哲学者の明晰 -知識人の弱点について-

 古代ギリシャの著名な哲学者の一人にソクラテスがいる。

 哲学における彼の功績というのは明確極まりないためここでは敢えて解説をしない。今回のテキストで彼の名前を持ち出すのは、彼の最期について記述をすることでこのテキストの導入にしたいという目的があるからだ。……とは言え、ソクラテスの末路も著名なものである。

 彼は無知の知の概念で有名だが、これを証明するために当時のギリシア世界にいた知識人や著名人とか言われる奴の”無知”を証明していくことを一種のライフワークとしており、言ってしまえばこれはTwitterレスバトラーを古代でやっているようなもので、ソクラテスが知恵者として有名になっていく毎に彼は敵を増やしていったそうなのである。考えてみれば当然の話ではあるのだが、そこで彼は最終的に告訴を受け、アテナイ市民500人によってソクラテスは死刑に値するとされ処刑されてしまう。その時に行ったのが著名な『ソクラテスの弁明』という奴なのだが、非常に雑に総括すれば、ソクラテスは裁判所で”レスバ”をやったのである。――このレスバが後世に至るまで文書で残り現代人である我々が中身を知ることができるというのもすごい話ではある。

 しかし、死刑判決が出た後にもクリトンやプラトンらによって逃亡・亡命を推奨され、加えてソクラテスに同情した牢番はいつでも逃げられるように鉄格子の鍵を開けており、そもそも当時のギリシャでは牢番に僅かな金を握らせれば容易に脱獄が可能であったにも関わらずソクラテスは意志を貫き、票決に反して亡命するという”不正”を行うよりも、死と共に殉ずる道を選んだ。……


 一連の物語は哲学者かくあれかしという一種の美談として語られているし、ソクラテスのそうした態度の美しさについて否定をするつもりは毛頭ないわけだが、同時にこの一連の”ソクラテスの最期”と言うべき逸話には、知識人とか呼ばれる人々のある弱点をさらけ出しているような気が(私は)してしまうのである。――すなわち、ということである。

 では哲学者だけがそうなのかと言われるとこれも違うらしく、数学者として有名なシラクサのアルキメデスは戦時中に多数の兵器を生み出してシラクサを防衛していたのだが、ローマ軍が攻め込んできた時に何か考え事をしていたらしく、延々と図形を見つめて何か考え込んでおり、アルキメデスを知らないローマ兵は腹を立てて彼を殺害してしまったのだと言う。ソクラテスのそれに比べると何かちょっとしょうもない感じがしてしまうが、考え事をしていたせいで死ぬ……というのは非常に示唆的なのでここで書いておく。


 時代は変わってソビエト連邦の話をしようと思うのだが、いわゆるボリシェヴィキと呼ばれた人々はその経歴が古ければ古いほど、ロシア帝政末期の弾圧を生き抜いた理論家であり活動家であることが多いのだが、今回持ち出すニコライ・ブハーリンもその例に漏れずやはり知識人然とした男であった。

ボリシェヴィキはとにかく議論が好きで、問題が起こればまず議論をする。それは第一に革命を知識人が遂行したというある種の自負心も感じられるし、ヘーゲル弁証法を批判的に継承したマルクス主義の根本性質を見出すことも可能なのだが……同時に私は考える。――と。

実際、これは会社組織でもありがちな話ではあるのだが、会議や議論が始まるという時、実際にはそれは最後の『会議をした』というていをとることでコンセンサスを得るための一連の儀式であることが多い。しかしボリシェヴィキというのはやはり知識人の群れであったから、そんなブルジョア的退廃主義とも言えるような、票決や論議の価値を認めないような態度を許すことはできないのであり、結果彼らは長時間に渡り議論し、対立を起こしてしまう……しかし、だ。ロシア革命に端を発するいわゆるロシア内戦も終結し、トロツキーの言い回しを借りればロシア白軍らを”歴史の掃き溜め”にしてやったというのに、対立と議論ゆえに方針が決まらないなどという状況を継続して良いものなのだろうか? そもそも今やボリシェヴィキは党である以前に国家それ自体なのである。言ってしまえば、そうした実態を理解していたオールド・ボリシェヴィキはもはやヨシフ・スターリンぐらいしか居なかったのではあるまいか?。

