的に元ネタがくっきりとしていて、民族多元主義はアラン・ド・ブノワの、反・進歩主義及び反・欧州思想はその基礎にニコライ・ベルジャーエフとロシア保守主義の立場が見え、彼のいわゆる多極主義は地政学のみならず、ジョージ・オーウェル『1984年』の影響が垣間見える。――そもそも、先の国家ボリシェヴィキ党は『1984年』に登場する三大勢力の一つである国家”ユーラシア”のイデオロギーである”ネオ・ボルシェヴィズム”に着想を得たという記述が見られるように、詳らかにしていけばいくほど、彼の理論は元ネタが透けて見える。有り体に言えば彼の思想的オリジナリティとは欧州右派のイデオロギーとロシア保守主義、ロシア思想の混合にあり、彼自身が本当の意味でオリジナルな思想家であるとは言い難い……と筆者は考えている。
そしてこれは後半にも再度記述しようと思っているのだが、ロシア連邦は彼の言い分を非常に都合よく解釈するのに対し、ドゥーギン自身はロシア連邦に対し言葉に言い表し難い抵抗を示している側面がある。
と言うのも、実際に今回のウクライナ戦争においてロシア軍がとある地域から撤退したことを知ると
「雨を降らせることのできない王は死ぬしかない」
と、事実上のプーチン批判と捉え得る声明を発表しており、これも露語版Wikipediaからの引用であるが、彼自身
「ロシア連邦にはイデオロギーがない」
と非難している場面があるのだと言う。
彼自身がロシアの御用学者として扱われているのもどちらかと言えばロシア連邦とドゥーギンが相互に何らかの作用を起こしながら、精神的にはすれ違っているという実態を考慮すると皮肉な話でもあり、彼の娘がウクライナ政府によって爆殺されたことを考えると、御用学者を大事にしようという姿勢は少なくともロシア連邦には希薄なのではないか? という疑問が生じ、拭うことが出来ない。
凡そここまでが「ロシアの御用学者としてのアレクサンドル・ドゥーギン」である。
次に語る要素がもっとも重要かもしれない。
アレクサンドル・ドゥーギンは国際的な欧州右派のネットワークを構築している人物であり、欧州から日本に到るまでの新右翼と交流を持っている。
彼自身、かつての日本の文学者・三島由紀夫にシンパシーを覚えていると言う話があるが、彼の特筆すべき点は、本人があからさまな反・欧州的知識人でありながら、欧州からアジア、そしてアフリカに到るまでロシアが関与する様々な地域の新右翼と呼びうる人物らと交流を持っている点にあり、筆者が何度か言及したフランスの右派知識人アラン・ド・ブノワを筆頭に、日本においては佐藤優や一水会の鈴木邦男等と交流を持っている。何より、そうしたネットワークを前提として現在の欧州世界における右派が読む著述家・思想家を彼は自身のホームページ『第四の政治理論(The Fourth Political Theory)』において開陳しており、このリストが現れるのを見る度に、我が国の右派がどれだけ世界から見て遅れを取っているかが察せられる。そういう意味では、思想家アレクサンドル・ドゥーギンは超えるべき対象であり、彼を超えるための材料を彼自身が用意しているという、非常に思想的には誠実で、話が分かる人物だとも言える。
:ザハール・プリレーピンについての中間報告
アレクサンドル・ドゥーギンは思想家と呼ぶべきであるが、ザハール・プリレーピンは文学者である。
本名はエフゲニー・ニコラエヴィッチ・プリレーピン(Евге́ний Никола́евич Приле́пин)であり、ドゥーギンの十三歳下である。大学卒業後は職を転々とし、後にロシア警察の対テロ部隊であるOMONに入り、1996年から1999年にかけて第一次チェチェン紛争の戦闘に参加。
OMONを退職した後はニジニ・ノヴゴロドの新聞『デロ』のジャーナリストとなり、2000年には同新聞の編集長となり、彼の文壇上におけるデビュー作『病理学(Патологии)』の執筆を開始する。これは2005年に発表され、高い評価を得たようである。
以後、エッセイや短編小説等の様々な表現媒体で作品を発表するのみならず、ロシアのテレビ番組に出演。また特筆すべき事項として、ロシアの音楽グループのミュージックビデオ(MV)にゲスト出演し、男性を引きずり殴り飛ばす役を演じている。これは『РИЧ (п.у.Захар Прилепин; Хаски) - Пора валить』で検索すれば恐らく出てくるので参照可能である。正直、吟遊詩人ハンス・ジーファースよりよほど音楽センスのある人々と交流を持っているということがよく理解できると思う。
彼はドゥーギンと同じく国家ボリシェヴィキ党に関与していた人物でもあるが、どうやら彼も2019年には国家ボリシェヴィキ党を離脱しているらしい。どうやら、全ロシア人民戦線という別個の政党に参加したために、国家ボリシェヴィキ党のエドヴァルド・リモノフからどちらかを選べと迫られたようで、ドゥーギンほど離党理由が錯綜しているわけではない。
彼の短編作品の中でもとくに物議を醸したのが『同志スターリンへの手紙(Письмо товарищу Сталину)』であり、これは現代人の視点でヨシフ・スターリンに対し手紙を送るという形式で、ソビエト連邦を強化しナチスに勝利し、同時に多数の弊害を齎した指導者ヨシフ・スターリンに対する愛憎半ばな感情が記されたもので、これは物議を醸したのと同時に、文学者ザハール・プリレーピンが政治参加していく最初の一歩であったとも言われる。
元々、第一次チェチェン紛争における従軍経験を活かして『病理学(Патологии)』を執筆していたこともあり、彼は現代においては稀有となった実際の軍事経験を小説に落とし込む才能を持った人物であるとも言え、以後もロシアが占領したドネツクにおいて成立したドネツク人民共和国の支援のためのクラウドファウンディングを実施し、自ら車で援助物資をドネツクへ運び込んだり、ドネツク人民共和国の指導者であったアレクサンドル・ザハルチェンコの顧問になり、加えてドネツク人民共和国の志願兵部隊のリーダーだった時期もあるらしく、この志願兵部隊は通称:プリレーピン大隊とも呼ばれていたようで、殆ど小説と実地の生活が一致する、前世紀的な文学者なのである。
今回のウクライナ・ロシア戦争においてもロシア国家親衛隊に参加しウクライナの戦闘に参戦する等、彼の挑戦は続行されたが、数ヶ月前にニュースになったように2023年5月6日に爆破され、両足を負傷している。
実は数ヶ月前まではザハール・プリレーピンはYouTubeチャンネルを持っており、このチャンネルで度々政治的主張を行っていたのだが、最近になってこのチャンネルが削除されてしまっており、現在では他のメディアやMVでのみ彼の姿を見ることができる状態になってしまっている。
以上の記述からある程度察せられるように、彼は政治参加を……それも旧世紀のジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイのような軍事経験を積極的に行う文学者であり、同時にロシア連邦が徴兵制を敷き、ロシアにおける徴兵制が事実上の貧困税と化し、若者を苛んでいるという実態を考慮すれば、彼の小説は軍記モノであると同時に、ロシアの若者の精神の根底に寄り添う実体験的な色彩をも有していることが理解出来る。先の『病理学(Патологии)』は第一次チェチェン紛争の経験が基礎に置かれているが、その次の作品『サニキャ(Санькя)』は国家ボリシェヴィキ党に所属する人物が主人公になっている自伝的小説でもあり、複数のMVに参加し、現代のロシアのティーンエイジャーがドイツのネオナチの模倣としてファッション化しているスキンヘッドにパーカーという、いわば『現代っ子の服装』で顔を出し活動している彼は非常にアイコニックな文学者であり、国外は無論ロシア国内でさえも彼の評価は別れはするものの、ザハール・プリレーピンという文学者は現代のロシア連邦の若者が求めるビジョン、イメージに寄り添う存在だと言うことが可能であろうと思われる。
:総括として
アレクサンドル・ドゥーギン、ザハール・プリレーピン両名は現在のロシアを代表する愛国的知識人であると言えるが、その両名がウクライナから襲撃されている事実、そして両名の活動や主張が必ずしもロシア連邦の政治的・軍事的行動と合致しないという実態を鑑みると、私はどうしても三島由紀夫が言った
「愛国心とは一方通行なものである」
という言葉を想起せざるを得ない。両名はロシア連邦に様々な意見を持ちつつも、全体としてロシア連邦を支持し、文字通り命をかけて言論行為を実施しているにも関わらず、ロシア政府は彼らを守ることもせず、命の危機にある状況を手放しのままにしているのが現状である。無論、現在のロシア連邦の侵略行為やその極端な考え方、行動に同意をするわけではないが、右翼を自認する筆者にとって両名に或る種のシンパシーを覚えるのも事実であり、それ故に彼らの”報われなさ”を考えると、心が痛む部分が大いにあるのもまた――事実である。
:参考になりそうなもの
@ほぼ必須
ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ
Wikipedia『アレクサンドル・ドゥーギン』及び『Дугин, Александр Гельевич』(露語版Wikipedia)
Wikipedia『ザハール・プリレーピン』及び『Прилепин, Захар』(露語版Wikipedia)
『The Fourth Political Theory(第四の政治理論)』
論文(書評)黒岩幸子氏:
『アレクサンドル・ドゥーギン『地政学の基礎 ロシアの地政学的未来/空間をもって思考する』』
論文 浜由樹子/羽根次郎:
『地政学の(再)流行現象とロシアのネオ・ユーラシア主義』
『ヌマヌマ ; はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』
↑ザハール・プリレーピンの短編小説『おばあさん、スズメバチ、スイカ』収録
群像 2012年12月号
↑同小説翻訳初出
動画類:
@ザハール・プリレーピン関連
РИЧ (п.у.Захар Прилепин; Хаски) - Пора валить
РИЧ, Захар Прилепин - В 91-ом
@ハンス・ジーファース関連
Ганс Зиверс - Кровавый навет (1986)
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