 案の定というか、議論を利用してスターリンは支持を拡大し、最終的にはソクラテスばりに議論に強かったトロツキーや、理論家であったブハーリンも政治的に処断され、最後に残ったのは理論家でありながら政治家として卓越していたスターリンがソビエト連邦なる”餅を食べた”のである。以後に吹き荒れた大粛清によって生き残った党員というのはどいつもこいつも政治に強いか政治との距離感を図るのが上手い(結局政治が上手いということじゃないか!)人間ばかりになり、ソビエト連邦という国家においていわば”政治の伝統”と呼び得る基礎を作り出したのもスターリンだ、ということになってしまう。

 ところで、同時代に生きていたロシアの哲学者の一人にレフ・カルサーヴィンがいる。彼は1921年にペトログラード大学で教職に就くのだが、1922年には逮捕され、帰国の権利が剥奪された状態で国外追放処分を受け、ベルリン→パリと移動した後にリトアニアのカウナス大学に招来されここでまた教鞭を執ることになる。

お察しと思うが、リトアニアはWW2の時期にソ連に攻め込まれソビエト連邦を構成する国家となってしまい、1944年にはまたしてもソ連に逮捕され、最終的には強制労働収容所に収監された末に結核で死亡する。

 思うに、ブハーリンやその他オールド・ボリシェヴィキの人々にせよ、このレフ・カルサーヴィンにせよ、自身が悲惨な最期を迎えるに辺り、脳裏に過ぎったのはソクラテスの最期だったのではないだろうか? 知識人と呼ばれる人々が自身の性質と言いようのない衝動に従って理屈を捏ねて知性を行使し、そうして自身が弁舌を奮ってきた過程で放った様々な文言が彼ら自身を束縛し、自らの言の一貫性や誠実性を防衛するために死んでいく……知識を鎧として、何より矛として自らの身にまとってきた彼らを最後に殺したものは何か? と聞かれると、それはソクラテスが飲んだドクニンジンの杯でもなければ、アルキメデスを貫いた槍でも、ブハーリンに突きつけられた銃でもなければ、カルサーヴィンの結核なる病名でもなく、


 思えば、文学者の自殺にも似たような趣があるような気がしてならない。私の愛する三島由紀夫にしてみても、自身が『鏡子の家』や『剣』で示した美学に端を発し、最後には『太陽と鉄』に『葉隠入門』で書いたような入念な準備の後に死に、曖昧模糊とした日本美を描いてきた川端康成は三島由紀夫という日本男児かくあれかしという益荒男振りの死に対し、手弱女振り的な曖昧模糊としたガスの中で自殺し、ハードボイルド文学のアーネスト・ヘミングウェイはハードボイルドであり続けられなかったことへの返答として、ショットガンで自身の頭を吹き飛ばすというハードボイルドな死に方をしてみせる。

 三島由紀夫を再度引用してしまうが、彼らの死に方というのはどうも『金閣寺』で書かれていたような「死に方の規範を示す」ような側面がないこともない。

 [引用始]

 田舎の寺の住職の死というものは、異様なものである。適切すぎて、異様なのである。彼はいわば、その地方の精神的中心でもあり、檀家の人たちのそれぞれの生涯の後見人でもあり、彼等の死後を委託される者でもあった。その彼が寺で死んだ。それはまるで、職務をあまりにも忠実にやってのけたという感銘を与え、死に方を教えて廻っていた者が、自ら実演してみせてあやまって死んだような、一種の過失と謂った感を与える。

 -三島由紀夫『金閣寺』-

 [引用終]

 つまり、頭を使って物事を遂行することそれ自体を課されてきた人々が、自分自身の記述や行動を後世に残そうという時には、それらの言を発してきた彼等自身が他でもない自己の言に拘束され、時にはそれが死因となってしまうということがままあるという話であり、知識人は自身の見解のために知性を練磨していけばいくほど、その知性が得てして自身の方向を向いて、自決のための刃として機能してしまう実態があり、こうした考えを念頭に置いた時、他でもない というのが、このテキストで言いたいことの全て、である。


(でも、変な死に方しない知識人も沢山居るよね)

(いるけど、私は好きじゃないんだよ)

(結局趣味の問題かよ?)

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